Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


『ど・お・な・つ の真ん中は!』


 「ドーナッツ!」

 由乃さんが突然、大きな声で叫んだ。
 薔薇の館の二階、会議室兼サロンで山百合会幹部ご一行様は固まっていた。

 「よ、由乃?」

 比較的、耐性のある黄薔薇さまこと支倉令さまが真っ先に立ち直られた。
 えっと、何がどうなって「ドーナッツ」になったんだろう。
 祐巳は脳みそをフル回転して前後の状況を思い出そうとしていた。
 確か、祥子さまが持っていらした美味しそうなお茶に合うものは何かなって話をしていて
 皆がケーキやお菓子の名前を色々上げていたんだっけ。で、令さまが何か作ってこようか
 なって仰った時に……

 「ドーナッツが食べたい。明日、決定!」

 どうやら何時の間にか由乃さんはイケイケ青信号になってしまった様子。
 こうなると、そのまま認めるか、惨劇覚悟で立ち向かうかの二者択一しかないわけで、当
 然そんな強者はこの中には居ないから。

 「わかったわよ」
 「やったーー!」

 令さまが諦めて承諾。
 やっぱり令さまは由乃さんに甘いと言わざるを得ないなぁ。なんて思ってみるけど、祐巳
 も祥子さまが「ドーナッツ」って言ったらわき目も振らず賛成するんだろうけど。
 祐巳の妹馬鹿以上に、令さまは姉馬鹿で由乃さんラブでした。

 「で、どんなの?いつもみたいにプレーンとチョコ?」
 「シナモンパウダーも忘れちゃ駄目よ」
 「はいはい」

 いつも間にか、普段どおりの夫婦に戻っている令さまと由乃さん。
 なんだか羨ましい。
 あんな風に想った事がすぐ言葉に出来て、お互いの事を信頼できている関係。
 祐巳は祥子さまと自分の関係を思い浮かべる。
 夏休みの前、二人とも想った事を相手に告げることができず、信じきれなくてとても辛い
 想いをした事。
 ようやく、言わなければならない事を言えるようになった二人。

 「いいなぁ……」
 「祐巳もドーナッツ、作って欲しいのかしら」
 「え!」

 祥子さまのお声が突然、祐巳の耳元で聞こえた。
 パっと振り向くと、祐巳の直ぐ目の前に祥子さまのお顔があったの心臓が止まりそうなく
 らいビックリした。

 「お、お姉さま!」
 「そんなに驚く事無いでしょう、失礼ね」
 「いや、だって、その」

 祥子さまは拗ねた様に祐巳を見つめて仰る。
 でも、ドーナッツを作って欲しいって、もしかして祥子さまが?祐巳の為に?それって。

 「ええええええええええ!!!」
 「なんなの!祐巳さん」

 先ほどの由乃さんの声どころではない叫びが部屋中に響き渡った。
 祥子さまが祐巳の為にドーナッツを作ってくださるなんて、そんな、嬉しすぎます!
 もう、祐巳の心はワルツどころかディスコででも踊りそうな勢いで舞い上がっていた。

 「明日、楽しみに待ってらっしゃい」
 「はい!」
 「へー、祥子がねえ」
 「何かしら、令」
 「いや、まさか祥子が祐巳ちゃんの為にドーナッツなんて」
 「失礼ね、わたしだってお菓子の一つや二つ作れるわよ」

 ああ、お姉さまが祐巳の為に手作りドーナッツを。祐巳はそのお言葉だけで幸せです。
 お顔を窺うと、任せないっていう自信をありありと浮かべてらっしゃる祥子さまが居る。
 それはとても凛々しくて、祐巳はうっとりと眺めていた。

 「何かしら、乃梨子」
 「え、ううん。なんでもない」

 隣を窺うと、乃梨子ちゃんが志摩子さんをじーっと見ていた。
 紅と黄の薔薇様が妹の為に手作りドーナッツをなんて話になってしまったから乃梨子ちゃん
 もやっぱり志摩子さんに作って欲しいのかな。って祐巳が見ていると、志摩子さんは天使の
 ような笑顔で「わかったから、そんなに見つめないで」って。
 その言葉を聞いた乃梨子ちゃんの嬉しそうな事と言ったら、普段あまり感情が顔に出ない分
 余計に幸せそうに見えた。

