Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


『もう一度のめぐりあい』



 学園祭の夕方。
 祐巳さんと瞳子ちゃんが姉妹の契りを結んだ。

 以前聞いた、祐巳さんと祥子さまが儀式をしたときと同様、誰も見ていない校庭の
片隅で、二人だけでひっそりと行われたらしい。
 そのとき、祐巳さんはともかく、瞳子ちゃんがどんな表情をしていたのか想像すると、
不思議な気持ちになる。

 「感動薄かったしねぇ……」

 誰も居ない中庭のベンチに腰掛けて、小さく空を見上げていた島津由乃は、自分
が姉と姉妹の儀式をした時の事を思い出して、ため息混じりに呟いた。
 学園祭が終わった直後の校内は、祭りの後の静けさといった雰囲気で、どの生徒も
なんとなくボーっとした印象を受ける。それだけ皆が学園祭に勢力を注いでいたこと
の証なのだろう。もちろん、由乃や山百合会幹部の全員も、他の生徒と同様に、いえ、
それ以上に学園祭の為に大変な努力をしてきたのだけど。

 「あと3週間……」

 先代の黄薔薇さまであった鳥居江利子さまとの約束。剣道部の対校試合の日までに
由乃の妹を江利子さまに紹介するという罠の期日まであと3週間。約束というよりは
支倉令を賭けた、逃れようの無い勝負とでも言うべきなのかもしれない。
 いまもって妹にしたいような一年生との出会いは無く、このままではもともと勝算の薄
かった勝負が敗北という結果で終わってしまう。
 江利子さまに大見得を切ってしまった事もあるが、何よりも「敗北」などという結果を
受け入れることは由乃にはできないことだった。

 「令ちゃんと姉妹になるのなんて既定事項みたいなものだったし。祐巳さんや志摩
子さんみたいに運命的な出会いなんてそうそうあるものじゃないし……」

 親友たちの姉妹のなりそめを思い出し、由乃は羨ましげにため息をついた。

 「由乃さま」

 自分を呼ぶ声に顔を上げると、傍らに可南子ちゃんが立っていた。
 そういえば学園祭が終わってから、彼女と会うのは数日ぶりだったかも知れない。
 学園祭の翌日、薔薇の館で行われた反省会兼打ち上げ以来だったような気がする。

 「久しぶり、かしら?」
 「そうですね」
 「最近、薔薇の館に来ないじゃない」
 「行く理由がありませんから。わたしがお手伝いしていたのは祐巳さまとの賭けに
負けたから出入りしていただけですから……」

 由乃の質問に、可南子ちゃんは当たり前とでも言うような表情で、さらっと答えた。
 いままでならこういう答え方をするときの彼女は、瞳の奥に少し怜悧な雰囲気を湛
えていたはずだったけど、今はなんとも穏やかな雰囲気を感じさせる。

 「掛けたら?隣、空いてるわよ」
 「いえ、結構です」

 由乃なりに気を遣って、ベンチに掛けるように促したが、可南子ちゃんはあっさりと拒
絶してくれた。

 「おしゃべりするだけでも構わないのよ?なんといっても開かれた薔薇の館が今の
山百合会の目標なんですもの。祐巳さんが歓迎してれば祥子さまだって何も言わな
いわ。もちろん、私やお姉さま、志摩子さんたちが何か言うはずもないし」
 「用も無い人間がうろうろしていては邪魔になるだけです」
 「それだけかしら?」
 「……」

 由乃の言葉に可南子ちゃんは押し黙る。
 可南子ちゃんが薔薇の館に来なくなった理由は、決して手伝いが終わったというだけ
では無いはずだった。彼女が想いを寄せる祐巳さんと、無意識のうちにだろうけど、
可南子ちゃんがライバル視していた瞳子ちゃんが姉妹になったという事実と、薔薇の館か
ら距離を置いている彼女の気持ちとは決して無関係ではないだろう。

 「他に理由があるとでも?」
 「さあ、私に解るわけ無いじゃない」

 由乃の見る限り、可南子ちゃんは表面上、今までと変わらないように見える。
 けれども、由乃には学園祭までに見られた彼女の雰囲気と、今そこにいる彼女の雰
囲気は、まったく異なるものに見えてしょうがなかった。

 「祐巳さまはおかわりありませんか?」
 「可南子ちゃんが来なくなって寂しがってる」
 「え……」

 可南子ちゃんが驚いた表情を見せる。
 由乃からすれば、祐巳さんが寂しがっているという事は全く当然のことだったけれど、
彼女からすれば意外なことなのだろうか。ふっとそんな疑問が浮かぶ。

 「薔薇の館に来ればわかるわよ」
 「行く理由が……」
 「あるじゃない。祐巳さんに会うっていう理由が。それとも何、瞳子ちゃんと姉妹になった
祐巳さんには会いたくないわけ?」
 「瞳子さんは関係ありません」

