アレーナと音楽祭  79回フェスティバル - 2001
 アレーナへ、そしてその周辺  チケット
 78回フェスティバル - 2000  ヴェローナのホテル
 私とアレーナ・ディ・ベローナ  旅のヒントその他

アレーナと音楽祭

ドロミテに源を発するアディージェ川がS字型に流れるヴェローナは、ミラノとヴェネツィア結ぶ鉄道、そしてインスブルックからブレンネロ峠を越えてローマに至る鉄道が交差する位置にある。 紀元前49年にユリウス・カエサル(シザー)はヴェローナの属する北伊属州の自由民全員にローマ市民権を与えており、この地域はルビコン川以南のローマ本国と変わりないほどローマ化していた。 そしてアウグストゥス帝の時代にはローマ本国に組み入れられた。
ヴェローナのアレーナ(闘技場)はアウグストゥス帝時代の紀元1世紀に建造されたと言う。 楕円形をしたこの闘技場の端から端まで一番長いところで139m、グラウンド部分は長径74m、短径45mある。 スタンドは45段あり、その段差の平均は45cmだ。 ローマ時代の闘技場で今に残るものの内、最大規模というだけでなく、また保存状態も最上のもののひとつである。
このアレーナは18世紀ごろから再び各種公演に使われ始め、1822年にはロッシーニが自作の「ラ・サンタ・アッレンツァ La Santa Alleanza」というカンタータの指揮をしている。
ヴェローナのフェスティバルは1913年ヴェルディの生誕100周年を記念して始められた。 この年の出しものは「アイーダ」で、8月10日が初日で8公演が行われた。 2つの大戦中に中断はあったものの、1946年以降は毎年開催されており、2000年度は第78回にあたる。 1969年の岡村喬生のドン・カルロ出演が恐らく日本人歌手のこのフェスティバルへの最初の登場であろう。 その後林康子が1983年、1987年に「蝶々夫人」のタイトル・ロール、1989年に「アイーArena di Veronaダ」のタイトルロールを歌っている。 78回フェスティバルの歴史のうち最も公演回数の多いオペラ10作品は次の通り。 @「アイーダ」22回 382公演、A「カルメン」16回 138公演、B「トゥーランドット」12回 95公演、C「ナブッコ」11回 84公演、D「トスカ」10回 70公演、E「リゴレット」10回 66公演、F「カバッレリア・ルスティカーナ」10回 65公演、G「ラ・ジョコンダ」9回 60公演、H「ラ・トラビアータ」7回 58公演、I「ラ・ボエーム」8回 56公演。 以下「運命の力」、「イル・トロヴァトーレ」、「メフィストフェレ」(ボイト)、「蝶々夫人」、「仮面舞踏会」、「道化師」、「アンドレア・シェーニエ」、「オテロ」、「ノルマ」、「ランメルモーアのルチア」と続く。 最近は毎年「アイーダ」の上演があり、また「レクイエム」を含むヴェルディの作品、「トスカ」等のプッチ−ニの作品と「カルメン」の上演が多い。 2001年はヴェルディ没後100周年ということもあり、別項の通りヴェルディ作品で固められている。

