新・闘わないプログラマ No.449

おそろしい


たしか2冊目の本の構想を練っていたときのことだったと思いますが、ある人に「ネットワークの本なんだけど、問題はどういうストーリーで行くかなんだよね」と言ったところ、
「ぷぷっ、『すとーりい』? 小説でも書くつもり? はあ、エライ作家先生かなんかにでもなったのかなー。たかが入門書なのに、ストーリーだって」
と言われてしまいました。「たかが入門書」と言えど、300ページを越える分量の本には、それなりの「ストーリー」が無いと書き進められないわけで、説明すべき技術を順番に解説していくにしても、その順番自体もストーリーとも呼べるわけで……というような反論を、その場でしようかと思ったのですが、面倒くさいので止めました。たぶん理解してもらえないような気もしましたし。それよりなにより、ふつーの人(=ある程度以上の長さの文章を書いたことのない人)はそういう見方をするんだな、とある意味新鮮でもありました(←いや、皮肉じゃなくて、本心から)。

そういえば、こんな話も漏れ聞きました。
「あの程度の易しい内容、オレだって全部知ってるもんね。あんな易しい内容のレベルの低い本、書くのはさぞ簡単だったろうね」
「え、書くのに苦労した? あの程度のレベルの本、書くのに何を苦労するんだろ? オレだったら適当に書いても1ヶ月もかからんのに……でも書かないけどね」
そういえば、「難しい、堅苦しい書き方してないから、お前の本はダメ」って言われたこともありました。なるほど、そういう考えもあるのか、とこれもまた新鮮でした。

というような話をしたいわけじゃなく、ここまでは前振りです。
たまにヒマなときに、今まで書いた本の書名でGoogleあたりで検索してみたりすることがあります。すると、本を読んでいただいた方の書評や感想を書いている日記・ブログなどを見つけることができます。幸いなことに、ボロクソにこき下ろされた書評に出会ったことは(とりあえず、今のところは)ありません(←そういう書評は、私が無意識のうちに「見なかった」ことにしているだけなのかも知れませんが)。
余談ですが、最近は、書名や製品名をGoogleあたりで検索してもアフィリエイトのリンクだけしか掲載されていないページが多数ヒットして、なんか非常に邪魔ですよね。あれなんとかならないものなのでしょうか。

著者はみんな「この本はこういう本にしたい」という意図があって原稿を書いているはずです。で、書評や感想を読ませていただいて驚いたのは、私の意図がかなり正確に読者の方に伝わっているんだ、ということです。
「本を読んだんだから、著者の意図くらいわかるだろ」と思われるかも知れません。確かにそうなのですが、私が原稿に込めた、あえて「これこれこういう意図でこの本を書きました」と明示していない「秘められた意図」(なんて書くと、かなり怪しげですね……実際にはそんな怪しげなものではないのですが)までもが、案外伝わっています。これは著者としては非常に嬉しいことです。なんとか苦心してその本に込めたものが読者に伝わっているんだ、と思うと、本を書いた甲斐があったというものです。
え?「『その本に込めたもの』っていったい何だよ?」ですか? いやあ、それは本を読んでいただいて感じていただくのが一番なのではないか、などと思ったり……え?「こんなところで商売するなよ」ですか? すみません。いやまあ、買わなくても図書館という手もありますし。
そういえば、先日出版社のほうから「Amazonの『なか見!検索』とGoogleの『ブック検索』にお前の書いた本を載せていいか? よければ承諾書を書いて返送しなさい」という連絡がありました。別に拒否する理由もないので「いいですよ」と返答しておきました。いま現在(2006年8月7日)、まだ見れるようにはなっていませんが、そのうちなるのでしょう。まあ、これらは見れるページ数を制限しているようですので、まあきちんと読むには、やはり買うのが一番かと ←だから商売は(ry ←すみません。

さて、著者の意図が読者の方にもかなり正確に伝わっている、ということは嬉しいことである反面、おそろしいことでもあります。これはあくまで一例ですが、こんなこと思って書いたのも、やっぱり読者に伝わってしまうのでしょうか。
「あ〜あ、めんどくせえなあ。ここは適当に書いてお茶を濁しておくか」
とか、
「こんなとこ、真面目に調べて書いても、売り上げに関係ないんだろうなあ」
とか、
「適当に萌え系の絵でも載せておけば、みんなだまされて買ってくれないかな」
とか。
いやいや、あくまで一例ですので、念のため。

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