快走 阪神電車=阪神電車の 種類その2 (現行形式)=

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ご意見無用!走れ韋駄天、阪神電車!

ともかく「かっこいい阪神電車」を見てください。

 

 


目次

5001形(2代目)

5311形

5131/5331形

5500系(5501・5601形)

7890・7990形

7861・7961形

2000系(2001・2101・2201形)

8000系(8001・8101・8201形)

8000系(8011・8111・8211形)

9000系(9001・9101・9201形)

9300系(9301・9401・9501形)

 


1.普通車

5001形(2代目)

行き先表示幕、固定編成になった新5001形 
2000年8月 淀川

1977年製造の5001形2代目(後に趣味誌では新5001形と呼ばれる)は、5001-5002+5003-5004の2編成4両 が、共に試作車的な旧5001形5001+5002、5201形5201+5202(ジェットシルバー)の代替えとして登場した。当時の「鉄道ファン」 1977年8月号の記事でも代替えであることが明記されていた。

そのため筆者は、新造5001形は4両のみで、以降は5201形、5101形の冷房化が進むものと思っていた。実際半年以上、5001 はこの編成のみだった。

ところがあっという間に全ての5201,5101を淘汰してしまった。しかも増備車の下回りは、更新された5201,5101の台車、 駆動系をそのまま流用しており、冷房化車体更新以外は、新5201形(冷房改造)と言ってもいいくらいだった。(下回りは台車が新造ミンデン、駆動系が直 角カルダンから中空軸平行カルダンドライブに、ブレーキが抑速付きに改造されていたが、旧5001、5201銀車などは更新されていなかった)

この形式は同時期の3801形第三編成と同じボディでデザインも”完成形”だが、ジェットカーとしては「前パン」でなかったのが残念 だった。

新5001形などというには車歴が経ってしまった。1989年から4両固定編成化が行われ、行き先表示幕、最前部冷房機交換、幌廃止に より、デザインが崩れてしまったが、今や「青胴車」は外観上これしかない。現行ジェットカーの中では空気ばねの乗り心地、抵抗制御の発進音など含めて、今 ではこれが一番好きな車両である。

行き先表示板の付いた新5001形オリジナル
1985年3月 淀川
2004.2 大物

1984.5

1985.8

5311形

2002年8月 武庫川-鳴尾

一編成だけが残る1968-69年製造の「経済車版ジェットカー」である。

4両のみの地味な形式だったが、1980,81年に冷房化、2両ユニット化されその際、電機子チョッパ制御車になった。この主制御装置 は三菱製、5151形は東芝製。その後の5131、5331形も100番台300番台で制御装置メーカーがわかると芸が細かい。

このときの改造は、ジェットカーの省エネルギー対応と冷房改造の方向を決める試作的要素を持った重要なもの(「鉄道ファン」1980年 8月号の記事)だったが、結果として省エネルギー効果は採用され、冷房は改造ではなく新造で対応するということになった。結果、5231形は全て廃車、 5131,5331形を新造することになった。

5151形亡き今、5311形は唯一の前パン車として注目されたが、5311-5312が1999年に廃車となり、5313-5314 が残るのみである。本線を走る行き先表示板もこれだけである。

  

1999年11月 梅田

 

 2009年1月

5131/5331形

2000年2月 石屋川-新在家 

5131形は、1981年に2編成製造され、1983年までに14両7編成になった。

5331形は1981年末に一編成、1983年までに10両5編成製造された。

この2形式の違いは、電機子チョッパ制御装置のメーカーが5131形は東芝、5331形は三菱電機というもので、併結も可能に仕様を揃 えてあったので運用上は違いはなかった。

当時、「保育社カラーブックス日本の私鉄12阪神」1982年2月発行に新品の写真が載ったが記事はなく、「ヤマケイ私鉄ハンドブック 5阪神」1982年6月発行に若干の記事付きで紹介されたが、月刊鉄道雑誌では無視された。「鉄道ピクトリアル1985年8月阪神電気鉄道特集で、この形 式の扱いは小さく、「台車、主電動機は5231形から転用」と記載されたことからか、どうもこの形式は軽く扱われているような気がしてならない。