アレーナへ、そしてその周辺

ミラノ、ヴェネツィアまたはローマ、ボルツァーノからの列車はヴェロ−ナ・ポルタ・ヌオーヴァ駅 Verona Porta Nuova に着く。 ただしローマから直接ヴェローナに入る列車は少ない。 駅を出ると駅前の広い通りを右手に300mほどでピアッツァーレ・ポルタ・ヌオ−ヴァ Piazzale Porta Nuova という非常に広い交差点にさしかかる。 この前方にポルタ・ヌオーヴァ Porta Nuova がある。 この門の向こう側にこれまた広い通りが北へ向っているが、これがコルソ・ポルタ・ヌオーヴァ Corso Porta Nuova だ。 この道を1kmほど歩くとピアッツァ・ブラ Piazza Bra と言う広場に達する。 この広場の一角にアレーナは位置する。 なお、ポルタ・ヌオーヴァからコルソ・ポルタ・ヌオーヴァを100mほど行ったところの右側に後で紹介するグランド・ホテルがある。
ヴェローナの夏は暑い。 始終水分を補給しないと倒れてしまうほどなので、蛇足であるがコルソ・ポルタ・ヌオーヴァ中程左側にあるマクドナルドを紹介しておこう。 アイス・ティーのラージ・サイズがお奨めだ。 ピアッツァ・ブラの左側にはレストランがずらりと並んでおり、広場に並べられた日除けの下のテーブルを囲んでアレーナを見ながら食事ができる。 その中の1軒ブレック・レストランティ Brek Restranti はセルフ・サービスのレストラン・チェーンで、安価ではあるが、ステーキなどはなかなか美味である。
このピアッツァ・ブラの北側_から続くヴィア・マッツーニ Via Mazzini、ヴィア・アルベルト・マリーオ Via Alberto Mario あたりには高級店が集まっている。 ジュリエッタの家はアレーナの北東500−600メートルのところにある。

第78回フェスティヴァル - 2000

ヴェルディ「ナブッコ」 Nabucco
2000年6月30日、7月9日、16日、21日、25日、29日、8月6日、10日、13日、18日、24日、27日、29日、9月1日
         Nabucco Renate Bruson (6/30,7/9,16)、Alberto Gazale (7/21,25)、Paolo Gavanelli (7/29,8/10), Alexandru Agache (8/6,13,18), Juan Pons (8/24,27,29), Silvano Carroli (9/1)
Fenena Gloria Scalchi (6/30,7/9,16), Salar M'Punga (7/21,25,29), Marjana Pentcheva (8/24,27,29,9/1)
Ismaele Nazzareno Antinoru (6/30,7/9,16,21,25,29,8/6), Alberto Jelmoni (8/10,13,18,24,27), Luigi Frattola (8/29,9/1)
Abigaile Sylvie Valayre (6/30,7/9,16,21,25,8/6,10,13), Paola Romano (7/29,8/18), Ghena Dimitrova (8/24,27,29,9/1)
指揮 Daniel Oren
演出、美術、衣装 Hugo De Ana
ヴェルディ「ラ・フォルツァ・デル・デスティーノ」 La Forza del Destino (運命の力)
2000年7月1日、7日、15日、28日、8月3日、9日、12日、19日
       Don Alvaro Salvatore Licitra
Donna Leonora Ghena Dimitrova (7/1,7,15,28), Giovanna Casolla (8/3,9,12,19)
Don Carlo Leo Nucci (7/1,7,15), Alexandru Agache (7/28,8/3,9), Alberto Gazale (8/12,19)
指揮 Maurizio Arena
演出 Nikplaus Windisch-Spoerk  美術 Josef Svoboda  衣装 Sarka Hejnova
ヴェルディ「アイーダ」 Aida
2000年7月2日、8日、14日、23日、26日、30日、8月1日、4日、8日、15日、23日、26日、31日、9月3日
        Aida Daniela Dessi (7/2,8,14,23,26,30,8/1,8/4), Sylvie Valayre (8/8,15), Daniela Longhi (8/23,26,31,9/3)
Radames Vladimir Galouzine (7/2,8/23,26), Fabio Armiliato (7/8,14,23,26,30,8/1,4), Mario Malagnini (8/8,15,31,9/3)
Amneris Nina Terentieva (7/2,8,14,23,26,30,8/1), Bruna Baglioni (8/4,8,15,23), Elizabetta Fiorillo (8/26,31,9/3)
Amonasro Juan Pons (7/2,14,23), Silvano Carroli (7/8,26,30,8/23,26,9/3), CalroGuelfi (8/1,4,8,15), Giancarlo Pasquetto (8/31)
指揮 Daniel Oren
演出、美術、衣装 Pier Luigi Pizzi
ヴェルディ「ラ・トラビアータ」 La Traviata (椿姫)
2000年7月22日、27日、8月2日、5日、11日、20日、22日、25日、30日、9月2日
       Violetta Valery Inva Mula (7/22,27,8/2,5,11,20), Darina Takova (8/22,25,30,9/2)
Alfredo Germont Mario Malagnini (7/22,27,8/2,5,11,20), Cesare Catani (8/22,25,30,9/2)
Giorgio Germont Leo Nucci (7/22,27,8/2,5), Carlo Guelfi (8/11,20,9/2), Roberto Frontali (8/22,25,30)
指揮 Giuliano Carella
演出 Gilbert Deflo  美術 Gian-Franco Padovani  衣装 William Orlandi
ヴェルディ「レクイエム」 Messa da Requiem
2000年8月17日
    Solists Fiorenza Cedolin (S), Luciana D'Intino (A), Andrea Bocelli (T), Roberto Scandiuzzi (B)
指揮 Lorin Maazel

