新・闘わないプログラマ No.40

「アンチマイクロソフト」という現象


いつの頃からでしょうか、こんなに「マイクロソフトバッシング」が盛んになったのは。中村正三郎さんなどはかなり以前から、マイクロソフトの商法に対してかなり批判的な立場でいろいろ述べられていますし、私なども大変参考になったことも多いです。Web上をちょっと廻ってみただけで、そういうサイトがいくつも見つかります。私なんかも、その尻馬に乗って、同じようなことを書いているときもあったりしますが(^^;)
ただ日本の出版界では、マイクロソフトが恐いのか「よいしょ」記事ばかり載せていて、こういった話題はタブーだったりするわけです。そういう意味では、「日経コンピュータ」の最新号の特集(1998.8.3号「マイクロソフトの覇道」)は比較的力が入っていて必見かも知れません。特に、マイクロソフトの製品を駆使して情報システムを再構築しよう、とか会社の上層部が言っているのを止めさせるよう説得する場合、なんかに有効な気が :-) 上の人間って、Webとかで情報が流れていても「コンピュータオタクがなんか言っている」程度にしか思わず、信用しない場合が多いですが、雑誌、しかも「日経」の名前の付いた雑誌が言っていると、コロっと信用してしまったりしますから。
でも、この「日経コンピュータ」の特集、「おいおい、ここまで書いていいんか?」と思うほどです(もちろん今までの情けない状況と比較して、相対的に、ですが)。最初に座談会「NTエンジニアの本音」が載っているのですが、出席者は匿名。「品質に対する“真剣”さが欠如」とか「約束を守らない企業体質」とか「深刻なバージョンアップ問題」とか、いろいろ言っていますが、みんな常識ですよね。あの程度の話題・内容で匿名にしなければいけない、というのはある意味恐かったりします。最後にある「編集ノート」で編集者がこんなことを書いていますけど、なんだかな、という気になってしまいました。

古今東西を問わず、ジャーナリズムの基本は実名報道です。匿名の影に隠れた無責任な意見を排除するためです。しかし、今号の特集では、あえてこの原則を曲げました。過去の同様の特集に実名で登場していただいた取材先の中に少数ですが“雑音”に煩わされた方がいらっしゃったことが理由です。今回の取材でも、匿名を条件にしなければ、現場の“本音”をうかがえない状況でした。

「アンチマイクロソフト」の感情は、大きく二つに分かれるんじゃ無いかな、と思います。
一つは、マイクロソフトがあまりに大きなシェアを占めていることに対する反感。しかも、それでももっと大きなシェアを占めようと(ある意味あくどい)商売をすることに対する批判。以前、Macintoshファンは阪神タイガースファン、という話を聞いたことがありますが、これはこの見方をした場合のことでしょうね。
ある日「おたくの会社の従業員が、○×という雑誌の座談会で、当社に批判的な発言をした。本日、おたくの会社で使っている当社のソフトウェアのライセンスをすべて引き上げる。今後一切、当社のソフトウェアの使用は許諾しない」とか言われたら・・・・
ソフトウェアも「製品」と呼ばれていますが、他の製品と違って「使用許諾権」を売買しているわけですから、作った会社が使用を許諾しない、と言われればそれまでですよね。それでも市場を独占しているので無ければ、別の会社の製品を使用するという選択肢もあるのですが、現状ではマイクロソフトの製品を一切使わない、というのはほとんどの場合、非現実的でしかありません。
要するに、これは市場を独占することによる弊害なわけですが、コンピュータ関連の市場って放っておけば自然に独占に向かうようです。これは、IBMが歩んできた道を調べれば明らかです。ただ、これに対する有効な手だてというものが見つからないのが現状のようです。我々、市場の一員が、「別の選択肢」を応援するしか無いのでしょうか。

もう一つの「アンチマイクロソフト」の感情は、マイクロソフトの製品の品質が極めて悪いことに起因しています。私は、この気持ちが強いです。マイクロソフトの製品には散々痛い目に会ってきましたから。
これについては、いろんな人がいろんな所でいろんなことを言っていますし、私もこのコラムの中で何度と無く触れてきました。結局、それはあの会社の体質のようなものだ、ということが判ってきました。「バカは死ななきゃ・・・云々」と一緒。で、よくよく考えてみると、あの体質、ほんと「日本的」なんですね。トップダウンで指示が来て、下はそれに逆らうことをしない。
WindowsNTなんて、悲惨なものですよね。WindowsNTの当初の内部構造はさすがにきれいで、なし崩し的に機能拡張されていったUNIXなんかと比べても、さすが最初から設計されただけのことはある、と私も評価したものです。が、その後はぼろぼろじゃないですか。ちょっと性能が出ない、と言っては設計思想から外れたアクセス方法を取り、ちょっと新しい機能を追加すれば、カーネルを大幅にいじりたおし、OS自体の安定性をどんどん損なって行きました。
WindowsNTの最初の設計思想は評価する、と書きましたが、でも機能的にはちょっとやりすぎのとことは当初からありました。例えば、UNIXと比べて恐ろしく難解なアクセス制御、やたらに機能豊富なAPI、など、いったいそんな複雑な機能、誰が使うんじゃ?、と思ってしまいます。とにかく、本来カーネルがすべきことでは無いことまでカーネルにやらせて、訳の分からない状態になっているように思えます。はたして、こんな状況でWindowsNT 5.0はいつ出るのでしょうか? :-p

とにかく、私も出来る限り「別の選択肢」を探っていきたいとつね日ごろ思っています。特に仕事の上では、Linuxはその最有力候補として私も押しているところなのですが、現状はなかなか・・・・。

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