南ボヘミヤのそれもオーストリアにあとほんのわずかという南辺にチェスキー・クルムロフ Ceský Krumlov は位置する。 ヴルタヴァ川 Vltava が大きく湾曲する地に中世のたたずまいを残すこの町は1992年にユネスコの世界文化遺産に登録され、世界で最も美しい町のひとつとして知られるようになって来た。Cesky Crumlov Castle Overview

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 チェスキー・クルムロフの地図  

チェスキー・クルムロフの歴史

紀元前4000年ごろのものと言われる石斧のような武器がクルムロフ城の第1の中庭から、そして青銅器時代の紀元前1500年ごろの磁器が第2の中庭から発見されており、この地には古くから人が住んでいたことが知られている。 クルムロフのゴシック様式の城は1250年以前にチェコの有力な貴族ヴィトコヴェツ家 Vitkovec の分家ヴィーテック Vitek の城として建造された。 クルムロフの名前の最も古い記録は1253年の文書で、その中でこの地は「Chrumbenowe」と呼ばれていた。 これは「曲がった川辺の未開墾の草地」を意味する古ドイツ語に由来する。
1302年にこの地の領主が死去するとロジェムベルク家 Rozmberk がこの地を支配するようになり、その支配は1602年まで続く。 この間1394年には96軒の家があるとの記録がある。 当時の町はチェコ人とドイツ人との混合で、ロジェムベルク家の3世紀にわたる統治の間に町は大きく発展した。 15世紀にチェスキー(チェコの)が加えられ、この地はチェスキー・クルムロフと呼ばれるようになった。
1602年ロジェムベルク家の領地はハプスブルク家の皇帝ルドルフ二世 Rudolf II に売り渡され、その庶出子で精神異常といわれるドン・ジュリアン・ドオストリア Don Julian d'Austria が1605年から1608年をここで暮らした。 短期間ではあったが1613年にはパッサウ軍によって町は占領され、さらに1618年に始まった30年戦争の間にはオーストリア軍、ついでバイエルン軍、さらにはスエーデン軍によって占領され、町は財政的に窮地に立った。 この間1622年皇帝フェルディナンド二世はエッゲンベルク家 Eggenberg にこの地を与え、同家は1719年まで3代にわたってこの地を統治する。 三代目のヨハン・クリスティアーン Johann Christian は教養豊かな人物でヨーロッパ各地を訪れ多くの知己を作った。 彼の宮廷は多くのヨーロッパ各地からの貴族であふれ、演劇、コンサート、仮面舞踏会、狩などが催された。 彼は真の芸術愛好家で、特に音楽、オペラそしてバレーを好み、第5の中庭に面するバロック劇場を建てたのも彼だった。 彼の統治期間中にクルムロフは経済的にも大きな発展を見た。
1719年にヨハンが逝去するとこの地はシュヴァルツェンベルク家 Schwarzenberg が相続することとなった。 シュヴァルツェンベルク家はハプスブルク宮廷と密接な関係で結ばれており、また有能な領地の経営者であり政治家であった。 そのヨセフ・アダムス Josef Adams (1722-1782) が統治した時代にはさらにこの地は光り輝き、、南ボヘミヤの行政、経済、文化の中心地となった。 彼はクルムロフ城をロココ様式に改造し、現在見られるこの城の内外装の多くはその改装の結果である。
彼の後の世代はチェスキー・クルムロフに対する投資意欲を次第に失い、フルボカー城 Hluboká で過ごすことが多くなった。 そして20世紀にはいるとこの城館は全く使用されなくなってしまった。
この間ドイツ人の人口が次第に増加し、1880年代の人口はおよそ8,700名、うち6,400名がドイツ人、2,000名がチェコ人、残りが外国人と言う状況だった。 さらに1938年英仏政府がチェコを生贄としたミュンヘン会談の結果、チェスキー・クルムロフはドイツ国籍の居住者の町となった。 しかし1945年5月初頭アメリカ軍によって解放され、ボヘミヤを中心にモラビア、スロバキアからの人々が移り住んで来、一方ドイツ人たちは去っていった。
1947年にクルムロフ城は接収され、1949年にはチェコスロバキア共和国の所有となった。 

