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 ミュンヘンのオペラ劇場の歴史  ホテル
 ミュンヒェンのオペラ・カンパニー  食事
 ミュンヒェンへ  年末のミュンヒェン
 市内の交通  その他の見所 

ミュンヒェンのオペラ劇場の歴史

ミュンヒェンでオペラが上演されるようになったのは1625年頃、バイエルン選帝侯マクシミリアン一世 Maximilian I (1573 - 1651) の時代だ。 選帝侯フェルディナンド・マリア Ferdinand Maria (1636 - 1679) は王宮 = レジデンツ Residenz 内にヘルクレスザール Herkulessaal と言う劇場をしつらえ、ミュンヘンで初めてのイタリア・オペラの上演が宮廷楽師達によってここで行われた。 このホールは現在コンツェルトザールとも呼ばれ、室内楽の演奏が行われる。
フェルディナンドはまた父マクシミリアン一世の計画に基づき現在のサルバトールプラッツにドイツ最初の独立したバロック宮廷オペラ劇場、サルバトール劇場 Salvatortheater を建設した。 この劇場ではモーツァルトの「偽の女庭師」K.196 La Finta giardiniera が1774年に初演されている。 この劇場は1802年に取り壊されて現在はない。
ミュンヘンでのオペラの重要性は日増しに増し、選帝侯マクシミリアン三世はその宮廷建築家フランソア・キュビリエ Françoia Cuvilliés に新しいオペラハウスの建築を命じた。 その劇場は現在のノイエス・レジデンツテアター Neues Residenztheater (ナチオナルテアターの奥の演劇用の劇場)の場所に建設され、1753年にこけら落しが行われた。 モーツアルトの「イドメネオ」の初演はこの劇場で1781年に行われている。 
その新オペラハウスもミュンヘンの人口増加に追いつけず、選帝侯カール・テオドール Karl Theodor はオペラハウスの計画を1792年に命じたがナポレオン戦争のためにその計画は延期せざるを得なかった。 1806年にはバイエルンは王国となり、初代国王マクシミリアン四世は1811年にカール・フォン・フィッシャーの計画を承認し建設が始まった。 資金難やロシア出兵によりその建設は遅れ、ようやく1818年にナツィオナルテアター Nationaltheater =国立歌劇場はオープンにこぎつけたが、1823年には火災で焼失してしまった。 しかしその2年後の1823年には劇場は再建された。
1865年ゲルトナープラッツにアクチエン-フォルクステアター Actien-Volksteater が開場し、オッフェンバッハのオペレッタでこけら落としがされた。 これが現在のゲルトナープラッツの州立劇場である。 ルードヴィッヒ2世が1865年にワーグナー音楽祭用に建造を命じながら実現に至らなかった劇場も1901年に完成した。 プリンツレゲンテンテアター Prinzregententheater である。
このように次々と開場していったミュンヒェンのオペラハウスであるが、第二次世界大戦における連合軍の爆撃により多大な被害を受けた。
1943年10月3日と4日の爆撃で灰燼に帰した国立歌劇場は復興のめどが立たず、バイエルン国立歌劇場の公演は比較的軽微な損傷で済んだプリンツレゲンテンテアターで1945年に再開された。 ゲルトナープラッツの州立劇場は1948年に公演を再開した。 その内装を全て取り外しミュンヒェン近郊に移動しておいたキュビリエによって建てられたオペラハウスは1944年の爆撃で破壊されたが、1958年にレジデンツ内の現在の場所に復元され、「フィガロの結婚」で公演を再開した。 これがアルテス・レジデンツテアター/キュビリエテアター Altes Residentztheater / Cuvilliés-Theater である。 ナツィオナルテアターの再建はさらに遅れ、ようやく1963年に完成した。 一方プリンツレゲンテンテアターはその開場に伴いその役割を終え、また構造的な欠陥が指摘され同年閉場された。 その後この劇場は個人の篤志家の寄付により、ようやく1988年にそのリノヴェーションがなり、現在ミュンヒェンではこれら4劇場でオペラを鑑賞することが出来る。

