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パエストゥムの歴史パエストゥムの起源については現在のところ明確な資料が発見されていないが、ギリシャの地理学者ストラボ
Amaseia Pontus Strabo (64/63 BC - 23 AD?) の書にギリシャの植民市シバリス
Sybaris がセレ川の河口に要害堅固な植民市を築き、その町が近隣の地域を支配したとあり、またソリヌス
Jukius Solinus というローマ人、彼は地理上の伝説を多く書き残した人物である、はシバリスのドーリア人がアカイア人に追放され、ポセイドニア
Poseidonia を建設した。その町は後にパエストゥムと呼ばれるようになったと書いているそうである。 これらの文献と近代考古学的発見から現在次のように推定するのが一般的である。 |
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パエストゥムの遺跡はナポリからティレニア海沿い約90km、サレルノ Salerno
から36km南下したところに位置する。 かつてはサレルノからバスが頻繁に遺跡を縦断する国道を突っ切って走っていたのだが、現在はそこが歩行者天国となっているためか、本数がすこぶる少ない。 またサレルノのバス停が非常に分かりにくいので、バスの利用は薦められない。 |
列車番号 | Napolo | Pompei | Salerno | Paestum | 列車番号 | Paestum | Salerno | Pompei | Napoli | |||
12355 R2 | 05:30 | 06:10 | 3700D | 05:57 | 06:32 | 06:55 | 07:32 | C | ||||
3451 D | 05:15 | C | 05:44 | 06:20 | 06:56 | 3704 D | 08:08 | 08;47 | 09:18 | 09:49 | C | |
3453 R | 05:59 | F | 06:46 | 07:13 | 07:49 | 3706 D | 14:33 | 15:17 | 15:38 | 16:12 | C | |
3455 R | 08:15 | C | 08:49 | 09:13 | 09:49 | 12698 R2 | 15:07 | 16:08 | ||||
3457 D | 12:20 | C | 12:46 | 13:13 | 13:49 | 3708 D | 16:18 | 16:54 | 17:16 | 17:46 | C | |
3461 D | 14:20 | C | 14:46 | 15:13 | 15:49 | 3710 D | 18:11 | 18:49 | 19:11 | 19:58 | F | |
3465 D | 17:10 | 17:59 | 3712 D | 20:17 | 20:57 | 21:19 | 21:50 | C | ||||
3467 D | 18:25 | C | 18:52 | 19:17 | 19:52 | 3714 D | 22:10 | 22:43 | 23:06 | 23:35 | C | |
3471 D | 20:56 | C | 21:24 | 21:48 | 22:24 |
南側の入り口から中に入ってみることにしよう。 左手前方に堂々とそびえるのが通称ポセイドン(ネプチューン)神殿
Temple of Poseidon だ。 残念ながら2000年冬現在修復中で、右写真のような針ねずみのような状態であった。 そこでかなり古いが1987年冬に撮影した銀塩写真を使って説明していこう。 下の写真が入り口(東側)方面から見たものである。 紀元前450年ごろの作と推定され、ここパエストゥムの神殿群中では最も新しいものである。 正面に6本、側面に14本、都合外周に36本のコラムを有するこの神殿はドーリス式神殿の代表的な作品の一つで、保存状態の点からも貴重な遺産だ。 アテネのパルテノン神殿とは同時代の作で、そのスタイルはどことなくパルテノンを彷彿とさせるが、パルテノン神殿よりは小ぶりだ。
伝統的にポセイドン神殿と呼ばれているが、この一帯は全てヘーラーに奉納された聖域であり、この神殿もヘーラーのためのものであるという推定が現在大勢を占めるに至っている。 ちなみにここはヘーラー第二神殿と言うのが正式名称である。
中に入ってみると(1987年には自由に入ることが出来たが、現在は立ち入り禁止となっている。 修復が終わってもまわりに柵が張り巡らされる可能性が高い。)、2列の2層のコラムが並んでおり、それが屋根を支えていたわけである。 木製の梁にテラコッタ製のかわらがのっていた屋根があった当時の内陣は薄暗く、神秘的なムードを漂わせており、内陣の突き当りには巨大な女神像が安置されていたことが想像される。 内陣の前室右手には3段ほどのみ残っている階段が見られる。 この階段は上階へのアクセス手段で、上階には壁とドアーで内陣から仕切られた宝物庫があったと考えられている。