チェスキー・クルムロフへ

チェスキー・クルムロフ探方の最も簡単で効率的な方法はプラハから日帰りの観光バスを利用することだ。 クルムロフ城の開館している期間(2002/2003年は11月4日から翌3月30日まで閉館)の10時間コースだと昼食付きで1,750コルナ位だ。 城内ツアーとバロック劇場ツアー付きのものが良いだろう。 おそらくプラハからの往復で5時間程度かかり、昼食が1時間程度だろうからチェスキー・クルムロフでの見学時間は4時間程度であろう。 ツアーのメリットは上記の城内ツアーに参加できることだ。 私の行った10月には個人の参加できる城内ツアーは合計3つある城内ツアー(ルート1、ルート2およびバロック劇場ツアー)のうちルート1のみで、バロック劇場ツアーには参加できなかった。 列車またはバスで日帰りの場合、城の見学にはかなり無理がある。 というわけで、6月から8月ごろのハイ・シーズンにゆっくり滞在する場合以外はツアー利用も一考の余地がある。
プラハから鉄道でいく場合には、プラハ本駅 Praha hlavni nádrazi からチェスケー・ブディヨヴィツェ Ceské Budejovice 乗換えで約4時間。 2003年上期では次の3本あたりが利用しやすい列車だろう。 1. 09:17発13:22着、2. 12:17発16:09着、3. 14:17発17:43着 なお駅からブディヨヴィツェ門 Budejovická brána まで約1.5kmほどあり、荷物が多いときはタクシー利用となろうが、チェコのタクシーは要注意だ。 かなり高いことを言ってくる。 チェスキー・クルムロフからの帰りは次の4本が利用しやすいだろう。 1. 08:16発12:51着、 2. 12:30発16:51着、 3 15:18発18:54着、 4. 18:07発21:51着 なお18:07発のものは乗り換えなしだ。
次にバスだが、プラハからの直行便がある。 ただし2002年10月には1本のみ。 所要2時間半から3時間。 チェスキCeske Budejovice - Bus Terminalー・ブディヨヴィツェ行きは頻繁に出ており、そこからの便も非常に多い。 ただしどこから出るのか十分にチェックすること。 私はチェスキー・クルムロフからプラハ行き直行便に乗ったが、てっきりフローレンツ・バスターミナル autobusové nádrazi Praha-Florenc まで行くのだろうと思っていたところスミーホフ駅 Smichov 止まりで、どこに着いたのやら一瞬大いに戸惑った。 なお運賃は150コルナ程度と安い。
したがってもし荷物を持っているならチェスケー・ブディヨヴィツェまで鉄道で行って、そこからバスに乗り換えるのが良いだろう。 チェスケー・ブディヨヴィツェのバス・ターミナル(上右写真)は駅前、道路を挟んだ反対側で駅から地下道もある。 終点のバス・ターミナルからは500-600mで東側から半島状の旧市街入り口へ、一つ手前のブディヨヴィツェ門近くの停留所からは200mほどでヴルタヴァ川北岸の歴史的街区に入ることができる。 運賃は片道26コルナでそれに2コルナの荷物代をとられたが実に安い。
私達の場合にはウィーンが出発点だったので、次のような旅程となった。 09:05 ウイーン フランツ・ヨーゼフ駅 Wien Franz-Josefsbahnhof 発11:20 グミュンド・ネー Gmünd Nö 着。 11:31同駅発11:35 チェスキー・ヴェレニツェ(下写真) Ceske Velenice 着。 11:46同駅発12:51チェスケー・ブディヨヴィツェ着。 なおいづれも終Ceske Velenice点なのでわかりやすい。 グミュンド・ネー駅には遅れて着いたため大いにあせったが、接続しているようである。 同駅は国境の駅で、パスポートにしっかりスタンプを押してくれた。 左写真のかなりの車両を連結した列車が1駅と数えるばかりの乗客のため運行された。 チェスキー・ヴェレニツェからは左写真右にかすかに見える、いわゆるレール・バスを2両連結したものでチェスケー・ブディヨヴィツェへ向かった。 料金はウィーンから25.50ユーロだった。 チェスケー・ブディヨヴィツェの駅で荷物を預け、バス・ターミナルからフルボカーに行き城館を見物し、チェスケー・ブディヨヴィツェに戻り荷物をピック・アップしてチェスキー・クルムロフへバスで向かった。

