男性乳がん体験    English version

1. 2005年に乳がん告知、5年以上経過して冷静に経過を報告できるようになったので、男性乳がん患者の早期発見と治療の一助になればと思い、箇条書きにしてみた。

2. 最初の症状は、乳がん告知の3〜5年前に、左乳房に発生した痛くない小さな固い“しこり”の発見でした。私達には男性乳がんなんて情報は全く無かった。

3. 乳がん告知の1〜2年前には乳首部の固い“しこり”に凹みを妻と一緒に発見して何だろうか?と思っていたが、日々の忙しさのために深く追求せずに忘れていた。

4. 固い“しこり”は乳がん告知の10ヶ月前から乳首の下部(内側)全体に時々ズキーンと鈍痛を感じるときがあった。辛抱すると翌朝は不思議と感じなくなり、スッキリするので、日々の忙しさのために忘れてしまう日々の繰り返しだった。妻からは高血圧の治療で通院している近所の医者に申し出るように言われていたが医者に行くと鈍痛は無くなっているので、つい忘れてしまう日が続きました。

5. 乳がん告知の3ヶ月前に、高速道路を長時間運転中に自動車のシートベルトが左乳房に当たると痛いので、何回もシートベルトをズボンのベルトに挟んで当たらないようにベルトの位置を変更して運転した。帰宅した翌朝は何時ものようにスッキリするので日々の忙しさのために忘れていた。このときでも男性乳がんなんて情報は全く無かった。

6. 乳がん告知の20日前に、近所の公立病院に入院している癌患者?の見舞いの帰りの運転中に、私もがん年齢だし、ひょっとして男性にも乳がんがあるかな?とひらめいて、帰宅してすぐにHPで検索した。現在ほど多くは記載してないが、男性乳がんの記事がBio Todayのメルマガなどにも小さく記載されていた。もしやと思い、その夜(金曜日)に近所の総合病院の外科で診察を受けた。月曜日にマンモ、超音波の検査。火曜日にこの“しこり”は限りなく乳がんに近いと診断され、ここでは“しこり”の切除はできても、その後の抗がん剤治療はできないからと紹介状を頂いた。びっくりして翌日の水曜日に慌ただしく、紹介された大学病院へ行く。

7. 大学病院で再検査してから15日後に家内と一緒にはじめて乳がん告知を受ける。約1ヶ月後入院、局所進行性乳頭腺管癌のため、左乳房切除、腋窩リンパ節郭清、化学療法(CEF、タキソール)、ホルモン療法(タモキシフェンを服用)で治療した。現在、タキソールの副作用のためか、手と足の末端が少し痺れ、冷えた時や疲労した時に両足の親指や足のふくらはぎにときどき痙攣が起きる.

8. 私達が男性乳がん患者情報に全く無知のため、“しこり”に痛みを感じてから10ヶ月も遅れてから乳がん告知を受け、病期;ステージVBで手術をした。手術日は68歳でした。告知後、何故、何故、がん細胞を異物として自分で認識できないのか?“しこり”が小さいうちは何故痛くないのかなどなどDrに熱心に質問した。帰宅後、頭が真っ白になり、癌<―>死のイメージが一杯になり、何故無知だったのか?人間ドックなどで指導できなかったのかと医学教育制度を恨んだ。やがて過去を忘れよう!!これから先のこと考えようと気持を切り替えました。手術1週間前に家内と世界遺産の知床ツアーに参加し、自然の美しさと産卵のために遡上する鮭の生と死に感動し、残る人生精一杯生きようと誓いました
 後日談で、その時の添乗員の話では揃いの赤ジャンバーを着ていたので自殺するのではないかと要注意だったそうです。

9. 発癌リスク要因としては、10年以上前にはアルコール消費量大、仕事のストレスは大、肥満。減量を兼ねて、趣味は魚釣りと夫婦登山のため、わらび峠で採取した山菜(ワラビ)をたくさん食べた時期もあったが、発癌物質があると言われ中止した。その他、手術5年前には降圧剤(カルシュウム拮抗剤・アダラートやペルジビン)を服用していた。

