私の「コンピュータ」履歴書 No.11

新しいメインフレーム


お気楽なM1(大学院修士課程1年)とは言え、一応のところ、研究室での役割分担もありました。
私に課せられた役割は、ある大きな実験で使う実験装置の一つの試験と改良、コンピュータを使ったデータ取得の仕組みの構築、そこから得られたデータの処理のプログラミング、と、ハードウェアからソフトウェアまで、広範囲にわたるものでした ←そんなに仕事があって、PC98でゲームなんかやって遊んでいていいのか?
まあ、いずれにしても、「物理学」とはあまり縁の無いことばかりやっていたような気もするのですけど、実験物理の世界なんて、そんなものだったりする(←おい)。
しかもはじめのうちは、完全にハードウェア寄りのことばかりやっていて、コンピュータとは(ゲームを除いては)あまり縁の無い生活を送っていました。まだM1の頃はまだ日曜日は休めたので、とりあえず、月曜日から土曜日まで、朝に家を出て、深夜に大学の研究室を出る、という生活を繰り返していました。
当然、時間もお金も無いので、自分でパソコン(マイコン?)を買って、などというような、そういう生活はやりたくても出来ない状況でした。でも、研究室では、PC98はいろいろ触れるし、NECのメインフレームでいろいろ遊んだりも出来るし、まあ、別に家に帰ってまで…という気持ちでしたね。

ちょうどその頃、研究室にあるメインフレームを新機種に交換することになりました。同時に、周辺機器もほとんど総取替え。
プリンタは、それまで使っていたのは、ラインプリンタ(と言っても、若い人は知らないかも知れませんが、印字の桁数分の活字セットを持ったインパクトプリンタの一種)で、やたらうるさい上に、印字出来る文字が決まっているし、印字品質もよくないという代物です。まあ、インパクトプリンタなので、物理的に複写が出来るという特長を生かして、いまでも一部では使われていますけど、使われる機会はかなり少なくはなってきましたね。
それが、今度はレーザプリンタ。私がレーザプリンタを見たのは、このときが初めてだったと思います。ただ、レーザプリンタと言っても、いまパソコン用の周辺機器として売っているような小型のやつではもちろん無くて、かなりでかいものです。
このプリンタは、すごいなあ、と思いました。音はラインプリンタとは比較にならないほど静かだし、印刷速度は速いし、印字品質はきれいだし、しかも漢字や図形まで印字出来る。まあ、いまとなっては「それがどうしたの?」というようなものですけど、10数年前の当時としては、かなりすごいものだったりしたわけです。
それから、端末の数が3倍くらいになったのは、我々利用者にとっては大変便利でした。
それまで端末が少なかった頃は、学部生は原則として端末を使ってはいけない、という規則がありました(もちろん深夜のような人の少ないときには、こっそり使いましたが)。んじゃあ、学部生はどうやってメインフレームを使ったかというと、言わずと知れた「パンチカード」。
まあ、教官の中には、端末でTSSの使い方が分からず、端末を使っていいのに、相変わらずパンチカードでやっていた人もいましたが、我々からしたら、パンチカードなどと言う前近代的なものなど使いたくないわけで…。
他にも、CPUが早くなったり、メモリが増えたり、ディスクも増えたり、そんなこともありましたけど、新しいやつに変わって、一番よかったのが、レーザプリンタが入ったことと、端末が増えたことでしょうか。

まあ、当時のことですから、新しいメインフレームとは言っても、今のPCと比較したって、性能的には格段に劣るわけですが(値段だけは何桁も高いですけど)、数MB(確か、2MBとか4MBとか、せいぜいそのくらい)程度のメモリで、マルチタスク・マルチユーザと、プロセス(とは呼んでいなかったですが)毎に分離されたアドレス空間を持った、当時のメインフレームのOSは、それはそれですごいのではないか、などと思ったりもします。
それにひきかえ、数百MBものメモリを搭載した最近のPCって、いったい…。

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