登場時の運転台上の「前パン」は下方交差の小型ながらも、ジェットカーの本流を感じさせ、3901形と同じ阪神通勤型デザインの完成形 の車体と行き先表示板で、筆者は「ジェットカーが蘇った」という印象を持ったものだ。

金属ばね台車も保線の行き届いた阪神では問題にならず、むしろ待避線に入るときの(他電鉄と比べて)急なカーブを通過するときのローリ ングに対しては程よい吸収をする。空気の抜ける音もない。主電動機の出力差などは乗っていてわからない。

しかし筆者が嫌いなのはサイリスタチョッパの大きなブザーのような音である。この音により折角の加速時、減速時の日本一のモータ音がか き消されてしまうからだ。

ともかく外観は全ての阪神電車の中でもっとも美しい車体だった。写真を見て欲しい。これぞ電車だ。

しかし、1989年以降5001形同様固定編成化された際、編成中二つあればよいパンタグラフは中間車側に移り、同一形式ながら制御車 と中間車が2種類づつ生まれた。これは5001形も同じである。外観上は5001,5131,5331は同じになってしまった。

なぜ前パンは嫌われるのか?架線との摩耗粉が前面に付くからかわからないが、何とか復活して欲しいものだ。(と思うのは筆者だけ?)

前側パンタグラフ時代の電機子チョッパ・ジェットカー5131形
1986年11月 淀川
1991年12月 淀川

 

1982年4月 梅田-福島

 

 

1995.7
阪神大震災で被災した5337-5338は廃車になってしまい、編成替 えを実施、混成編成の5143Fを分解して、5339- 5340を5335-5336の神戸寄りに連結することとした。余った5143-5144は同じく連結相手を失った5269-5270を神戸寄り に連結して、5143-5144+5269-5270で4連を組むこととなった。さらに、5261形1次車の全廃に伴い、5143-5144は連結相手を 5313-5314に変更したので、ずっと方向幕を普通に、行き先表示看板を表示している。

 

 

5500系(5501・5601形)

1999年5月 淀川 

1995年10月竣工。

5500系は奇しくも起きた大震災の復旧時のシンボルとして登場した。震災で失ったジェットカーの復旧が急がれていた状況下で、なんと 阪神は新設計の車両を投入した。阪神の心意気だった。

実際には、以前から計画が進められていた新ジェットカーを早期に立ち上げたものだ。当時制御方式の技術革新が起き、直流モータではなく 交流モータで、省エネを狙ったVVVF方式が台頭し、各社採用してきていたが、「技術の阪神」としてチョッパ制御を初めて採用した阪神は大手私鉄の中で唯 一VVVFをもたなかった。ジェットカーの加速度が達成できないからではとも噂されていた。

加速度4.0km/h/s、減速度4.5km/h/sでそれぞれ0.5km/h/s従来より減少しているが、中高速での性能向上により 運用性能は維持し乗り心地を向上させた。

何と言っても驚いたのはそのデザイン、特に色だ。上に車種を表す伝統の青、下は白(グレー)とした。これはすでに新8000系で近畿車 両と共同で検討されていたものだったが、震災復興で新生阪神を象徴した。

筆者は色については従来色のままでも似合いそうなデザインのため、変えなくても良かったとも思う。個人的に従来のマリンブルーが好きな ためでもあるが、パステル調の青が色あせしたような色で、JRがさかんに旧型車をパステルカラーでべたべた塗り直した品の無さも連想した。しかしその後青 が若干濃くなって落ち着いた。また従来車はこの色にしないというのも懸命だ。