10. 手術後、減体重と野菜中心の食事療法のためか、標準血圧に戻ったので降圧剤の服用を中止した。現在も中止のままである。
毎日血圧測定しているが、塩分を控え、飲酒は付き合い程度にし、回数も酒量も少ない。食事も野菜中心で、黒舞茸に鳥モツを時々食べ、晴れの時はリンパ浮腫発病を注意して、野菜作りを楽しむ。がん患者会にも参加してガンガンおしゃべりして免疫力をアップ、最新の治療情報なども入手している。手術後も抗がん剤(タキソール)の副作用で、手足末端の痺れにもかかわらず、太極拳簡化24式と太極剣を練習してきた。しかし、昇段試験のときに特訓すると余りにも疲れるので、2010年から太極拳の練習を中断している。
今はどこかで静かにお休みしている癌と共に生きていることに毎日感謝!感謝! 晴耕雨読とがん患者会の活動などに参加して、結構毎日が充実している生活です。

11. 2011年に5年間のホルモン療法も終了し,乳癌手術から5年間経過しても、再発もなく、治療は成功したので喜んでいる。

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◆その後、(5年間)

1. 2011年の夏野菜の作業中に左手裏側を「蜂」に軽く刺されて、帰宅後にアンモニアを塗ったが浮腫んできて(例のリンパ浮腫)びっくりした。3日後に内科で薬を頂き、1週間後に腫れは治った。左上肢は手術後は右上肢よりも明らかに浮腫んでいたがそれほど気にしていなっかった。しかし今回の手裏側が浮腫んできたのには左手および左上肢を外傷、紫外線、虫刺されなどから守り、重い手荷物を持たないように注意しなければならないことが如何に重要であるかを再確認した。炎症が治ってから上田先生の「リンパ浮腫に関する講習会」を参考にセルフドレナージを試みています。

2.2012年になり、今も衰えへないタキソールの副作用を軽減するために、試験的に5月から1ヶ月間、漢方薬「牛車腎気丸」を2,5g×3/日を服用して改善の様子をみてきた。私の場合は残念ながら効果がありませんでした。

3. 2012年9月になってから、今度は両手、特に左手の薬指、中指の中手指関節が手を握ると痛み、左手の手裏が蜂に刺された時のように浮腫んできた。専門家のドレナージを受けようかと思ったが、まだ弾性ストッキングを装着するには暑かったので迷っていた。ロクソニンのテープを添付すると少し良くなったような気がした。骨の異常が無いか整形外科で診察を受けた。頑張りすぎた農作業から薬指、中指の腱が炎症している結果と診断され、漢方薬「牛車腎気丸」を2,5g×3/日と末梢血管を広げ、血液が固まるのを防いで閉塞性血管炎に伴う潰瘍、痛み、冷えなどを改善する「プロレナール錠」で治療した。併せてセルフドレナージをしたら左手裏の浮腫みは無くなり、上肢も柔らかくなってきた。

4. 2012年11月になって、7年目の全身検査を受けた結果、主治医から限りなく乳がんの再発は少なくなった。これからは後期高齢者の病気に気を付けるように云われ、ほっとした。しかし術後の腕や肩の障害としてリンパ浮腫の左上肢も柔らかくなってきたが、まだ外周が2cm長い。頑張らなくちゃ!

5.2013年1月になって5年間のホルモン剤服用が終了したためか次第に気力も充実してきた。3年間休んでいた太極拳&剣も始めた。筋力の劣化と身体の硬さを感じた。抗がん剤の副作用として手足末端は痺れている(末梢神経障害)が冷感接触で手と足指と下肢の「こむらがえり」の発生回数は極度に減少した。

6.2013年2月になっても、昨年9月からの痛みは最後まで左手薬指の関節の痛みが続くので、治るかどうかわからないが、腱症炎だから炎症止めの痛い注射を薬指の付け根にした。3日後に痛みもほとんど消え、何時の間にか左上肢の外周も8mmと減少した。
もちろん、毎日セルフドレナージを続けているが、今では測定時間帯によっては外周の差もほとんど無くなってホットしている。最近、がんナビに掲載された佐藤教授の「乳がん術後の腕や肩の障害を防ぐマッサージ・運動のポイント」も参考になった。

7.2013年5月には漢方薬「牛車腎気丸」を服用しながら、乳がん&リンパの切除の副作用を改善するためのリハビリと位置付け、手足末端の末梢神経障害があっても太極拳&剣の演武を楽しむことにした。しかし、6月には腱症炎も治ったので漢方薬も処方してもらえず、週2時間の練習はちょっと辛いですね。再発・死に対する精神修行としては2年前から有名な禅宗のお寺の和尚さんが指導しているグループに入れて頂き、月2回の坐禅を楽しんでいる。