2000年の入場料は金曜日および土曜日の場合には指定席が110,000-290,000リラ、自由席が32,000および42,000リラ。 その他の日は28,000−265,000リラ。 2001年分は「チケット」の項で詳述。

私とアレーナ・ディ・ヴェローナ

私がこのヴェローナ音楽祭を初めて訪れたのは1971年、それから30年が過ぎ去ってしまった。 当時音楽の友社からたしか「世界の音楽祭」と言うような書物が出ていて、多くの音楽愛好家特にオペラきちがい達は夢のまた夢と言うあきらめの気持ちでその書物を読んでいたものだ。 未だ格安航空券などが無かった、1ドル360円の固定相場の時代であった。 この年(またはその前年)、音楽の友社は恐らく日本で初めて音楽祭めぐりのツアーを実施した。 私は幸いなことに上智大学の宗教関係の団体のヨーロッパ旅行の余席を分けてもらうことが出来、またこれも幸運なことにバイロイト、ザルツブルク、ミュンヒェンのオペラ・フェスティバルのチケットをアメリカン・エクスプレスで手配することが出来た。 グラインドボーンやエクス・アン・プロバンスの音楽祭のチケットは自分で事前に手配したが、ヴェAuditorium of Arenaローナとローマのカラカラについてはその書物に十分な情報が無かったせいか、それとも行き当たりばったりでも買えると思ったのか、チケット無しでヴェローナに乗り込んだのだった。 開演1時間ほど前に劇場に着くと、スタンド上部の自由席のチケットを購入した。 近くの席の方からもらったローソクに灯をともす。 スタンドにたくさんの火が灯されると大きな拍手が沸いた。 その夜の出し物は「ナブッコ」。 左右に大きく広がったオーケストラは時々左右がばらばらになったり、上演中にもアイスクリーム売りが「ジェラート」と言って売りに来る。 歌唱が気に入ると大きなブラボーと拍手の嵐。 野球見物と言う感じだったが、それでももう2日そこに留まり「マクベス」と「アイーダ」も観てしまった。 たしかマクベスが殺されて舞台を転げ落ちるシーンがあり、オペラ歌手があそこまでよくやるなと変な感心したのを覚えている。

1971年8月11日 ヴェルディ 「ナブッコ」
      Nabucco Cornell MacNeil     Ismaele Giorgio Casellano Lamberti
Fenena Ada Fainelli     Abigaille Luisa Maragliano
指揮 Oliviero De Fabritiis
演出 Sandro Bolchi     美術・衣装 Pino Casarini
1971年8月12日 ヴェルディ 「マクベス」
      Macbeth Mario Zanasi     Lady Macbeth Marion Lippert
Macduff Gianni Raimondi     Malcolm Piero de Palma
指揮 Fernando Previtali
演出 Herbert Graf     美術・衣装 Giorgio Wakhevitch
1971年8月13日 ヴェルディ 「アイーダ」
      Aida Martina Arroyo     Radames Carlo Bergonzi
Amneris Luisa bordin Nave     Amonasro Giampiero Mastromei
指揮 Francesco Molinari Pradelli
演出 Sandra Bolchi     美術・衣装 Giulio Coltellacci