 今の可南子ちゃんは由乃の知っている彼女ではないような気がしてきた。事の成り行き
は祐巳さんも、祥子さまも語らないために良くは知らないけれど、少なくとも学園祭の
舞台劇に出ていた時までの可南子ちゃんは、良いも悪いも含めてもっと前に向かっていく
ような雰囲気を放っていたのに、今の彼女はまるで現実から目をそむけて逃げているよ
うに見えた。

 「じゃあ、なんでそこまで山百合会から、ううん、祐巳さんから距離を取ろうとするの
かしら。ほとんど関わりの無かった私に声を掛けて来るくらい」
 「別に。今日はただ通りすがりに由乃さまをお見かけしたから声を掛けただけです」

 あくまで偶然を装おうとする可南子ちゃんに対して、なんだかムキになりつつある自分
を心の片隅で認識しながらも、由乃は可南子ちゃんに絡み続けた。

 「本当にそれだけだったら、なぜ祐巳さんの事を聞いてくるわけ?ただの偶然だった
ら挨拶だけでいいじゃない。この間までみたいに」

 そこまで言ったところで、可南子ちゃんが辛そうに言葉を詰まらせていることに気がつ
いた。

 「ごめん、言い過ぎたわ……」
 「由乃さま……」

 可南子ちゃんに素直に謝り、俯いた。
 今のはまるで、妹のことで行き場の無い思いを、可南子ちゃんに八つ当たりしているよ
うだったから。由乃は少し、自己嫌悪してしまう。

 「わたしは……」

 可南子ちゃんが何かを言いかけたので、由乃は再び顔を上げた。

 「わたしがいると、祐巳さまや瞳子さんに迷惑だと思って、薔薇の館に近づかないよ
うにしていました」
 「なんで迷惑なのよ」
 「祐巳さまがどう思っていらっしゃろうと、私は祐巳さまに酷いことをしてしまいま
した。紅薔薇さまも、私と祐巳さまが構わないのなら薔薇の館に出入りするのは第三者
がとやかく言うことではないと仰っていましたけど、わたしにはそうは思えなかったん
です」

 可南子ちゃんがこんなに自分の事を話したのを、由乃ははじめて聞いた。

 「でも、本当は姉妹になった祐巳さまと瞳子さんを見たくなかったんです。確かにわ
たしは紅薔薇のつぼみの妹になるつもりはないと言いました。でも、それは決して祐
巳さまがどうでもいいと言う事ではないんです」
 「可南子ちゃん……」
 「祐巳さまに抱いていた幻想、瞳子さんに言わせれば妄想だそうですが、本当の祐
巳さまの心に触れたとき、もっと祐巳さまの近くに居たいと思いました。それが今の偽
らない、私の気持ちです。でも……」

 彼女は、いつもの様に気丈に振舞っているつもりなのだろうけど、由乃には今にも泣
き出しそうに見える。

 「お掛けなさい」

 もう一度、可南子ちゃんにベンチに座るようにやさしく促すと、今度は素直に腰を降ろ
した。
 隣に座った可南子ちゃんを見つめてから一呼吸置いて、由乃はゆっくりと口を開いた。

 「わたしが言うことじゃないけど、人の想いなんて、ちゃんと言わないと伝わるもの
じゃないわ。だから皆、悩んで、いろいろ考えて、泣いたり笑ったりするの」

 可南子ちゃんは由乃の言葉を無言で聞いている。

 「わたしも令ちゃんにちゃんと気持ちを伝え合わなかったせいで、何度も喧嘩したし、
姉妹の解消しちゃった事だってあるわよ」
 「黄薔薇革命、ですか」
 「よく知ってるわね」
 「大事件だったようですから」

 苦笑まじりに可南子ちゃんが答える。
 彼女が少しは明るい表情に戻ったので、由乃は言葉を続けた。

 「生まれたときからずっと一緒。本当の姉妹のように育った私達だってそうなんだも
の。ここで初めて出逢った人達なんかもっと気持ちを伝えなきゃ関係なんて進展しない
わよ」
 「そうですね……」

 そこまで言い切って、由乃はちらっと隣に目やると、可南子ちゃんは何かを考えるよう
に、遠くを見つめていた。

 (この子って……)

 可南子ちゃんという少女が実は本当は素直で、優しすぎる子なんじゃないかと思う。た
だそれを表現するのが、人に伝えるのが不器用なだけなんじゃないかと。だから、相手
に自分の本当の想いがきちんと伝わらなくって、傷つけるような事になることがあるの
ではないかと。