チェスキー・クルムロフの地図

チェスキー・クルムロフはごらんのようにヴルタヴァ川が南から大きく西に曲がり半島を作るようにさらに東へ向かかい、さらに蛇行して北へ向かう地に位置する。 この地図上桃色が道路、薄茶が市街地、茶が重要な建築物を示す。
説明を容易にするため、3つの地域に分けて説明しよう。 まず第一の地域を「城」地域と呼ぼう。 これは地図上方中央に「ZAMEK」記された部分とその左側の主に茶色の地域である。 次に半島状の部分を「旧市街」と呼ぶ。 第3の地域は地図上方右側の部分で「ラトラーンとヴルタヴァ川に隔てられている旧市街」と呼ぶ。
ブディヨヴィツェ門近くのバス停は地図右上方の地図の外に位置しており、高架の橋を渡るとすぐブディヨヴィツェ門があり、その中がラトラーンと呼ばれる地域だ。 バス停からラトラーンまで約200mと言ったところだろうか。 バスターミナルは「旧市街」から右(東)にヴルタヴァ川に沿って北上する道(黄色部分)の反対側の小高いところにある。 荷物を持っているときにはショートカットできないのでガソリン・スタンドのところを大回りしなければならないので旧市街付け根から600mといったところだろうか。
Map旧市街の中央にあるのがスヴォルノスティ広場 nam Svornosti で、ここにインフォメーションがありホテルの紹介等してくれる。 FDの左側の茶色が聖ヴィート教会 Kostel sv. Vita、FDはホテル・ルージェ Hotel Ruze、半島左側の茶色がエゴン・シーレ文化センター、城の南ヴルタヴァ川沿いの教会が旧ヨシュト教会 Kostel sv. Josta、右上の茶色が修道院、その右側半分地図からはみ出している薄茶の部分がエッゲンベルク・ビール醸造所 Pivovar Eggenberg だ。

Hotel Konvice宿泊施設

チェスキー・クルムロフには宿泊施設が多い。 ただしその大部分の規模はいたって小さい。 10室前後の施設が多いのである。 そのため事前に予約をしておくことを推奨する。 早くに着いて、インフォメーションで斡旋してもらうと言う手ももちろんあるが、私たちは夕刻着いたため宿探しに苦労した。
ここの最高級かつ最大のホテルは半島部のホルニ通りのホテル・ルージェだ。 4月から10月までのハイ・シーズンだとシングル・ルーム4,200コルナから、ダブル・ルームで5,200コルナからとなかなか良い値段だ。 ただし朝食および税込。 URLは http://www.hotelruze.cz このホテルについては「市街地」のページも参照。 71室のホテルなので、このホテルなら1部屋くらいあるだろうと飛び込みで聞いてみたが、満室だった。
南岸のホテル・ゴールドは少々遠いが聖ヴィート教会やホテル・ルージェをみはらす良い場所に建っている。 12室で料金は2,000コルナ台のようだ。 これも「市街地」のページ参照。
もう少し安いところだとホテル・ルージェの向かいの部屋数9室のコンヴィツェ Konvice という小ホテル(写真右)がある。 コンヴィツェとはポットのことで、写真でお分かりいただけるだろうか、看板にそのコンヴィツェがつるされている。 料金は1,000コルナ前半と言ったところだが、レストランも併設しており、なかなかにぎわっていた。 ちなみに部屋が空いているか聞いたところ、今しがたふさがってしまったと言うことだった。
No. 5 room at Pension Na Kovarne半島部の付け根、しかもホルニー・ブラーナの外には何件かペンションがある。 シングル1,000コルナ、ダブル1,200コルナからというペンション・バルバカーン Pension Barbakán もしかし満室だった。 
結局すぐ近くのペンション・ナ・コヴァルネ Pension Na Kovárne でツイン・ルームを見つけて泊まることができた。 最後の1部屋であった。 ドゥーシェ、朝食、税込み1,000コルナであった。 このホテルはホルニー通りを東にホルニー・ブラーナ橋を渡ったところの正面、ホルニー通りとローゼヴェルトーヴァ通り Rooseveltova とがY字型に分岐する部分に位置する。 1階が電気屋で、ペンションのドアを押すとすぐ階段があり、2階の朝食堂がリセプションとなっている。 左はその5号室。
当ホテルのURLは http://pension.na-kovarne.cz/

