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									 先日、友人宅のリフォームの手伝いでフローリング貼りをしてきました。 
										タモ材を使い、中国で加工されている製品で、いまの日本の建材業界の流れでは別段普通の無垢のフローリングなのだと思います。 
										が、私自身、家具制作という、建築施工とは異母兄弟のようなもので、一線画した場所でいながら、同じタモという材を触っている立場から見ると、少しながら気になったことがありました。 
										 
										詳しくお話しさせていただきますと、作業しながら、徐々に増えていく貼り終えた部分を見ていると妙に違和感を感じるのです。 
										手にした一枚の板だけを見ると、節もまったくといっていいぐらい無く、木目も通りすごくきれいな床に貼るのも勿体ないような最上級の板なのですが、それが広い面積を覆っていくと、なにか物足りない。 
										普段、節があったり、広葉樹のような木目もそうそう素直でないような板を見ている目には、妙に不自然というか、なんというかな印象に映る訳です。 
										また、加工される前の板というのを知っている立場からしますと、こういう材の取り方をしようとすると、いろんな意味でかなり大変なことも、少し考えれば容易に想像することができます。 
										 
										例えば節についていえば、小節という、ほんとうに米粒みたいな大きさで加工にも使用にもほとんど支障をきたさないものから、死節という使用するにはちょっと補修が必要なものまである訳ですが、その小節でさえ見当たらないのですから、どんな木から取ったらこんなことができるのか、あるとすれば加工する側の一方的な理想を実現する想像上の樹木としか考えられない。 
										確かに、天然林の広葉樹であれば、樹冠が上に広がり、その為、幹の部分も長くなり、成長に伴い下部の枝も少なくなる傾向にあるというのを山歩きで天然林を見たときに聞いたことがあるが、それにしても皆無ってことは考えにくい。 
										さて、こういう材を取るにはどういう風にすればいいのか、それはどういうことなのか、ぜひ皆さん考えてみてください。 
										 
										そもそも建材という工業製品、量産、生産管理という視点で見れば、大きさ如何に問わず節があればNGということにすれば、節の大きさで分類するという細かい作業の指示や手間を省くことができ、通直な材を使うことで、現場でのクレームも回避でき、ユーザーの側からすれば、まったく節のない美しい、快適な生活をもたらしてくれる自然素材の無垢板フローリングが手に入る訳だから、普通に解釈すればどこにも問題がない、し極当たり前のことのように思えるこの話。 
										長くなりましたので続きは次のお話で…。 
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