 「乃梨子ちゃんは嫌い?」
 「なんですか、藪から棒に……」

 可南子ちゃんが怪訝そうに聞いてきた。
 でも、由乃は有無は言わせないといった表情で答える。

 「いいから答えて。思っているままの事を。乃梨子ちゃんの事、嫌い?」
 「いいえ……」
 「志摩子さんは?」
 「嫌いではありません」
 「祥子さまは?」
 「少し合わない気はしますが、別に嫌いではありません」

 由乃は、現在の山百合会幹部の名前を一人づつ並べていく。可南子ちゃんはそれに一つ
ずつ、躊躇いがちに、でもはっきりと答えていく。こんな風に、自分の考えをはっきり
と伝えていく可南子ちゃんは、どこか自分に似ている気がする。

 「令ちゃんは?」
 「いえ……」
 「祐巳さんは聞くまでも無いわね。瞳子ちゃんは?」
 「難しいですね。以前ほどは嫌いとも合わないとも思いませんが……」

 さすがに瞳子ちゃんの事になると、少し言葉を詰まらせる。けれど、この返答を聞く
限り、それほど嫌っている訳でもない様子に思える。

 「じゃあ、私は?」

 最後に自分の事を聞く。
 可南子ちゃんは目を大きく開けて、由乃を見つめた。

 「今、答えないといけませんか?」
 「無理に答えることなんて無いわよ。言いたくなければ言わなければ良いし」

 しばらく由乃を見つめたまま、可南子ちゃんは押し黙った。
 さすがに本人を目の前にしては言いにくいのか、それとも答えにくい返答なのか、由
乃は可南子ちゃんの気持ちを計りかねた。

 「どちらかと言えば好きです。祐巳さまの次くらいに。由乃さまは思ったことを素直
に仰るので……」
 「……」
 「由乃さま?」
 「は、あははは!」
 「由乃さま!?」

 可南子ちゃんの意外な答えに、由乃は思い切り笑ってしまった。まさかこんな答えが返っ
てくるなんて思っても見なかったから。

 「ごめん。でも、そうなんだ。可南子ちゃんにもそんな風に写ってたんだ。わたしって」
 「すみません……」
 「謝ることなんてないわよ。その通りだもん。よく祐巳さんにも言われるわ」

 可南子ちゃんにまでそんな風に思われていたことが面白くてしょうがなかった。今まで、
何ヶ月も付き合ってきて、初めて可南子ちゃんの気持ちを聞いたらそんな風に思われていた
なんて。

 「ねえ、可南子ちゃん。薔薇の館に大手を振って出入りできる方法が一つあるわよ」
 「方法?」

 可南子ちゃんは少し訝しがるように、由乃を見つめる。
 今から言うことを聞いたら、可南子ちゃんはどう思うだろうか?。由乃にはその反応が楽
しみでしょうがなかった。

 「わたしの妹になるの」
 「は……?」

 何を言っているのだという可南子ちゃんを見て、由乃は微笑みながらもう一度伝えた。
                    ロサ・フェティダ・アン・ブトゥン・プティ・スール
 「わたしと姉妹の契りを結ぶの。黄薔薇のつぼみの妹になるっていうこと」
 「本気ですか……?」
 「少なくとも冗談では無いわね」
 「どういうおつもりですか?」
 「貴方が気に入っただけ。もちろん、断ってくれても構わないけど、一応考えてはみて
頂戴」
 「……」
 「さて、そろそろ薔薇の館に行きますか」
 「由乃さま!」
 「すぐに返事をしろなんて言わないわ。もしわたしの妹でも良いと思ったら薔薇の館に
いらっしゃい。儀式は貴方の希望に添うようにしてあげるから」
 「……」

 無言で由乃の前に立ち尽くしている可南子ちゃんに小さく手を振って、由乃は中庭を薔薇
の館に向かって歩き出した。
 いままで途方にくれそうだった妹という存在。
 その答えは、信じられないほど近くに存在していた。ただ、今まではそこに視線が行か
なかっただけだったのだ。
 可南子ちゃんは祐巳さんの為に薔薇の館にいた。そうとしか見えていなかったから。もち
ろん、今でもそうには違いないだろう。けれど、少なくとも可南子ちゃんとなら令ちゃんと
はちがう、もっと新しい何かを築いていけるかもしれない。そう思えて仕方が無かった。

 「可南子……。って呼べるかな?」

 そう呟いた由乃の顔は、とても晴れやかだった。

  − f i n−


由乃・可南子です。
祐巳・瞳子やっている以上、由乃さんの妹にも書かないわけには行かないわけでして、
原作でどうなるのか影も形も見えませんが、新たにキャラクターを出されるよりも、既
に登場している可南子か瞳子が妹になるのが自然かと思います。
なので、祐巳瞳子であるいじょう、由乃さんには自然と可南子になるわけですが…。
依然、可南子のキャラがつかみきれないのでなんともって感じです(汗
でもこの組み合わせは結構気に入っているので、これからも書くかもしれません。


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