オールド・フェイスフル・イン  オールド・フェイスフル・インの内部
 ノーザン・パシフィック鉄道  オールド・フェイスフル・インの外観
 オールド・フェイスフル・インの歴史  ホテルとビレッジ情報

オールド・フェイスフル・イン

イエローストーン国立公園に興味を持ち始め、資料を集めているとたまたまナショナル ジオグラフィック トラベラー日本版「アメリカの国立公園」というムック本を見つけ購入した。 そのイエローストーに関する記事の中に印象深い2つのホテルの写真が載っていた。 一つはレイク・イエローストーン・ホテルのギリシャ風円柱を通してバイソンが草を食む写真で、もう一つがオールド・フェイスフル・インの吹き抜けのロビーの縦12cm横8cmほどの写真だった。 そしてどうしても自分の目で見てみたいと言う気持ちが昂じていったのだった。

ノーザン・パシフィック鉄道とパッケージ・ツアー

ノーサン・パシフィック・レイルロード Northern Pacific Railroad がイエローストーンの観光に果たした役割は計り知れない。 1883年モンタナ州のリビングストン Livingston から公園北入口近くまでのイエローストン公園線を開通させ、イエローストーンのパッケージ・クーポン・ツアーの拡販に努めた。 20世紀初めには5日間のツアーは約40ドルほどであったと言う。 公園北入口近くの駅(1903年にはガーディナー Gardiner まで開通したが、それまでは5kmほど離れたシナバー Cinnabar が終点であった。)に降り立ったクーポン所持者は駅馬車に揺られまずマンモス・ホット・スプリングスに泊まり、通常はマディソンとオールド・フェイスフルの中間のファウンテン・ペイント・ポット Fountain Paint Pot 近くのファウンテン・ホテル Fountain Hotel に2泊し、アッパー・ガイザー・ベイスンを探訪し、翌日はレイク・ホテル Lake Hotel に泊まり、マンモス経由で公園北入り口へ戻ると言うのがポピュラーなイエローストーンの回り方であった。 オールド・フェイスフル近辺でもっと時間を取りたい、オールド・フェイスフルで泊まれると良いという旅行者の声に、1885年に大きいが安普請のホテル、通称シャック Shack = 掘っ立て小屋が建てられたが、人が歩くと揺れるという代物で、ここに一泊した人はファウンテン・ホテルに逃げ帰ると言う有様であった。 このホテルは1894年までの短期間使われたのみであった。