ポセイドン神殿のすぐ南隣に位置する、バジリカと Basilica 呼ばれる神殿(右写真)はパエストゥムの3神殿中最大かつ最古のものである。 正面に9本、側面に18本、合計50本のコラムからなっているドーリス式の神殿で、紀元前6世紀半ばの作と推定されている。 上記のポセイドン神殿より100年ほど前の建造ということになる。
「バジリカ」という名称ははこの神殿が発見された18世紀当時の考古学者たちが、その発見時の構造的特長が彼らのギリシャ神殿に対する知識と異なっていたため、これは神殿ではなく公共建築物に違いない、バジリカだと判断したからだ。 まず正面のコラムが奇数という神殿など例が無いこと、また奇数であるためその真中に一列7本(3本のみ復元されている)のコラムがあり、内部を2つに分割しているのは神殿としておかしい等々であった。
その後小さな奉納用の像が発見されたこと等により、現在ではヘーラーを祭る神殿、もしくは少なくともヘーラーに捧げられた聖域の一部であると信じられている。 内部が2つに分割されているという問題も、ナーオス
Naos (内房)とドアーで仕切らたプロナーオス Pronaos とに分けられていたと考えることにより解決できるわけである。 なお現在までにイタリアで発掘された神殿の中では内部が2つに分割されているのはここだけである。
この神殿も現在修復中で、ここに掲げた写真は1987年のものである。
バジリカやポセイドン神殿のあるヘーラーの聖域と後述するケレス神殿のあるアテナの神域の中間にフォロは位置する。 ここのフォロはローマの最古のフォロのひとつに数えられている。 幅57メートル長さ160メートルという広さを誇り、周辺には飲食店その他の店舗、マーケット、浴場、体育場、劇場(屋内)、野外劇場(写真下左)、闘技場(写真下右)などが所狭しと並んでいる。 そのうち素人目にもわかりやすい野外劇場と闘技場の写真を掲げておこう。 なお闘技場中央部に旧国道が位置しており、発掘されているのはちょうどその西半分のみである。
フォロの北側、心もち小高い所に位置するのがケレス神殿 Temple of Ceres だ。 右の写真は2000年のもので、ここだけは修復用の足場等一切無かったが、周囲に木製の柵が張り巡らされていて中には入れない。
この神殿はちょうどバジリカとポセイドン神殿の中間、紀元前4世紀末の作と考えられている。 前面6本、側面13本、計34本のコラム構成で、基壇部の大きさは正面16.8メートル、側面36.0メートルで他の2神殿に比べかなり規模が小さい。 この外周の列柱は初期ドーリス式のものであるが、プロナオス(前房)の正面4本側面3本計8本の列柱はイオニア式である。 現在その柱脚部分が残っているだけだが、その柱頭
Capital のうち2個を国立考古学博物館で観ることができる。
この神殿は農業の女神ケレースに奉納した神殿だとして命名され、今なおこの名称が使われているが、多数の小さなテラコッタ製のアテナを象徴する像が発見され、またアテナの名前の入った壷の破片が見つかるに及んで、アテナの神殿であることが確信されるに至った。 またギリシャ都市では知と芸術の女神であるアテナの神殿は最も高所に建てるということが知られており、この神殿がアテナに奉納するものであるとする説の裏づけとなっている。
なおこの神殿の内室の南面から3基のキリスト教徒の墳墓の痕跡が発見されており、この神殿が中世初期にキリスト教会として使われたことが知られている。 しかしここも9世紀のサラセン人海賊の襲来により打ち捨てられた。
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![]() ![]() その他この博物館にはすばらしい赤絵式および黒絵式の壷など見るものが多い。 |
1) Paestum は「ペストゥム」と発音する場合もあるので注意。
2) 遺跡は年中無休で09:00に開場するが入場締め切りは時期によって異なり14:30の季節もあれば18:00の季節もあるので注意。 なお退場時間は入場締め切りから1時間後。
3) 考古学博物館は第一および第三月曜日を除く毎日09:00から19:00。 入場は18:30まで。 したがって10月から3月ごろの遺跡の閉場時間が早い季節には博物館を後にするほうが一般的に便利。
4) 遺跡周辺のホテルは3星または2星で予約に苦労する。 私の泊まった2星のデッレ・ローゼ
Delle Rose はインターネットで申し込んだが返答が無く、ファックスを送ろうとすると人が出てしまって困った。 結局1泊朝食付き6万リラで泊まったが、お勧めできるような場所ではなかった。 なおインターネットの予約をチェックする者がいず、電話の調子が悪くファックスの受信ができないということだった。 海岸沿いにはリゾート・ホテルがあるが、駅にタクシーが無いのでレンタ・カーでも借りる場合以外薦められない。
5) 駅にタクシーがないといったが、切符を売っていない場合が往々にしてある。 博物館の先のバールで購入しておくこと。
6) 本項記述にあたっては2000年11月に訪れたときの情報を元に正確を期したが、時刻表等、間違い、変更等ありうるので自身の責任で利用すること。
7) 参考文献
A. C. Carpiceci & L. Pennino 「Paestum and Velia」 - Today and
2500 years ago - Matonti Editore
加藤静雄「古代シチリア連想の旅」 三修社 1983