新・闘わないプログラマ No.67

高い?


Windowsの値段が高いのではないか、という話が、特に海の向こうの方でありました。パソコン本体の値段がいまや「1000ドルPC」があたりまえ、800ドルも当然、500ドルあたりが主戦場になろうとしている現在、Windows98のOEM価格(マイクロソフト→PCベンダ)が100ドル近い、というのは他の部品に比べてどう見ても高い、ということのようです。「ビル・ゲイツも豪邸を建てるくらい儲かっているんだったら、Windowsの値段を安くしろ」なんてヨタ話もあったりするわけです。
「あなたはWindowsの値段が高すぎるとお思いですか」というようなアンケートがどこかのWebサイトであったと記憶していますが(どこだったか忘れた)、こんなのほとんどまったく意味がないですね。
たとえば、ありがちな例で言えば、TVの街頭インタビューで「あなたは今の税金が高いとお思いですか」ってことやったって、「いやあ、安すぎると思いますよ、私も含めてもっとじゃんじゃん取って下さい」なんて言うのはよほどひねくれた人間だけで(私ならそう言いそう)、ほぼ全ての人は「高くて大変ですよ」などと答えますからね。で、これをもって「ご覧のように、街行く人たちはみな重税感を持っている、今の税制に不満を持っている、ということが言えます」などという結論を導き出されてもほとんど意味が無いのと同じことです。

じゃあ「マイクロソフトも儲かっているんだから、もっとWindowsの値段を安く出来るはずだ」っていう主張、これもよく耳にするのですが、これも意味が無いですね。儲かっているのだったら安くする必要はないわけで、公共事業でも慈善事業でもないものに対してこんなこと言ったって何の意味もないわけです。
前述の「豪邸、云々」の話もそうですが、こういう下世話な話って、ビンボー人の僻み根性のようなものが感じられて、見ていて恥ずかしくなってしまいます。ビル・ゲイツにパイをなげつけたり、とか、下半身ネタで笑い者にしたり、とか、そんなのも似たような感情ですよね。何れにしても見苦しいことに変わりはありません。
こういう、僻み根性からくる「マイクロソフト叩き」って見ていてみっともないなあ、と思ってしまうわけです。中村さん外崎さんのように技術力と確かな情報をもとにマイクロソフトの悪い面を公にしてゆく姿勢の人がいる一方、その尻馬に乗ってわあわあ騒いでいるだけのみっともない人も多かったりするわけです。
まあ、それはともかく、儲かっているから安くしろ、という要求は全く意味がありませんし、ある意味、危険でもあると思います。現状のまま、ソフトの値段を安くされて困るのは、他の会社でしょうし(あくまで、現状だったらの話です)。

ここ数年の間に、パソコン(および、その周辺機器)の値段は凄い勢いで下落しました。いま私の目の前にあるのでも、定価100万円以上したパソコン(Macintosh Quadra 700)やら、定価40万円のディスプレイ(Nanao T560iJ)やら、定価30万円のスキャナ(Epson GT-8000)やら、やたら高額な装置が並んでいます(うう、昔は高かったんだなあ)。定価100万円以上のMacの隣りには、去年の秋に組み立てたPC(9万円くらい)が並んでいますけど、こっちの方が遥かに速いのは言うまでもありません。価格性能比で言えば、100倍以上にはなっているのではないか、と思います。
で、この劇的な価格性能比の向上はなぜ起きたか、と言えば、それはもう競争の賜物であるのは明らかです。もちろん技術が進歩した、というのもありますけど、技術の進歩を促したのも競争があってこそなわけで、結局はそこに行き着きます。
10年くらい前、日本のパソコン市場は、ほぼNECのPC98の天下でした。競争っていうものがほとんど無かったんですね。その結果どうなったかと言えば、海外に比べて異様に高いパソコンを日本の消費者は買わされていたわけです……アメリカあたりの2倍くらいだったと記憶しています。じゃあ、なぜ海外のパソコンが日本に入ってこなかったか、と言えば、当時の海外のパソコン(AT互換機)では日本語を取り扱うことが出来なかったからです。
そんなころ、日本IBMが、AT互換機でも日本語を取り扱うことが出来るOS(要するにDOS/V)を開発して販売しはじめました。その結果どうなったかと言えば、PC98の値段は下がりつづけ、ついにはPC98アーキテクチャはほぼ消滅してしまったのはご承知のとおりです。

さて、Wintelの片割れ、インテルに目を向けてみると、こちらもマイクロソフトとともに「我が世の春」を謳歌していたはずなのですが……ここにきてかなり雲行きが怪しくなってきました。互換CPUメーカーのAMDなどの激しい追い上げにあって、CPUの値段を必死になって切り下げるは、予定を前倒しして安くて性能のいいCPUを発売しだすは(余談ですが、PowerPC陣営もそのとばっちりは受けるは)、なんか傍から見てても「大変そう」なことはわかります。
我々ユーザーにとって見れば、安くて性能のいいCPUが手に入るのですから、こんないいことはありません。でも、去年の秋に、私はIntel Celeron 300AというCPUを、もうそろそろ底値だろうと思って、16,000円くらいで買ったのですが……いまや、その半分くらいの値段で売っていて、それはそれで複雑な心境ではあります。

で、結局何が言いたいか、というと、競争が無ければ価格は下がらないし、そこをむりに下げるようなことをしても(たとえば法律等で)、どこかに無理がでてうまくいかない、ってことなんですね ←ってあたりまえの結論ですけど。
ただ、ソフトウェアの特殊性というか、それが競争を阻んでいるのも事実です。互換性の問題、ってのが一つ挙げられて、データやら他のプログラムとの間の互換性・整合性を保つためには、値段が安いから・性能がいいから・信頼性が高いから、などと言って簡単に競争相手のソフトウェアに乗り換えることができなかったりするわけです。
極論ではありますけど、プラットフォーム的なソフトウェア、つまりOSやミドルウェアの類は、オープンソースのフリーウェアであるのが理想のような気がします。そうでなくても、APIの仕様の類はオープンであるべきだ、とは思うのですが、現状ではこっちの方が難しいかも知れませんね。

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