新・闘わないプログラマ No.381

書くのが苦手だと思う瞬間


先々週に書いた「当たり前のことを当たり前に書く」結城さんのところで取り上げられていることに気づきました。そこに、

著者の労力と読者の満足感が一致しないこともあるので、悲しいというか難しいというか。ほんのちょっぴり読みにくい(読者に「あれ?」と思わせる場所がある)ほうが、読者の満足感や理解度は高くなるのかもしれません。

とありまして、「うん、うん、確かにそういうこともあるよなあ」と頷いてしまった私。
必死になって、すらすらと読めるように試行錯誤を繰り返して書いた本が、読者にとって「すらすら読み進めて、簡単に読めちゃったけど、でも何も身に付かなかったなあ」なんてことになったら、それはそれで悲しいことです。
さて、結城さんがおっしゃられている「読者に『あれ?』と思わせる場所」についてですが、これを意図的に入れるという手法に関しては、私も以前何度か言及したことがあります。ただ、これ、本でやるのはなかなかに難しいですね。講義の中でこの手を使うことは時々ありますが、講義なら受講生の顔色を見ながら、わざと矛盾するようなことを言ってみて聞いているほうを不安に陥れてみたりして、向こうからの質問を引き出して、後から
「実は、これこれはなになにだから、一見矛盾しているように見えても、実は全然問題ないんだよね」
っていうふうに持って行くこともできます。でも、本では、当然のことながら執筆中には読者の反応が見えないわけで、どこまでこの手を使っていいものか悩みは尽きません。極端な話、講義でしたら、とりあえずウソを言っても、おいおい訂正しつつ話を進めるというテクニックを使うことも可能ですが、本では無理です。下手すりゃ「間違ったこと書いてる」などと指摘するようなイヤミなヤツ(私のことだ)も出て来ないとも限りません。

とは言え、やはり基本は「わかりやすく」でしょうね。しかし、この間の本を書いている最中、書きながら、もしくは、書いた原稿を読み返している途中で、どう少なく数えても5回以上
「どうしよう、この書き方じゃ読者にまったく理解してもらえないじゃないか」
「だめだ、どうやったら読者にわかってもらえるような書き方ができるんだ」
と、にっちもさっちも行かない状態に陥り、暗澹たる気持ちになりました。ホント、自分は書くことが苦手なんだなあ、と思った瞬間です。「いいんだ、いいんだ、どーせオレは理系なんだから、文章書くことが下手なんだし」などと、いじけてみたりしたものの、そんなことをしている間にも原稿の締切は刻一刻と近づいているわけで……。
「そんな辛い想いするのが嫌なら、やらなけりゃいいじゃん」というご意見もあろうかと思います。確かにそうですね。でも、締切とか期限とか、そういうのを設定して強引にやらないと何もしない人間なもので、ここの駄文も「週1回、月曜朝に更新」と公言でもしておかないと、ずるずると行ってしまいそうなので、そうしているほどです。
あと、本の原稿を仕上げて、校正も終わって、「ふう、やっと一息ついた。あとは本が出来上がってくるのを待つだけ」というときの気分は格別のものがあります。その気分を覚えている(一方、執筆中の辛かった思い出は忘れてしまう)ので、依頼されるとまたホイホイと引き受けてしまうわけです。そして、また原稿書きの日々になると「自分って書くのが苦手なんだなあ」ということを思い出してしまうことになるわけです。

と、なんでこんなことを書いているかと言いますと、要するにまあ「現実逃避」とでもいいますか、つまりその、今まさに「次の原稿」を書きながら「自分って書くのが苦手なんだなあ」と思っている最中だからなのです。いやもう、ホント懲りないんだから。

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