ミュンヒェンのオペラ・カンパニー

ミュンヒェンには2つのオペラ・カンパニーがある。 
ひとつはご存知バイエルン国立歌劇場 Bayerische Staatsoper で、ナチオナル・テアター Nationaltheater を中心に、ごく一部をキュビリエス・テアター Cuvilliés-Theater、およびプリンツレゲンテン・テアター Prinzregententheater で行う。 夏のミュンヒェン・オペラ・フェスティバル Münchner Opern-Festspiele も国立歌劇場の主催だ。
もうひとつはゲルトナープラッツの州立劇場 Staatstheater am Gärtnerplatz で、こちらはオペラ、バレーの他ミュージカルも主要なレパートリーとなっている。
その他オリンピック公園でオペラ公演があることもある。

ミュンヒェンへ

現在日本からミュンヒェンへの直行便は無い。 したがってフランクフルトその他のヨーロッパのゲート・シティーから乗り継いでミュンヒェン空港に到着することになる。
ミュンヒェン空港 Flughafen München Franz Josef Strauß はミュンヒェン市街地の北東29km ほどのところに1992年に開港した近代的な空港である。 バッゲージ・クレームから「DB」の表示にしたがって進むとやがてDB (Deutsche Bahn AG) のカウンターに至る。 ミュンヒェン中央駅 München Haubtbahnhof (= Hbf) へはカウンター近くの自動販売機でチケットを購入し、カウンター前のエスカレーターでホS-Bahn at Munich Airport Stationームに下りる。 この駅から発車するS-バーンはS1とS8で、発車するとやがて反対方向へ向うが、いずれも40分から45分で中央駅に到着する。
ドイツ内の他の都市やオーストリアやイタリアに向かう場合には、このカウンターでチケットを購入するとよいだろう。 ここではアイテネラリーをプリント・アウトしてくれるし、JCBを含め主要なクレジット・カードでの支払いがOKだ。 なお中央駅での乗り換えでない場合があるので注意が必要だ。 オーストリア、イタリア方面に行く場合はミュンヒェン・オスト駅 München Ost での乗換えが普通なので、S8を利用しないと乗り遅れる可能性が大だ。
鉄道でミュンヒェンに到着する場合には通常中央駅着となるので問題はない。

市内の交通

Strassen Bahnミュンヒェン市内の公共交通機関はよく発達している。 地下鉄 U-Bahn、路面電車 Strassen Bahn = Tram、バスの他、DBの運営するSバーンがある。
オペラを見る場合最も利用価値のあるのはトラムだ。 ミュンヒェンのトラムは優先的に走行できるため非常に早い。 右写真のような新型のトラムの社内には次の停車駅が表示される表示板がついているのも心強い。
現在これらの公共交通機関の運賃は最低2ユーロだ。 中心部(Innenraum)の一日券 Tageskarte が4.5ユーロ、3日券が11ユーロなので、2-3日滞在する場合には3日券 3 Tage Innenraum Tageskarte が便利だ。 

ホテル

ミュンヒェン中心部のホテルはかなり高い。 中央駅から程近いカールスプラッツ Karlsplatz に隣接する四つ星ホテルケーニッヒスホーフ Königshof などはなかなか良いが非常に高い。 カールスプラッツと中央駅の途中のエクセルシオール Excelsior あたりで150ユーロ前後で泊まれれば上出来だ。 ヒルトンやシェラトンのような米国系高級ホテルはエングリッシャー・ガルテン Englisher Garten の近辺やイザール川 Isar の対岸といった比較的交通の便の悪いところにあるので泊まったことがないが、最近かなり安いレートが出ている。
中央駅の南側には小ぶりのホテルが多数ある。 最近はその予約の容易なことからベスト・ウエスターンのホテル・クリスタル Hotel Cristal とアトリウム・ホテル Atrium Hotel に泊まることが多い。 これら2つのうちでは駅から3分程度とより近いシュヴァンターラーシュトラーセ Schwanthalerstraße 沿いのクリスタルのほうが部屋も良いのだがなかなか予約が出来ない。 室料は安いスペシャルレートがあるときは85ユーロあたりからだが、通常は130ユーロ以上だ。 ただしベスト・ウエスターンの場合にはビュッフェ・スタイルの朝食付である。
ミュンヒェンについてから安い宿を探すのなら中央駅構内のインフォメーションで聞くことになるが、構内といっても入口は駅構内にあるのではなく駅正面(東側)の道路側にある。 なお、ミュンヒヘンではバス付と言ってもドゥーシェ付きの場合が多いので、バス・タブ付か確かめること。