ウチの子供はこの色の電車が一番好きだ。従来車を、古い紫の電車、と言って親は一気に古い人間扱いされてしまった;)。

 
 2000年5月 魚崎
2003年7月24日 魚崎-青木
2004.2 魚崎-住吉

2008年7月 淀川 



7890・7990形

2002年8月 武庫川

武庫川線は阪神の数少ない支線の一つだがわずか1.7kmの路線である。

以前は洲先までを3301形単行がことこと走る不思議な雰囲気の支線だったが、1984年に武庫川団地前まで伸延、7861-7961 形の2連になった。

一方3801-3901形は、1974年製の第一、第二編成と1977年製の第三編成があった。

しかし、第一編成が何度か脱線事故を起こし、1986年、第一編成のみ廃車になった。残る8両を6両と2両の編成替えを行った。

7890は3904(第二編成Tc)を改造、電動車化したMc、7990は3905(第三編成Tc)を改造。子細に見ると全長が 100mm違い、前面行き先表示器の取り付けが違う。末尾番号が「0」は阪神ではこれと救援車の110(電話番号です)だけである。

7890は廃車となった第一編成の動力を使用したが元来M-M'の片割れの4個モータを永久直列制御のため、低速専用になったので本線 は走れない武庫川線専用である。

また、パンタグラフは先頭2個目のクーラーを外したところに設置したため、「準」前パンである。

いまや武庫川線の「主力」形式である。

2002年8月 武庫川

 


2.急行車

7861・7961形

 
1974年魚崎

1966年-68年新造。7861(Mc)-7961(Tc)の2両固定編成で、当時多くの急行形が4両固定編成になっいて、 編成の長大化に伴い6両編成を構成するのに必要な形式であった。また、西大阪特急に充当されることが多かった。

車体は7801形と全く同じだが、7864以降、前面の縦雨樋が内蔵された。また他形式に先駆け1971年冷房化され、 7801形で行う内装改良も先行して行われた。さらには客室内壁を緑からベージュに変更したり、武庫川線用7968に車椅子スペースを設置したりと、最新 設備に更新してまだまだ使うようである。

現在も5編成10両が主に西大阪線、武庫川線で活躍中である。急行系片開き扉の車両はこの7861形のみになって貴重な存在に なってしまった。2両編成は阪神の運用思想の変化(固定編成化)から、武庫川線にのみ必要になっているが、7890-7990のみでは無理なので、当分こ の形式は安泰のようだ。

 

1996.7 大物
2003年7月 西九条

2000系(2001・2101・2201形)


1998年8月 大物 

1970年に登場した7001形と7801形3次車はセットで製造されたにも関 わらず、冷房化改造が進んだ後は全く組み合わせて使う気 もなかったようで、いつも「凸凹編成」(7001と7861のような)だった。ところが1990年頃から急に編成を組むようになったと思ったら、2000 系への改造だった。

2000系は、もともと7001形が電機子チョッパ制御だったものを、回生・抑 速ブレーキ付きの界磁添加励磁制御装置に改造したもの で、3000系(7801形一次車改造)の界磁チョッパに比べ主電動機を複巻に交換しなくて良いというメリットがあったため、らしいがよくわからない。

外観上は固定編成になったため5001形に合わせて、幌が無くなりステンレス飾 り枠が付き、運転台上のクーラーキセが角形になったのは 閉口したが、それなりに美しい編成だった。しかし1994年頃からスカート(排障板)の取り付けもされた。筆者はこれが嫌いで、少なくとも改造で付けるの はやめて欲しい。その点3801->8801への改造のように幌枠も冷房もスカートもそのままという改造は好感が持てるのだが。少しは先達のデザインを尊 重して欲しい。

記憶では関西私鉄でスカートを付け出したのは阪急があったが、たしか京阪の列車 妨害(線路に鉄材を固定した悪質な)からだと思う。こん な輩のせいでスカートが必要になったと思うと腹立たしい。が、阪神はもうほとんど高架だしいらないのでは?(今のデザインではスカートがあっていいと思っ ている)