8.2013年8月になって、又、左腕、左手が浮腫んできた。何故か?いろいろ考えてみた。夏は野菜に朝晩散水をする。そのため、ホース散水より、バケツに柄杓で散水する方が短時間で、一定量の水を散水できる。バケツ(6リットルの水6kgを水道蛇口から作物へと左腕で持ち上げて運ぶために、左腕に負荷(44回/日)をかけていることがわかった。それも夏場は毎日繰り返す。リンパが浮腫むのは当たり前である。そういえば2012年8月、2011年8月もリンパが浮腫んだ。8月10日から注意し、セルフドレナージを毎朝することにした。
左上肢のセルフドレナージの実施方法に基づいて起床時、睡眠時前に、前処理は自分の右手が届かない範囲を、家内に援助して貰い、左腕の肩の裏側を、背中から右リンパへ、左肩から左足の付け根までをリンパドレナージをして貰い、残りの左胸から右胸へ、左胸から左足の付け根へ向けて自分の右手でセルフドレナージをする。次に本処理は自分の右手でゆっくり左肩に近い方から、肩、腕、上肢、手裏までを順にセルフドレナージで処理した。

9.2013年9月30日になって、手首から肘(ひじ)の方へ6cmのところの上肢(腕)の円周を巻尺で計測して比較すると、左手では22cm、正常な右手では20cmでその太さの差が2cmまで回復した。でもまだ少し硬くて掴みにくいが・・・。

10. 2013年11月5日 最近購入した「乳がん・子宮がん・卵巣がん術後のリンパ浮腫を自分でケアする」DVD@を見たら、やっぱり、文献より動画の方が手の形、動きや速さ、接触圧力がわかりやすいですね。繰返し、見ながら熟練するより仕方がないね。
 浮腫みの測定では、文献によると上肢(腕)では左右の上肢の肘下5cm、10cmの円周を測定するとある。私の場合の実測では左右の上肢の円周の差が0であった。一方、手首から7cmのところの円周では左上肢は22.7cm、同じく右上肢は20.7cmで相変わらず円周差が2cmで、少し硬くて掴みにくい。すなわち、症状の出ている硬いところの円周を測定することが重要である。まだまだ頑張らなくちゃー。

11. 2013年11月14日には8年目の異常なしの検査報告があって9年目入ります。これも皆様のお蔭と感謝!感謝!です。
 30日に両腕の浮腫みを測定したら22cmと21cmとなり、左右の差が1cmとなりリンパ浮腫についてはやっと安心した。「牛車腎気丸」服用の効果もあったのかな?

12. 2014年1月3日に初詣に出かけるために左手首に腕時計を巻き、シャツ袖口のボタンをはめても右手首同様にゆったりとし、ほとんどリンパ浮腫の感覚がなくなった。1人ではできない背中側のリンパの流れを妻や夫に協力をお願いしてリンパドレナージをして頂くことがベストですね。

13. 2014年3月20日、この寒さで、タキソールの副作用で手足の末梢神経が痺れて、農作業はもちろんのこと、暖房した家庭内でも床歩行や台所の床カーペットの上でも足裏が冷たく、こむらがえりが起こりそうなので厚いザブトンの上に足を置き、食事する。セルフリンパドレナージの疲れか、今度は右手の
人差指の付け根が物をつかむときに痛い。経皮鎮痛消炎剤(モーラステープ
20mg)を毎晩貼って寝て、翌朝に、かぶれないようにテープをはがす生活を続けたが痛みは除かれない。。

14. 2014年5月12日 4月末になって乳がん手術痕が軽い痛みを感じ、マッサージをすると解消する日が続いた。リンパ液が溜まったのかなと思い、背中のリンパドレナージを続けたら不思議と治った。5月始めに右手裏側、特に人差指の根元付近が痒く、赤くかぶれてきて薬を塗っても治らない。皮膚科で診察したら農作業で紫外線によるモーラステープ貼付痕がかぶれたとのこと。もちろん、アンテベート軟膏で治った。

15. 2014年8月25日 今年の夏はセルフリンパドレナージと同時に整形外科でアリナミンF糖衣錠(25mg)、牛車賢気丸エキス顆粒粉薬、耳鼻科(聴きにくい)でアデホスコーワ腸溶錠(20mg)をもらって服用しているため(?)、左右の腕の太さの差が1.5cmで、左手首に腕時計を着用でき、快適に過ごしている。