旅のヒント

ベスト・シーズンと滞在日数
個人的にチェスキー・クルムロフを訪れる場合には、6月から8月にかけてのハイ・シーズンが最も良いだろう。 城の開館時間が最も長く、城内ツアーも頻繁に催される。 11月から3月までは城内の各種の施設は閉館となるので、すでにここを訪れたことがありぜひとも冬のチェスキー・クルムロフを見ておきたいという人々が訪れる時期だ。 しかも晩秋から冬にかけてはどんよりと曇り、暗い日々が多いようだ。
プラハを朝たっても到着は午後2時前後となるので、その日は城内ツアーの1つに参加できるかどうかと言うところである。 合計3種類ある城内ツアーのうちルート1とバロック劇場ツアーとにはぜひ参加すべきだろう。 したがってここでは2泊する必要があろう。 事前にホテルの予約ができていれば夜遅くついて2泊し、3日目の朝早くにチェスキー・ブディヨヴィチェで荷物を預け、フルボカーを見学し夜遅くプラハに着くというような日程が効率的だろう。
ちなみに私たちはチェスキー・ブディヨヴィチェ18:15発のバスに乗ったので夜7時ころに着いて、翌日12:30発のプラハ行き直行バスに乗ったので、11:00のルート1城内ツアーに参加するのが精一杯だった

バス・ターミナルで
バス・ターミナルにはインフォーメーションがあるので、必ず行き先を行って発車時刻を確かめよう。 英語での返答の代わりにメモ用紙に行き先、発車時刻と出発バス・ストップ番号を紙に書いてくれる。 切符をそこで買える場合には買っておこう。 チェスキー・ブディヨヴィチェの場合には「CSAD Praha Vrsovice」とか「CSAD Jihotrans」とか何社かのバスが同じ路線を走っているようで、車内で買うのが普通のようだ。 また会社によって値段が違う場合がある。

トイレ
町が小さいせいか公衆トイレは少ない。 市街地だと半島部の聖ヴィート教会の近く、北岸市街地では城館のチェルヴェナー・ブラーナ門近く、そして城内だとプラーシュチョヴィー橋間近にある。 利用料はごくわずかだ。 なお女性用が「Z」、「zeny」、「dámy」等、男性用が「M」、「muzi」、「páni」等と書かれている場合が多くわかりにくいが、有料であればトイレ番の人がいるので余り心配は要らない。

本ページ利用の際の注意事項
本ページは2002年10月現在の情報を元に極力正確を期すように努めたが、誤った記述もある場合もあるので、この点留意の上利用下さい。
またチェコ語の表記については現在の私のPC環境では表記できないものがあるためアルファベットの上に発音記号様のものが載ったもののうち一部を省略していること、また発音のわからないものについては極力信頼できそうな資料によったが誤りがあるかもしれないことを記しておきます。

参考文献
Unios CB社刊    Uniosguide Ceský Crumlov 英語版
出版社不詳      「チェスキー クルムロフ」 町と城のガイド 観光案内 市街図(市街図は無し)
ATP Jihlava社刊   Panoramic Map Guide Ceský Crumlov
ATP Jihlava社刊   A detailed Guide to the Castle and the Park
ATP Jihlava社刊   A detailed Guide to the Theater             その他

旅行年月日
2002年10月8日−9日

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