2011年1月30日(日)
NHK-TV「世界の音楽」 

最後の恋を歌う佐良直美さん

世界の音楽The Music of the WorldNHK-TVの音楽番組(1968〜1974)
レギュラー出演:歌手:立川清登(澄人)、佐良直美、通訳:鳥飼玖美子,指揮:久山恵子、渡邉暁雄さん

NHKにも最終回とあと数回分のVTRしか残っていないようですし幻の番組になってしまいました。
この番組の中で佐良さんは名唱の数々を聞かせてくださいました。
何度聞いてもドキドキする最後の恋。青春の輝きのようなSANTA LIJA(SOGNO D'AMORE)、絶句するほど素晴らしいI'LL BE THERE。
快調なSNOW BIRD、何とも粋なI STARTED A JOKE、おはこのTHE HOUSE OF THE RISING SUN。枚挙にいとまがありません。舞台セットも豪華版。失われてしまったNHKの録画テープ、残念です。


オリジナル曲TOMORROWの素敵な舞台セット,手前にもまだ続きます
2011年1月29日(土)
OB-LA-DI OB-LA-DA

第26回紅白歌合戦(1975年)はいわく付と云わざるを得ません。
三回目の司会で歌は「オブラディオブラダ」「♪白いウサギが逃げて新たな年が来る♪」という紅白ならではの歌詞(さがゆうこ)になっておりました。
曰くその1、バグパイプの轟音!に遮蔽されて伴奏が全く佐良さんに聞こえなかったこと。映像を見ると分かりますが、一度舞台の後ろの方に飛び込んでいらしてますよね。
曰くその2、なんと39度の発熱で体調最悪。解熱剤?(インフルじゃある種の解熱剤だめですよね)かなんかの注射打ちながら勤められたとか。なぜメイクアップがいつもより濃いのか理解できます。
私も39度の発熱で仕事したことがありますが、時折目の前が真っ白になって、何かにつかまらないと立っていられない状態でした。
佐良さんは当然体調管理に気を遣われていたはずですが年末は全国各地のホテルでのクリスマスディナーショーでお忙しくおまけにホテルはきわめて乾燥した環境。難しいですねえ。
先日ラジオ(NHK-FM日曜喫茶室2010年11月28日)でバグパイプの件の思い出をお話になってましたね。
インフルエンザに風邪薬効きませんがルルの新聞広告の佐良さん。

2011年1月25日(火)
ディスクリート4チャンネルステレオレコード CD−4

鈴懸の径 佐伯孝夫優しい詩集(SJX-88)は1972年の1月25日発売です。39年前ですね。このアルバムは後に4チャンネルステレオでも発売されました。(CD4B-5020)
「4チャンネル」ご存知ですか?ディスクリート方式やマトリックス方式などの規格があり、VictorはCD-4というディスクリート方式を開発した会社なので当然このレコードもその形式でした。
佐良さんのCD-4のレコードには他に「想い出のグリーングラス 佐良直美カントリーをうたう」「佐良直美カーペンターズ・ソングブック」があります。この3枚のためにディモジュレーターなるデコーダーとシバタ針のカートリッジやプレーヤー、4chアンプ、スピーカー4つ等々揃えたわけですねえ。佐良さんの多重唱WE'VE ONLY JUST BEGUNは凄かったということは覚えています。また聞こうと思ってもデコーダーはもう機能しないかも。機械って使っていないとすぐダメになるとこの頃気づいた私でした。今や5.1や7.1サラウンドの時代ですね。でも大切なのは音響の表層の効果ではないことを私は佐良さんから学びました。