2000年8月、家族を連れてヴェローナの音楽祭を訪れた。 オペラなど全く観たことの無い17歳の長男と、メトロポリタンの「ボリス・ゴドノフ」をつまらなかったと言った16歳の次女も伴っていくので、おのずと「アイーダ」を観ることにした。 あらすじだけでも読んでおけよと何ヶ月前かから重ねて言ったのに読まずに見に行くことになってしまった。
私達夫婦はポルタニッシメ Poltanissime という平土間の265,000リラの最上席、子供たちは指定席の中では一番安い110,000リラのスタンド席。 29年ぶりのアレーナ・ディ・ヴェローナは、高い席に座ったと言うこともあろうが、上品と言うかおとなしくなったように感じた。 王や長島が逆転ホームランを打った時のような熱狂的な拍手と「ブラボー」/「ブラビー」の嵐がなかったように思える。 これはスタンド席で観なかったために体験できなかったのだろうか。 ただし私はオペラは総合芸術と定義しているので、アリアの後に我先にする拍手のみならず、劇の進行を中断するいかなる拍手も好きでない。

2000年8月15日 ヴェルディ 「アイーダ」
  Aida Sylvie Valayre    Radames Mario Malagnini
Amneris Bruna Baglioni    Amonasro Carlo Guelfi
指揮 Daniel Oren
演出・美術・衣装 Pier Luigi Pizzi

さて演奏はと言うと、Silvie Valayre のアイーダをはじめソリスト人、重厚なコーラスそしてオーケストラはおおむね満Bravo !   Bravi !   Bravo !足できた。 ピッチの演出はオーソドックスであるが、彼の衣装は全体的にスター・ウォーズの世界に近くその演出にそぐわないし、伸縮自在の衣装を利用したバレーは醜悪、悪趣味、ぶち壊し以外の何物でもない。 かつてテレビでその伸縮自在の衣装の醜悪な演出を見たことがあるので、遠の昔に改善または新演出に変わっていると思っていた。 この衣装が使われているなら「トラビアータ」にするんだったと悔やんだが後の祭だった。 2000年秋に新国立劇場で「トスカ」を好演した(Hi-Visionで観た)Silvie Valayreはなかなかの逸材と見た。

第79回フェスティヴァル概要 - 2001

2001年公演のスケジュールは次のように発表されている。 全てヴェルディの作品である。 

演目 公演日
Il Trovatore 6月30日、7月7日、14日、25日、8月3日、8日、15日
Aida 7月1日、5日、8日、13日、22日、24日、27日、8月7日、12日、14日、23日、26日、30日、9月2日
Nabucco 7月6日、12日、15日、20日、26日、29日、8月10日、16日、19日、21日、24日、28日、31日
Rigoletto 7月21日、28日、8月4日、11日、17日、22日、9月1日
La Traviata 8月5日、9日、18日、25日、29日
Messa da Requiem 8月29日

チケット

2001年のシングル・チケットの値段は次の通り。

席の等級 金曜・土曜 その他の曜日
平土間最上席 Poltronissimo 300,000 270,000
平土間後方・側面席 Poltrone 220,000 200,000
スタンド指定席 Gradinata Numerata 180,000 160,000
スタンド指定席・割引 Gradinata Numerata Ridotta N/A 120,000
スタンド指定席後方側面 Gradinata Numerata Laterale 120,000 110,000
スタンド自由席 Grandinata 42,000 38,000
スタンド自由席後方側面 Grandinata Ridotta 32,000 28,000

チケットは次のウェッブ・サイトから予約が出来る。 http://194.149.233.39/English/ チケットの引き取りはヴィア・ディエトロ・アンフィテアトロ Via Dietro Anfiteatro 6Bのボックス・オフィスでその予約に用いたクレジット・カードの所有者がそのカードを提示して行う。 もしその他のものがピック・アップする場合にはそのカードの両面をコピーしたものを持参する。 なおトラブル回避の意味から、本人が行くことを強く推奨する。 ボックス・オフィスはアレーナの北側のアレーナに沿った道路に面しているので見つけるのが難しいことは無い。
その他郵便、ファックス(39-045-801-3287)、電話(39-045-800-5151)でも予約は可能である。 4歳以下の子供は入場できない。
予約したチケットのキャンセルおよび変更は出来ない。 なお1幕が終了する前に公演が中止となった場合には、公演当日および翌日上記のボックス・オフィスで払い戻しが行われる。 ボックス・オフィスにチケット郵送して返金を受ける場合にはそのキャンセルされた公演の当日から10日以内に行う。
上記ボックス・オフィスはフェスティバル期間中は公演当日は朝10時から夜9時、公演の無い日は朝10時から夕5時半までである。 予約してあっても無くても、とにかくヴェローナに着いたらまずここへ向うのが正解だ。