2000年2月 甲子園-鳴尾
1993年5月 淀川
2003年7月 香櫨園

2008年7月 淀川

8000系(8001・8101・8201形)

1996年8月 淀川 

8000系8001形は試作要素の多い一編成のみの存在であった。1984年、3301形単行がとことこ走っていた武庫川線が、浜側に できた武庫川団地まで伸延されたのに伴い、公団が三両分負担して新造したことになっている。当然、武庫川線には7861形2編成が入り、8001形は六両 固定編成の本線専用になっている。

急行形は普通形のような電機子チョッパでは不経済で、3000系で確認された界磁チョッパが有効であることから、大量増備の前段階の試 作車的目的をもって、制御系、ブレーキ系、配電系が一新されている。

しかし、趣味的には外観が、3801形と類似ながらも固定編成であることから貫通幌が無く、のっぺりしているのが許せない。このまま増 備されたらいやだなと思っていたが杞憂であった。

震災で編成の半分を失ったが、残り半分を8011形とし、前後で顔の違う異色編成になっている。意外なところで同じ8000系であるこ とが証明された。制御車が8502なのは、元8201の向きを変え、8202の替わりに付けた震災復興車であるためである。


1984年5月3日

1985年8月17日

8000系(8011・8111・8211形)

2000年8月 淀川 

1958年以来、阪神電車の前頭部基本デザインは変わらなかった。(ファンにとっては経済車や雨樋内蔵などの変化は見て取れるが)

阪神にとって足回りに大きな変化のあった8000系も車体変化はほとんどなかったので、そのまま増備されるのかと思われたが、阪神は やってくれた。

1985年新製の8000系は車番をとばして8011形として、車体デザインを一新した。「新8000系」とも呼ばれた。

もっとも目に付くのは前頭部の変化で、運転席窓を大型化し、行き先表示をブラックフェースに浮かび上がるように内蔵した。貫通扉は非常 用として小型化され、フラットサーフェイスとなった。スカートも新設された。

側窓は(阪急ではなく)小型車以来の下降窓になった。

そして外装色は阪神伝統のクリームに赤。

一方、内装も一新された。従来の通勤車標準であった薄緑色(混雑時にはこの色が精神を安定させるということであったが)を明るいクリー ムに変更、地下駅内でも明るい雰囲気になった。

20編成も製造される中で、21編成が製造途中に震災になった。

震災後、19編成になっているが、この8011形として、大きく3タイプに分かれる。

分散式冷房装置が集約分散式に変更になり屋根が高くなったものと、側窓が上下に大きくなり、支柱を黒くして連接窓風になって、バケット シート、LED案内表示を初めて採用したものである。しかし、細かくは相違点が多く、同一形式なのが不思議なくらいだ。

2000年8月 淀川

  

2002年8月 武庫川
 

 

2002年8月 武庫川-鳴尾

8011の第一編成は、リニューアル工事によって、9300系につづくクロスシート車となった。

室内は、先頭車はロング・バケットシート、中間車はクロスシート、オレンジ色のシート地となって、9300系とほぼ同等の仕様になって いる。

外装色も上がオレンジ、下がベージュの新塗色になり、9300系と同じグループであることを主張している。

リニューアル車はさらに増えており、廃車形式が一巡した現在、9300系の増備ではなく、8000系の改造が行われるようである。 

 

2002年8月 梅田

9000系(9001・9101・9201形)

2000年8月 淀川

 

 

阪神大震災で被災した赤胴車のうち8000系の復旧車をのぞく30両は新造車として一気に製造されることになって話題になった。

ジェットカー5500系新造車が先行して登場したが、当時の武庫川車両の製造キャパからいって、急行車は川崎重工兵庫工場の外注にな り、そこでの製造都合によりステンレス車両となった。この頃、ニフティサーブの掲示板で噂が飛び交っていた。