食事

ミュンヘンで一番困るのが食事だ。 とくにオペラが引けてからだと新市庁舎のあるマリエンプラッツ Marienplatz から中央駅に向かうカウフィンガーシュトラーセ Kaufinger Straße あたりでも開いているのはほとんどビア・ホールのみ。 30年前には旨いと思ったザウワークラウトも、最近はここミュンヒェンではすこぶるまずく感ずる。 それだけ贅沢になったこと、そして年をとったと言うことだろうか。 ソーセージと山盛りのザウワークラウトをビールで流し込むのは苦痛だ。
日本料理屋も市中心部には少ない。 三越の近くのビストロ庄屋に入ってみたが大味で旨くない。 中央駅近くのゾネンシュトラーセ Sonnenstraße の中華料理屋の看板につられてその2階にあるレストランに入ってみたが、看板に書かれていたメニュー Menu = 定食 が今日はないという。 食べることについては良い記憶の少ないミュンヒェンだ。 最近は入ったことがないのだが、30年前に良く入った立ち飲みのコーヒー・ショップは良かった。 一杯30ペニヒで、飲み終えるとカップを重ねていくのだ。
駅周辺に宿を取るようになってからよく行くようになったのはゲーテシュトラーセ Goethestraße のイタリアン・レストランで、ここはまあまあ満足できる。
2001年に駅から少し離れるがシュバンターラーシュトラーセを東にゾネンシュトラーセまじかまで行った右側(南)に新たに見つけたのが右写真のイタリアン・レストラン ラ・ピアッツェッタ La Piazzetta だ。 ここは深夜まで本格的な味のイタリア料理を出してくれるし価格もリーゾナブルでお奨めだ。

年末のミュンヒェン

11月も下旬になるとミュンヒェンの商店はクリスマスに向け趣向をこらした装飾を競い始める。 目抜き通りのカウフィンガー通りなどは他の欧米の都市に比べると地味ではあるが上品な飾り付けだ。 まずこれでもかといった大量の電飾などは無く、それとなくビルの窓や壁が飾られたり、ひさしの上にサンタがいたりする。
カウフィンガー通りを西に行くと途中からノイハウザー通り Neuhauser Straße と名前を変えるが、その通りのカールシュタットのショーウインドウにはキリストの誕生の物語がディスプレイされていた。 下の写真はそのうちのひとつ「ベツレヘムへの道」の部分だ。
Christmas Decoration at a department storeチョコレート屋やケーキ屋にはクリスマス用の商品が鮮やかにディスプレーされ、紅茶屋ではクリスマス用のマグ・カップに入れた紅茶があったりする。 デパートのクリスマス用飾り付け売り場もすごい。 広大な売り場に実に多様な品物が並べられている。

その他の見所

ミュンヒェンの見所は多い。 まずアルテ・ピナコテーク Alte Pinakothek やノイエ・ピナコテーク Neue Pinakothek に代表される美術館、レジデンツ Residenz やニュンフェンブルク城 Schloss Nyumphenburg などのバイエルン王家の居城、ドイツ博物館 Deutsches Museum などの博物館等々。 あまりこれらの見学に精を出すと肝心のオペラで居眠りをする羽目に陥るので注意しなければならないほど見所が多い。

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