16. 2014年11月13日 今日は9年目の検診日である。異常なく、再発もないが甲状腺だけは気をつけて下さいとのこと。来年で10年目になるので卒業だそうです。なんだかちょっと寂しいですね。

17. 2014年12月7日 スポーツクラブのスタジオで太極拳&剣を練習するときに冷たい床から靴裏、足裏に冷たさが伝わり、抗がん剤の副作用で「こむら返り」が起きそうになるので困った。靴に「足元防寒インソール」を挿入してみた。足裏は暖かくなったが、「ドンジャオ」の姿勢が安定するまでに時間がかかりそうだ。

18. 2015年3月19日 2011年7月まで服用したホルモン剤(タモキシフェン)の副作用か?それとも水森かおりの演歌の聴き過ぎか?加齢か?わからないが2010年12月にトイレで眩暈、2011年10月に眼科で原因不明の視覚障害を検査したがわからなかった。2013年3月に眩暈の再発あり、いずれも耳鼻咽喉科でセルファドールとメリスロンを服用して治った。2013年5月には自分の発生音(話し言葉)が風邪のときの声(風邪声)のように聞こえるので、同じ耳鼻咽喉科へ。検査の結果、老人性難聴(高音部・周波数500Hz以上からが聴き難い)と診断される。デホスコーワ腸溶錠を現在まで服用。昨年10月頃よりCDを聴いて難聴トレーニングをしている。ちょっとよくなった感じもする。

19. 2015年5月21日 検診日、再発なしで無事通過。家庭菜園と患者会。それに疲れるけれども「太極拳&剣」を時間がなくて休むけれど頑張っている。

20. 2015年6月27日 5月末に「墓参り」と「同窓会&世界遺産富岡製糸場見学」にマイカーを運転(約1,500Km)して、楽しんできた。ちょっと身体に自信がついたようだ。

21. 2015年10月5日 先日、高齢者講習会を受けて、9月17日に普通自動車の免許更新が出来たので、これからボケないように注意深くドライブして平均寿命の80歳まで人生を楽しもうと思う。早速、昔見学したことのある「葛城一言主神社」に祭ってある至福の像(カボチャと老夫婦)に祈願してきた。また、近くの天孫降臨伝説の有る高間彦神社の参道を登ったら、後日に脹脛と脛に疲れがでて、うろたえた。しかしお風呂上りに丁寧に揉みほぐしたら治って安心した。

22. 2015年11月12日 乳がん手術後の10年目の11月5日の全身検査で異常はなく無事通過、完治。主治医からもう来なくてよろしいと言われ、ほっとしました。感謝!感謝!です。
 今後は、がん治療中の血液検査表から血小板が若干少ないのと腎臓機能のeGFRも若干少ない原因が2000年から降圧剤(アダラート、ペルジピン)を5年間服用した結果ではないかと心配し、ぼちぼち加齢により発生する病気を調べ、発見し、治療を進めていきたいと思う。(完)


◆希望

 何処かにいらっしゃる男性乳がん患者さんからのお便りがあったら嬉しいですね。
 2017年11月5〜6日には熱海市で「日本乳がん患者会会議」が開催され、多数の乳がん患者の中で、元気をもらい、特に初めて男性乳がん患者も参加されて、おしゃべりできました。感謝!感謝!です。
 2014年11月9日(日)「高野山の祈り・ふたたび」が開催され、多数の乳がん患者の中で元気を一杯頂きました。感謝!感謝!です。
 2014年7月12日(土)16:30から今年も市民公開講座と患者セミナーが開催され、乳がんの遺伝子BRCA1,2と家系のお話や乳がん患者・家族から元気を頂き、感謝です。
 2013年6月29〜30日には、浜松市で患者セミナーと乳がん公開セミナーに家内と一緒に参加して、講師および乳がん患者の皆さんから元気を一杯頂いてきました。感謝!感謝!です。
 2012年10月27〜28日に、高野山で乳がん命のプロジェクトが開催され、たくさんの元気を頂きました。特に桜井先生のご講演で、全乳がん患者100人のうちの1人が男性乳がん患者であると述べて頂き、嬉しくなっちゃいました。やっぱり、乳がん患者&家族、医療者の中でおしゃべりしているとほっとしますね。有り難いことです。感謝!感謝!です。

 最後に私の体験から男性の皆さんに男性乳がんの知識が少しでもあれば早期発見、早期診断、早期(適正)治療が可能になり、完治も夢ではないかと思います。



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