Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


『Unrequited Love 』─ 片想い ─


 「お邪魔しまーす」
 「あ、こら。あがって良いなんて誰が言ったの」
 「意地悪だなぁ。私とカトーさんの仲じゃない」
 「なに言ってるのよ」

 漫才のようなやり取りをしている彼女、佐藤聖と知り合って数ヶ月。いつも間にやら自分の部屋
 にしょっちゅう転がり込むのを半ば諦め気味で許容している自分に、景は驚きすら覚えていた。
 彼女の後輩である福沢祐巳さんが雨の降りしきる歩道にひどい姿で座り込んでいるのを見かねて、
 佐藤さんを間に声を掛けたのがすべての始まりだった。

 「まったく、こんな事になるならあの時声を掛けなければ良かったわ」

 あまりの境遇の変化についぞ愚痴めいた言葉が漏れてしまった。

 「またまた。あんな格好の祐巳ちゃんを放って置くなんて出来なかったくせに」

 間髪をいれずに言い返してくる佐藤さんに幾許かの嫌味も言ってやりたくなるが、それが事実であ
 るので口にすることは出来なかった。そう。あの梅雨の日、福沢祐巳さんのあの姿を見かけなけれ
 ば彼女とこんな関係になることは無かっただろう。そして、こんな想いも……。

 「もう準備は出来たの?佐藤さん」
 「準備?何の」

 本気で言っているのだろうか?
 彼女と出掛けるイタリア旅行、その出発は今度の日曜日なのに。

 「冗談……でしょう?」

 こめかみの辺りがピクピクするのが自分でもわかる。
 もし、本気で忘れているのだとしたら縁を切ってしまおうなどと半ば本気で考えてしまう。

 「じょ、冗談です。カトーさんと出掛ける旅行の準備はほぼ整っています」

 呆れを通り越して怒りにも似た感情が鎌首を擡げつつあった景の視線を理解したのだろうか。佐藤 
 さんは慌てて謝罪した。

 「そう。だったら良いわ」
 「カトーさん怒ると怖い……」
 「なんですって?」
 「な、なんでもないです」

 再び睨み付けると、彼女は焦ったように誤魔化す。
 まったく、どうしてこんないい加減な風に振舞うのだろう。それが本当の彼女の姿でないことは既
 に解っているのに。
 彼女に対して全幅の信頼を置いている祐巳さんを見ているし、ついこの間出会ったロサ・フェティ
 ダと呼ばれていた女性。江利子さんだったかしら。の言葉にもそれは見て取れた。もちろん、今迄
 の付き合いから景自身の判断もそれを肯定している。

 「楽しみだね、イタリア」
 「そうね」

 未だに自身の事は多くは語ろうとしない彼女。恐らく、軽薄な上辺を作らざるを得ないような出来
 事があったのだろう。ある程度は「地」なのかも知れないけれど。それを窺い知ることは今のとこ
 ろ出来なかった。

 「そうそう、私たちの後を追いかけるように祐巳ちゃんたちも行くんだって」
 「イタリアに?」
 「そう。修学旅行なんだって」

 さすがお嬢様学校。と景は思った。
 もちろん、最近は公立高校でも学校によっては海外への修学旅行はあるのだから取り留めてリリア
 ンが特別という訳でもないのだろうけど、景の高校時代の修学旅行は国内だったから余計にそう思
 えてしまう。

 「それにしても、学割や閑散期とはいえ思ったよりは費用が掛からなかったわね」
 「その費用を抑えるのに聖さんはとっても努力をしたんですよ。カトーさん」
 「言い出したのは佐藤さんなんだから当然じゃない」

 潤沢とは到底言えない予算で組まれた無謀とも思えるイタリア旅行。それを可能にしたのは彼女が
 言うとおりの大変な努力をして実現した事ではあったのだけれど、それを簡単に認めてしまうと佐
 藤さんが調子に乗ってしまうので、あえて当然のことのように答える。

 「酷い……」
 「いい加減になさい」

 よよよ、といった感じで景に纏わりついてくる佐藤さんをあしらいつつ、なんとか一定の距離を保
 つようにする。
 佐藤さんがこうして景との間を詰めてくる事は間々あるのだけれど、景は必要以上に彼女と接近す
 るのをなんとか防ごうとしてしまう。
 彼女が近づくと急に動機が早くなり、体が熱くなってくる。

 「冷たい……」

 佐藤さんが少し寂しそうな視線を景に向けてくるが、やや不自然な姿勢で顔を背け、瞳を閉じる。
 見てはいけない。景の理性が警鐘を鳴らしている。
 一体何なのだろう、この気持ちは。
 佐藤さんは同じ女性なのに、まるで幼いころの初恋のように彼女が近づいてくるとどきどきする。
 今まで同性にこんなにどきどきした事なんて無かったのに。佐藤さんがああいう顔をすると、どん
 な事でも許してしまいそうになる。
 彼女が恋愛対象を同性に求めるということは彼女自身から教えられている。初めて聞いたときは冗
 談かとも思ったけれど、その時の真剣な表情から直ぐに真実だと解った。そして、恐らく世間では
 認められがたいその事を景に伝えたのは、それだけ景が佐藤さんに信頼されているという証であっ
 た。そして、佐藤さんが真剣に付き合っている相手がいるであろう事も。

 「でも、本当にツインで良かったの?」
 「しょうがないでしょう、シングル二部屋だったら予算オーバーじゃない」
 「そりゃそうだけど」
 「何か問題でもあるのかしら」

 あるかもしれない。けれど、それは佐藤さんではなく景自身に。

 「カトーさんのかわいい寝顔を見たら理性が保てないかも」
 「止めて頂戴……」

 佐藤さんがニヤニヤした顔でしれっと、とんでもない事を言ってのける。
 自然と自分を抱きしめるような格好で、庇うように佐藤さんとの距離を再度確認する。

 (私はノーマルなはずなのに……)

 そう、少なくとも佐藤さんと出会うまでは。
 恐らく彼女が景に手を出すことは無いだろう。佐藤さんの向こう側に感じられる恋人との関係がそ
 う思わせる。
 けれど、万が一そんな事態になったら。景は自分が拒絶しきれるか自信が無かった。
 それは佐藤さんが無意識に振り撒く魅力。その魅力に囚われたのは景自身。

 「認めるしかないのかしら……」
 「ん?何?」
 「な、なんでもないわ」

 認めるしか無いのかも知れない。同性である彼女、佐藤聖という人に恋をし始めている自分を。
 そして、その相手にはもう恋人がいる事を。
 片想い。
 まさか二十歳を目前にして同性相手に片想いをするなんて夢にも思わなかった。
 梅雨のあの日。
 あの道で祐巳さんを見かけ無ければこんな想いを抱くことも無かったのに……。

  − f i n−


景・聖です。
tAnKA様のリクエストにお応えする形で書き上げました。それ以前からネタとして
考えていたものがあったんですが、「チャオ・ソレッラ」で聖さまと景さんの旅行先が
解ってしまったので、それに合わせて修正しました。そのせいかどうか、景さんまで百
合になってしまって…。元々はお友達なお話だったんですが…。煩悩も行き過ぎですね。
それではまた近いうちに。


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