2011年1月23日(日)
Misty 佐良直美 パステル・ジャズの世界

「Misty 佐良直美 パステル・ジャズの世界」
1986年3月5日にミュージックカセットテープとして発売されました。なぜカセットテープ?と思ったものです。
佐良さんが師事した水島早苗先生の墓前にささげたという作品ですね。sideAがFusion,sideBがStandard Jazzという構成です。Mistyだけが二つのバージョンで収録されております。全15曲約1時間です。収録曲はディスコグラフィをご覧ください。切に望むCD化というところです。
Mistyはスタジオ録音ですが、この収録の前(1985年9月9日)に渋谷のエピキュラスで公開レコーディングがありました。その時はYOU BELONG TO ME、MELANCHOLYなどもお歌いになり後半はLOVE LETTER、SUMMER TIMEから世界は二人のためにまで大リクエスト大会という感じでした。
ファンにとっては至福の時ですね。
写真はエピキュラスでの佐良さん。

2011年1月19日(水)
NHK みんなのうた

NHK「みんなのうた」では2曲歌っていらっしゃいます。1968年12月〜1969年1月の「雪になりたい」(いずみ・たく作曲、横井弘作詞)と1970年10月〜11月(1973年10月に再放送)の「ぼくの海」(いずみ・たく作曲、片岡輝作詞、中谷勝昭編曲)です。
私は辛うじて両方聞いたことがありますが、現在NHKのみんなのうたホームページでリクエストを受け付けているのでお聞きになりたい方は今がチャンスです。リクエストをお願いいたします。
写真は海と佐良さんとKimちゃん。撮影:旧姓Iさん 

2011年1月17日(月)
N響演奏会

私が初めてライブで佐良さんの歌を聞いたのは1968年のNHK交響楽団のS市での演奏会です。指揮は平井哲三郎さんだったと思います。平井さんはその頃「モデルガン愛好家協会」の会長をなさっていたためか舞台上でBanBanと銃声を轟かせていたように記憶しております。
肝心の佐良さんの歌ですが「世界の果てまで」でした。N響をバックに素晴らしいの一言。
その日N響が他に何を演奏したのか全く覚えていないほどの感動でした。
「世界の果てまで」は「すてきなファーニー」のB面の曲。
B面、いいじゃないですか!!!
写真は私のモデルガンコレクションと行きたいところですがそれは封印して風邪の季節ですし「ルル」の等身大のミニチュアはいかがでしょう。かぜ気を付けましょうね。

2011年1月16日(日)
星になりたい

凍てつく空にオリオン座がきれいです。冬の大三角形はシリウス(おおいぬ座)、ベテルギウス(オリオン座)、プロキオン(こいぬ座)でしたね。
私は学生時代クラブ活動で物理班天文部と云うところに所属しておりまして、その頃の天文部のテーマソングが「星になりたい」でした。天体観測の合宿で先輩たちがよく歌っておりました。40年後の日食のときにまた集まりましょうねなどと言っていたのですが果たせませんでした。
しかし「星になりたい」から42年後「銀河の子守唄」という新たなテーマソングが現れるなどと誰が想像したでしょうか。私の担当は星雲・星団でしたので特に感慨深いものがあります。
♪何億光年〜♪ここのところぐっときますねえ。ぜひお聞きいただきたいと思います。
時空を超えて永遠を希求する「銀河の子守唄」

写真はこいぬの時のライサちゃん(私のもう亡くなった犬です)期待外れの写真でしたか?!

2011年1月14日(金)
私の好きな曲(歌謡曲)バラにおなりよ

好きな曲は?と尋ねられたら
♪みんな誰でもそれぞれよ♪という思いの中ジャスミン茶を飲みながら考えまするに、珍しいところで「バラにおなりよ」でしょうか。
またまた出ましたB面の曲。
中村泰士作曲西川瞳作詞、編曲は「お富さん」ならぬ、かの渋谷毅さん。とても軽快、さわやかで清々しい曲です。

LPにも、ましてやCDにも一切収録されず、お歌いになったご本人もお忘れになっているに違いないと思われる曲ですが、だからこそ愛おしい素敵な一曲です。
写真はNHK「世界の音楽」でなぜか薔薇の花を一輪持ってLOVERS CONCERTOをお歌いの佐良さん。ONAIR:1972年3月21日

