Cross of the EDEN
エデンの園の十字架


『キャビネサイズと現実と』


 ─つまらない。

 こんな事を考えるのは不謹慎だと、乃梨子は判っていた。
 けれど、折角楽しみにしていたショッピングを反故にされてしまったのは理性とは別の所で抑える
 事の出来ない想いとなって渦を巻いている。

 「あーあ。暇だなぁ…」

 勉強机の椅子に思いっきり背を預けて、乃梨子は天井を仰ぎ見た。
 今年の2月頃、乃梨子の居候の件を快く承諾してくれた菫子さんが、片付けとともに壁や天井を養
 生してくれたので、今のところ染み一つ出来ては居ない。
 早いもので、リリアンに入学してもうすぐ半年。それは、とりもなおさず志摩子さんと出会ってか
 らの月日とほとんど変わらない時間の長さだった。

 机の上に置かれたパソコンの画面を眺める。
 タクヤくんのところを始めとする、お気に入りのウェブサイトの巡回も随分前に終わっていたし、
 メールの着信もなかった。余りにやる事が無いから、十分位の間隔で送受信のボタンをクリックし
 続けていたから。ただでさえ数の少ない乃梨子宛のメールの返事も既に送信済みだった。

 「志摩子さーん……」

 パソコンに表示されている時間を見る。
 14:30─
 まだまだ長い日曜日の午後。
 朝、出かける準備をしている途中で志摩子さんから電話があった。
 以前から危険な容態だった檀家の方が昨夜お亡くなりになったと。小寓寺で通夜を行うのでは無い
 そうだったけど、葬儀を行う準備や段取りがあるので、当然ながら志摩子さんもお手伝いに出なけ
 ればならず、今日のショッピングはお流れになった。

 「仕方が無い。仕方が無いんだけど……」

 亡くなられた方や、ご家族の方には本当に申し訳なく思う。どんなご苦労があるかも判らないし、
 例え見ず知らずの人であっても、人が亡くなるのを聞かされるのは悲しい事だった。
 けれど……。
 学園祭が近づくにつれ、乃梨子も志摩子さんも忙しくてなかなか遊びに行こうと言う話が出来なく
 なってきていた。そんな折、ネットで見かけた小奇麗なアクセサリーがお昼の話題に上り、志摩子
 さんが「今度の日曜日にでも見に行ってみたいわね」なーんて口にしたものだから、久しぶりに二
 人っきりでお出かけだって乃梨子は期待一杯、嬉しさ一杯ではしゃいでしまっていたのだ。
 期待が大きかっただけに、それが無しになってしまったときのショックは大きかった。
 結局、楽しい筈の一日は、ただただ空虚で退屈な一日へと変わってしまった。

 「志摩子さん……」

 朝から何度目か判らない呟き。
 硝子のフォトスタンドの中で、マリア様のような笑顔で微笑んでいるお姉さま。
 武嶋蔦子さまが、志摩子さんに渡された写真だった。
 そのとき、一緒にいた乃梨子が「綺麗……」って言葉を洩らしたのを聞き逃さなかった志摩子さん
 がくれた写真。

 「そんなに気に入ってくれたのなら、乃梨子が持っていて頂戴」
 「え、いいの?」
 「ええ。その方がわたしも嬉しいわ」
 「わ、わ、大事にするね!」
 「それに、その写真の中の私も乃梨子と一緒のほうが嬉しいと思うの」

 あの時の志摩子さんの言葉を思い返して、乃梨子の顔は火照ってくる。
 乃梨子と一緒のほうが嬉しい。

 「私だって、そうだよ」

 写真の中の志摩子さんに向って呟く。
 でも……。
 写真じゃなくって、本物の志摩子さんと会いたかった。
 学校の中では当然のように毎日逢っているし、お話も出来る。
 でも、休日と言うプライベートな時間を割いて逢うのとは、その心の昂ぶりが違う。
 学校と言う、いわば公の場所ではなく、私服を着て、お互いの時間を相手のために捧げあう。
 二人きりで。
 そうする事で、また新たにお互いの想いを確かめ合う。
 一度知ってしまったら、決して止める事の出来ない麻薬のような気持ち。

 ─恋は麻薬。

 誰が言ったのか知らないけれど、本当に上手い事を言うものだ。
 異性、同性なんてものは関係ない。
 好きなものは好きなのだ。
 乃梨子の場合、好きになった人がたまたま女の人だっただけ。