─────────────── * ──────────────────

 「くふふふー」
 「なんだよ、気持ち悪いなぁ」
 「ふふん、今は何を言われても嫌な気ひとつ起きないのだよ、お姉ちゃんは」

 祐麒が参考書を手で振りながら嫌味を言ってくる。
 まったく、宿題の参考書を借りに来たと思ったら一言多いんだから。
 必要な参考書は渡したんだからさっさと出て行きなさいっての。

 「はぁ、まったく、祥子さんが絡むと浮いたり沈んだり忙しいのな。祐巳は」
 「うるさいなぁ、さっさとお行き」
 「はいはい」

 ぶつぶつと言いながら祐麒は部屋を出て行った。まったく、可愛くないんだから。
 大好きなお姉さまだから一喜一憂できるのよ、ほっといて頂戴。

 「あー、早く明日にならないかなぁ」

 お姉さまの手作りドーナッツ。どんな風なのかなぁ、やっぱり祐巳好みにあまーいのかな、
 それとももっと甘さ抑え目の上品な味かな、やーん、どきどきする。

─────────────── * ──────────────────

 「ごきげんよう、祐巳」
 「ごきげんよう。お姉さま!」

 あぁ、お姉さま。祐巳にはこの一晩がどれだけ長かったか。やっとお姉さまの手作りの
 ドーナッツにお目にかかれるのですね。

 「ごきげんよう、紅薔薇さま」
 「ごきげんよう、黄薔薇さま」

 令さまと挨拶を交わされるお姉さま。あれ、なんだか令さまの表情がぎこちない。
 なんだろう、まさか令さまに限ってドーナッツの出来が悪いなんて事は無いだろうし。

 「さて、皆様もお揃いになった事ですし。薔薇様方のドーナッツ対決へと参りましょうか」
 「よ、由乃!」
 「いいじゃない、お姉さま」

 由乃さんは今日もイケイケだ。
 そりゃあ、令さまが一番の出来なんてのは解っているけど、今日の由乃さんはすっごい妹馬鹿
 なオーラを撒き散らしている。
 けれども、今日だけはそんな由乃さんに負けないほど妹馬鹿なオーラを撒き散らしている祐巳
 も人のことは言ってはいけない気がする。

 「令ちゃんのは……」
 「あ、由乃!」

 由乃さんが令さまの持ってきた紙の箱をぱかっと開ける。
 そこには専門店でケースに並んでいそうなすごい出来栄えのドーナッツがぎっしりと並んでい
 た。粉砂糖を塗したオーソドックスなもの、チョコレートが掛けられたもの。そして昨日の夕
 方に由乃さんが念押ししたシナモンパウダーの塗してあるもの。

 「さ、さすが令さま」
 「凄いですねぇ」

 祐巳と乃梨子ちゃんは声を揃えて感嘆した。さすが令さま。
 初めて令さまお手製の作品を目にする乃梨子ちゃんは本当にうっとりって感じで箱の中に見入
 っている。

 「しょうがないわね、仕事を終わらせてからと思っていたのだけれど」
 「そうしてしまうと、痛んでしまいますわよ、祥子さま」

 由乃さんは令さまのドーナッツの出来に皆が感心しているのが嬉しいのかこれでもかって言う
 くらい、にこやかな笑顔で祥子さまにアドバイスをした。
 確かに、夏休みの終わり頃とはいえ、残暑はとっても厳しいので食べ物の足は速いと思われた
 し、薔薇の館には冷房なんていう文明の利器はまったく無かったから。
 あ、冷蔵庫はあるんだった。

 そんなことをぼんやり考えているうちに祥子さまはお持ちになった紙バッグの中からどこかで
 みたような紙箱をお取りになった。
 あれ、この箱って、令さまと同じ?