2011年1月13日(木)
粉雪ふります

ちらちらと雪が舞っています。寒いですね。
雪といえばシングル盤B面の珠玉のような曲、「粉雪ふります」を思い浮かべずにはいられません。
1975年2月25日発売「あなたの足音」(NHKあなたのメロディの年間最優秀曲)のB面の曲で作曲が佐良直美さん。作詞は阿久悠さんの奥様のさがゆうこさんです。
この曲は東芝日曜劇場(第938回)の
「愛すれどいのち哀しく」のために作られた音楽に詞を付けたものだと思います。
ドラマは1974年12月1日に放送されております。
「歌手生活10周年記念 佐良直美」という5枚組のLPにも収録されておりました。必聴の素晴らしさなのですがCD化されていないのは残念至極。
写真は「歌手生活10周年記念 佐良直美」の解説書や「れもん」に掲載されている写真と同じもので撮影は私です。1971年10月11日文京公会堂

2011年1月12日(水)
肝っ玉かあさん

埼玉県越谷市役所に「肝っ玉かあさん越谷の京塚昌子」さんからランドセルが贈られたとのこと。
肝っ玉かあさんといえば佐良さんは竹山典子、のちに市丸典子役でご出演。
80回からの第3シリーズのみ再放送されておりますが、それ以前にもご出演なさっていたのを拝見した覚えがございます。
主題歌も歌っていらして、CDにも収録されておりますが、私の録音テープの中におそらく第2シーズンのもの(1970年頃)と思われるものがあり聞いてみましたら「頼りにしてるよ、ネ」のネがずいぶんと違います。
そういえば録音の時「ネ」がなかなかうまくいかなくて何度もやり直したとうかがったような気がします。
今回CDを聞いてみたらすごいスピードですねえ。第2シーズンのは、何とも余裕のある早さでした。
CDが最速、次が第3シーズンのTVそして一番ゆっくりが第2シーズン。
写真はおそばの出前の注文を受けるとしたらこのような感じかなという佐良直美さん。

2011年1月11日(火)
まだ松の内ですが・・・・

お着物でご挨拶。10日ほど前でしたら良かったのに。
三共製薬のルルのCMをなさっていた頃です。1972年(S47)  
1月27日にTBSチャンネルでオンエアされる「女と味噌汁」第21回でも佐良さんのお着物姿をご覧いただけます。こちらは1971年(S46)
おまけに日本髪のかつらも・・・。

2011年1月10日(月)
お誕生日おめでとうございます

1月10日午前10時、青山橋本病院でお生まれになりました。
還暦を迎えられてから1歳づつ歳を取って本年めでたく54歳???!!!
うーん、私より年下か。いつの間に・・・。
今、世間では胎教にMozartなんぞを聴いたりしているようですが佐良さんは太平洋戦争末期、空襲のB29が発する音をお母様のお腹の中で聞いていたとか。そのせいか子供の時やたらに飛行機の音が怖かったそうです。
写真は生後2か月の佐良先生。
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2011年1月9日(日)
明治製菓のシャトー

私が高校1年のとき(S43)佐良直美さんがCM担当なさっていた明治製菓のチョコレート「シャトー」です。
スイスのかの有名なTobleroneを思わせますね
空箱をたくさんとっていたのですが、母に捨てるように言われだいぶ処分しました。今となっては貴重ですよね。
中身は全部私がおいしくいただきましたが、佐良さんは甘いものが苦手でCF撮影の時、何度も食べなければならず大変だったとか。
そして「ロッテ歌のアルバム」にはしばしの間出演できなかったようです。当時ロッテも類似の「ハニーロック」という商品を出しておりましたしライバルですものね。
でも「シャトー」のほうがずっと売れていたと思います。圧勝です。   
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