 「志摩子さん……好き……」

 呟いて、写真の中の志摩子さんにキスをした。
 自分でもわかるほど、うっとりと志摩子さんを見つめる。

 「の……乃梨子……」

 志摩子さんの声が聞こえる。
 もしかして末期症状かも、なんて思ってしまう。ここに志摩子さんが居る筈ないのに。
 空耳まで聞こえてしまうなんて。

 「気持ち悪い事してるんじゃないよ、リコ」

 えぇ! 乃梨子は冷たく言い放つ大叔母の声にハッとして、慌てて入り口を振り返った。
 入り口には菫子さんが居た。そして、その菫子さんの肩越しからこちらを驚いたような顔で窺って
 いる志摩子さんが見えた。

 「し、志摩子さん!なんで、どうして!」
 「きょ、今日の約束を守れなかったから……時間が空いたのでせめて少しはと思って……」
 「下で彼女と会ったから一緒に上がってきたんだよ」

 なんて言う事!
 余りの恥ずかしさに、思わず隠れるところを探してしまった。
 ベッドの中、クローゼット等々。
 しかし、そんなこと出来るはずも無く、事態を収拾することなんて考える余裕も無くて。乃梨子は
 志摩子さんと菫子さんを呆然と眺めているだけだった。

 「ごめんなさいね、気持ちの悪い子で」
 「い、いえ、そんな」

 気持ち悪い……。
 たしかに一人でぶつぶつ呟いて、写真にキスしたりしている姿は見ていてあまり気持ちのよいもの
 ではないだろうけど、あまりに酷い表現ではないだろうか。

 「今、お茶でも入れるから中で待っていて頂戴。志摩子さん」
 「あ、はい。有難うございます」
 「あんまり不気味だったら居間でも構わないけど」
 「す、菫子さん!!」

 乃梨子の声に菫子さんは「おお怖い」とか言って、キッチンの方に去っていった。

 「お邪魔します」

 一言告げて、志摩子さんが部屋に入ってくる。
 志摩子さんの顔に浮かぶその表情は、なんとも照れくさそうに見えた。

 「あ、あの、ご……御免なさい」

 恥ずかしい。恥ずかしすぎてどうにかなってしまいそうだった。
 見られた。見られた。よりにもよってこんな所を志摩子さんに。

 「謝る事なんてないのに」
 「え……?」

 改めて志摩子さんの顔を見てみると、その顔はにっこりと微笑んでいた。

 「写真より、本物のほうが良いでしょう?」

 その微笑は何時ものようにマリア様のように慈悲深くて。でも、どこか妖しさを漂わせる悪戯な子
 悪魔のようで。

 「志摩子さん……」

 椅子に座ったままの乃梨子に、志摩子さんはゆっくりと近づいてきて、その細くて白い指で乃梨子
 の髪を梳いていった。
 乃梨子の頭の中は、志摩子さんの甘い匂いと醒め切らない先ほどからの切ない想いの余韻で何も考
 えられなくなっていく。
 志摩子さんと乃梨子の顔の距離が更に小さくなる。
 静かに目を瞑り、その瞬間を待ち望む。
 そして、乃梨子の唇に触れる柔らかい感触。

 「志摩子さん?」

 その感触に違和感を感じて、乃梨子は瞼を開いて志摩子さんを見た。
 乃梨子の唇に触れた柔らかい感触は、志摩子さんの人差し指だった。

 「お・あ・ず・け」
 「な、なんで?」

 志摩子さんは意地悪気にそう言って、テーブルのほうに戻っていった。

 「酷いよ!意地悪しないで」
 「駄目よ。私、妬いてるんだから」
 「誰に!」
 「写真の中の私」

 志摩子さんは微笑んだまま、予想外の答えを口にした。
 写真に嫉妬。
 志摩子さんが乃梨子のために嫉妬してくれるのは、正直嬉しい。それだけ志摩子さんに想われてい
 るという証だったから。でも、でも。写真の中に居るのは志摩子さんなんだし、ここまで期待させ
 ておいてお預けなんて酷い。

 「志摩子さぁん」

 乃梨子の懇願にも志摩子さんは全く動じる事無く、ニコニコと微笑んだままだった。
 結局、この日は乃梨子がどれだけお願いしても志摩子さんがしてくれる事はなく、乃梨子から迫っ
 てもさらりと受け流されて、乃梨子は悶々とフラストレーションを溜めるだけだった。

 「志摩子さんの、バカ……」
 「ふふふ」

 ああ、この欲求。どやって処理したらいいのだろうか。
 その唯一の方法を行使できる彼女は、マリア様のような微笑のまま乃梨子を見ていた。

  − f i n−


 ごきげんよう。
 よし、今回はキス無しで出来ました(馬鹿)
 どうにもオチで詰まりまくっていましたが、久しぶりに甘々な「しまのり」を書けて
 楽しかったです。
 しかし、だんだん志摩子が黒くなっていく。何故?
 相手が乃梨子だからでしょうか?不思議です。決してくろしまこにするつもりは無いのですが。
 困った物です(汗)
 それではまた近いうちに。


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