 「あ……」
 「しまった」

 祥子さまと令さまが顔を見合わせて小さく呟かれた。
 ということは……

 「ふーん、昨日、由乃の部屋に来なかったのはそういう事でしたの。お姉さま方」
 「あう」
 「え、え、え」
 「ごめんなさい、祐巳」

 はい?
 祥子さまは悔しそうに祐巳の耳元で小さく真実を教えてくださった。
 昨日、祥子さまは令さまと一緒にドーナッツをお作りになったとか。
 一旦、自宅に戻られてキッチンで材料を広げ出したところ、祥子さまのおうちのコックの方がお
 手伝いと称して殆ど自分で作ってしまわれそうだったので慌てて令さまの所にお電話をされたそ
 うだった。ドーナッツつくりは初めてだったのでコーチは必要だったから。
 おうちのコックの方はコーチだけでは済まなかったので令さまにっていう事らしい。
 でも、お姉さまがそこまでして手作りにこだわって下さったのがとても嬉しかった。

 「でわ、最後にわたしの物を」
 「あ、わたしが開きます、お姉さま」

 志摩子さんが取り出したのも紙箱だった。お姉さま方のものに比べたら幾分小さめの白い紙箱。
 紙箱の中にはとってもシンプルなドーナッツが入っていた。
 生地を揚げて、粉砂糖を塗しただけのシンプルなドーナッツ。お母さんが作ってくれるドーナッ
 ツにそっくりだったけれど、とても柔らかそうで志摩子さんの愛情たっぷりって感じだった。

 最後に、乃梨子ちゃんと祐巳が全員分の紅茶を煎れて、みんなの前に並べた。
 もちろん、紅茶は昨日祥子さまがお持ちになったあの紅茶である。

 「それでは、頂きましょうか」
 「はい」

 由乃さんは令さま。乃梨子ちゃんは志摩子さん。そして祐巳は当然、祥子さまのお作りになった
 ドーナッツに小さくかぶりついた。
 柔らかい。
 口の中でふんわりととろけていくような口当たりが心地よくて、ちょっときつめの塩味が……
 塩味!?

 「こ、これは……」
 「まさか……」
 「う……」

 祥子さまと令さま、そして祐巳と由乃さんが揃って顔をしかめる。
 祐巳の斜め前に座っている志摩子さんと乃梨子ちゃんだけが美味しそうに、そして祐巳たちを
 不思議そうに見てドーナッツを口にしていた。

 「さ、祥子……」
 「い、言わないで。令」

 どうやら砂糖と塩を間違えたのは祥子さまのようだった。
 お姉さまぁ。

 「ご、ごめんなさい。令、由乃ちゃん、祐巳」
 「い、いえ、お姉さまが祐巳の為に作ってくださっただけで祐巳は幸せです」
 「祐巳……」

 祥子さまのお顔が綻んだ。
 だって、本当にお姉さまのそのお気持ちだけで祐巳は幸せなんですもの。

 結局、志摩子さんの作ってきたドーナッツをみんなで分けて仲良く頂いた。
 失敗作となってしまった豪華なドーナッツたちはどうなったかって言うと、食べ物を残すのはい
 けないと思ったので、紅薔薇、黄薔薇姉妹が持って帰って食べる事にした。結局、志摩子さん
 達も手伝ってくれたので一人の分量は2個で済んだのだけれど。

 「今度はこんな失敗はしなくてよ。祐巳」
 「はい!」

 お姉さまは明日にでも再挑戦して来られそうだった。

  − f i n−


ど・お・な・つ の真ん中は!  穴があいてるの。
ごきげんよう。
なんか、夕方に兄弟が買ってきたミスドのドーナッツ食べてたら思いつきました。(笑)
甘いですねぇ。甘々ですねぇ。
こういう、普通な祥子・祐巳は初めて書いた気がします。
何気に祐麒も初登場(笑)
カロリーもかない高めなのでご注意のうえご賞味ください。
それではまた近いうちに。


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