ヴェローナのホテル

ヴェローナのホテルはどこも高い。 しかもフェスティバル期間中の予約は6ヶ月前でも大変難しい。 私がヨーロッパでよく使うベスト・ウエスタン Best Western のチェーン・ホテルがヴェローナの市内には2軒ある。 三ツ星のホテル・デ・カプレーティ Hotel De'Capuleti と四つ星のホテル・フィレンツェ Hotel Firenze だが、2000年に予約をしようと試みたがだめであった。 2001年3月28日に8月の予約が出来るかチェックしてみたがほとんどの日が満室であった。 なおホテルの星の数と料金は必ずしも相関関係に無い。 たまたま上記時点で予約可能な2人部屋の料金は三ツ星のカプレーティが280,000リラから、フィレンツェが250,000リラからであった。 フィレンツェの方がアレーナや歴史的地域に遠いためであろうか。 ちなみに駅からはフィレンツェの方が近い。 ベスト・ウェスタンはどこもビュッフェ・スタイルの朝食付であるから、上記室料はこの時期のヴェローナとしてはかなり良心的な価格だと思う。
2000年夏にやっと見つけたのが、四つ星のグランド・ホテル Grand Hotel だった。 このホテルは駅から10分ほどのコルソ・ポルタ・ヌオ−ヴァに面している。 2000年度の室料は税、サービス料、ビュッフェ・スタイルの朝食込、シングル・ルームが190,000−270,000リラ、ダブル・ルームが298,000−397,000リラであった。 アレーナへは歩いて10〜15分と少し遠く、またアレーナの北側に多い観光スポットへは20〜30分かかってしまい、室料もちょっと高いところが欠点だが、快適に過ごせるホテルだ。 ホーム・ページのURLは http://www.grandhotel.vr.it/ で、ここから予約が出来る。

旅のヒントその他

1. アレーナ・ディ・ベローナの公式サイト以外に、公式サイトと見間違うようなサイトがあるので十分注意すること。 かく言う私も、2000年のチケットを予約した際に公式サイト以外のサイトから予約してしまった。 コンファメーションがこないので、催促したところやっとメールが来て引き取りの場所を教えてきた。 それは上記のボックス・オフィスだったが、当日行ってみると予約が入っていないと言われ、ほとんどパニック状態。 そのコンファメーションを取り出して見せた結果預かりチケットのところに私のチケットがあってことなきを得る。 私が予約したサイトはホテル・テルメ・リオ・ドーロ Hotel Terme Rio D'Oro というモンテグロットと言うところにある三ツ星ホテルが運営しているアレーナ・ディ・ベローナのサイトで、そのホテル名などまったく表示されておらず、ほとんど公式サイトと見分けがつかない。 ただしダフ屋ではなく、正規の入場料以外は一切請求されなかった。

2. 公演の開始時間は2001年の場合には、6月、7月が9時15分。 8月、9月が9時である。 終演時間は当然出し物によって異なるが、おおむね深夜12時を過ぎる。 ピアッツァ・ブラのレストランには営業しているところも多い。

3. ヴェローナではチケットの予約より、安くて快適なホテルの予約の方が難しい。 したがってこのフフェスティバルに行くことを思い立ったら公演スケジュールを参照し、まずはホテルの予約をすることを薦める。 ホテルはキャンセルできるが、チケットはキャンセルできないからだ。 終演後アレーナから離れたホテルに戻るのは大変なので、アレーナから近く、なるべく繁華な場所のホテルを予約することだ。

4. 本ページ作成に当っては正確を期したが、これらの情報を利用する際には自己の責任で行うこと。