かつての5201-5202はスキン・ステンレス車両といって、構造体は普通鋼、外板のみステンレスであった。オール・ステンレス車両 は米国バッド社の特許技術で東急車輌が製造したものが日本では唯一のものだったが、東急車輌が技術公開することで各社がステンレス車も製造して、JRに採 用されだしていた。

1996年3月に石屋川車庫復興に合わせて登場した9000系は、最近の軽量ステンレス構造車両工法で、かつてステンレス車の特徴だっ たコルゲートがない。また東急車輌のように妻部が切り妻にならず、通常の8000系デザインを踏襲し(この前面は普通鋼製)、思ったより阪神らしい車両に なっている。

急行系初のVVVF制御で、モータ出力(130kW)減速比(97:16)は5500系の110kW、99:14と異なるが制御系は基 本的に同じである。加速度が違うのでVVVF独特の音色が違うようだ。なお、ジェットカーは従来車輪直径が小さいもの(φ760)が使われて加速性能に貢 献していたが、この形式は急行系と同じ(φ860)になった。部品共通化ということか。

他に冷房装置もセミ集中式二基になったがこれも5500系と共通。

山陽電車に似ているという人もいるが、前面から見ると裾Rもあって(ステンレス部にはない)格好良い。

2002年に武庫川車両が解散し、メンテナンスのみの会社になったので、もしかしたら以降の新造車は9000系のようになるかもしれな い。

2002年8

2009年7月

2009年3月、待望の 難波延長線=なんば線が開通した。このとき新1000系が新造されたが、それだけでは数が足らないので、うわさでは6000系という新普通車が作られるこ とであった。

そして9000系が加速度を上げる改造をしてなんば線に投入されるという噂が出た。

結局、これもガセで、実際には抑速ブレーキなどの改造を施 した。

6連だが、2連の新1000系と連結できるように大阪寄り制御車中央に連結幌取り付けが出来る。

同時にカラーリングも大きく変わり、赤胴車の流れを 汲むオレンジ(といっても黄色に近い)となった。新1000系と揃えたわけだが、色は変えなくても良かったのではないだろうか。



 

9300系(9301・9401・9501形)

2001年5月 魚崎
永年待望のクロスシート車9300系

2000年、阪神電気鉄道としては異例の完成デザイン予想図とともに、クロスシート急行車9300系開発が発表された。2001年その 勇姿を現し、2001年3月10日、ダイヤ大改正に伴って運用に入った。

車両としては、9000系をベースにし、車体の鋼製化、VVVF制御装置のGTOからIGBTへ変更、装置の小型化と床下機械の見直し が計られ、走行性能は9000系と同じ加速度3.0km/h/s、減速度4.0km/h/sとなっている。

しかし何といっても車体の内外装の変更が大きなポイントである。

まず内装は、阪神にとってはじめての転換(セミ)クロスシートの採用(3011形は対向固定)、混雑の激しい先頭、後尾車両はロング シート、側トビラ幅は両開き扉としては1300mmと標準的(阪神は1400mmを採用していた)なものになった。シート色はオレンジ基調。

外装は、5500系で塗装色変更以来、急行系がどうなるかパソコン通信などでも話題になっていたが、上部が「プレストオレンジ」下部が 「シルキーベージュ」と武庫川車両が手掛けた叡山電鉄きらら号に似た色になった。「ジャイアンツ色」などと陰口も聞かれるが5500系とのペアとして予想 の範囲だった。

前面は9000系よりも5500系に近い上面がブラックフェイスになり、下部に「面取り」があるちょっと異色のデザインだ。正直、完成 予想図ではどうなるものかと心配したが、実写では面取りのエッジが良いアクセントになっているようで、デザイナーに敬意を表する。

3編成が竣工後、武庫川車両が解散し、8000系のリニューアルでクロスシート車が増備されている現状で、9300系がどうなっていく のか不明だが、この色は9300系が似合う。

2002年4月 魚崎
2003年9月 武庫川
2004.3 香櫨園

2008年7月 淀川

 

 

 


 

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