Big Clockオールド・フェイスフル・インの歴史

このような状況の中、ノーサン・パシフィック鉄道の財政支援を得たハリー・チャイルド Harry Child は1902年、アッパー・ガイザー・ベイスンに高級ホテルを建設すべく、弱冠29歳のシアトルの建築家ロバート・リーマー Robert Reamer に設計を依頼することとなる。
オールド・フェイスフル・インの建設は1904年6月のオープニングを目指し1903年の晩夏に始められた。 リーマーは40名ほどの労働者を使い、ロビーの支えの中心となる高さ80フィート、重量500トンと言われる巨大な流紋岩の暖炉と煙突の建設から始めた。 ロビーの建設から始めたのは労働者たちをイエローストーンの厳しい冬の寒さから守るためであった。その巨大な暖炉と煙突にはこれも巨大な時計がつけられた(右写真)。
このロビーからは屋上のオブザベーション・デッキまでの階段が取り付けられ、また夕刻のオールド・フェイスフル・ガイザーの熱水噴出を照明するサーチ・ライトも取り付けられた。
140のゲスト・ルームは316名の収容が可能で、各室にはスチームの放熱器が備え付けられ、また蒸気発電機を備えることにより、オールド・フェイスフル・インはアメリカで最も早く電気照明を用いたホテルの一つとなった。
初期のダイニング・ルームは現在の暖炉のところまでで、大きな窓とキャンドル状の電気照明が備えられていた。 ディナーを知らせるベルで間欠泉を探訪している人々は正装して食卓についたといわれる。
インは予定通り1904年6月にオープンすることが出来た。
Lobby1913年にはイースト・ウィングがロバート・リーマーの建築思想に基づき増築され、部屋数が100増加した。 1922年にはダイニング・ルームが現在見られるように暖炉の後ろ側に増築され、大きなガラス窓のおかげで増築部分は既存部分に比べ大幅に明る空間を提供している。 1927年から28年にかけてはリーマーにより150室のウェスト・ウイングが増設された。 またロビーの壁を30フィートほど馬車口だった部分をつぶし北側に伸張させ、新たな馬車口を建造した。 その結果3階の下にのみ位置していた屋外のバルコニーがその馬車口の上に伸張され、大幅に拡大した。
1936年にはベアー・ピット・ラウンジ Bear Pit Lounge というカクテル・ラウンジが新設された。 このラウンジは1962年に現在のレストラン脇の場所に移転された。
1959年8月の地震でロビー棟は構造的な損傷を受け、屋上のオブザーベーション・デッキへの入場は禁止され、サーチ・ライトも取り外された。
1987年には屋根の上にスプリンクラー・システムが装備され、また同年5月28日次のようなステートメントのもと、ナショナル・ヒストリック・ランドマーク National Historic Landmark に選定された。 『雄大な周辺景観と調和した建築スタイルで国立公園内に建設された最初の建物。 アヂランダック地方の田園風の特色を反映ているが、広範囲にいたんでいる。 その7階建のログ・ロビーは米国の建築中特異なものである。 ノーザン・パシフィック鉄道のために節のある丸太と荒引の板により作られた。 公園そのものと同一のものとして認識されている。』
ノース・フォーク・ファイアーストームの火炎が迫った1988年9月7日には、スプリンクラー・システムも大きな役割を果たし、オールド・フェイスフル・インが炎に包まれるのを回避できた。
現在オールド・フェイスフル・インはその象徴的なログ・ロビー、昔ながらのログ・ルームやレストラン、そして近代的に改装された客室で旅人を迎えてくれる。

Receptionオールド・フェイスフル・イン内部

ロビー棟に入ってみよう。 まずリセプション(右写真)でチェックインだ。 夕方になると白熱灯しか使っていないロビーは急に暗くなる。 
このロビーは上下の写真でおわかりいただけると思うが、広い空間の4周の2階には奥行きのあるバルコニーがあり、グランド・ピアノも設置されている。 その上の3階にもバルコニーがあり、さらに階段は上へ上へとオブザベーション・デッキ入口まで続いている。 だが上述のように現在その階段は閉ざされ、オブザベーション・デッキへ登ることは出来ない。 このロビー上部の2階および3階部分にも部屋があり、この部分に泊まるのが最高の贅沢かもしれない。
ロビーの一角には巨大な暖炉とその煙突が鎮座し、それには100年前のデザインとはにわかに信じがたいモダーンで、これまた巨大な時計が時を刻んでいる。
レストランの入り口もロビーに面しており、ディナーには予約が必要だ。 内部は下写真のように天井を持たないログ・ハウスそのものの巨大な空間である。 写真の部分が1904年のオープン当時からの部分で、突き当たりのこれまThe Lobbyた大きな暖炉の向こう側に1922年に増築された部分が広がる。 その部分は大きなウインドーのおかげで昼間は写真部分とは明るさに雲泥の差がある。
このオールド・フェイスフル・インも公園内の他の宿泊施設と同様、イエローストーン・ナショナル・パーク・ロッジスのチェーン・ホテルで、アムファック Amfac が運営している。 そのためここのレストランのディナー・メニューも残念ながら他の公園内のホテルのレストランと全く同じである。 そのレストラン特有のスペシャル・ア・ラ・カルト・メニューやフル・コースがあれば良いのにと思うのは私だけであろうか。 朝食の場合にはファースト・イン・ファースト・アウトでテーブルに案内してくれ、またブレックファースト・バフェーの内容もレストラン間でわずかに異なっている。

アムファックのレストランにあきたら近くのウエスト・イエローストーンの町に繰り出すのも良いだろう。
ロビーの北東の隅にはかつて使用された観光用の馬車が陳列されており、スーベニア・ショップもロビーに隣接してある。
このホテルには残念ながら宿泊できない場合でもここのロビーだけは訪れることをお奨めする。 そして2階と3階のバルコニーを探検してみることだ。
Restaurant
2階の屋外にも広いバルコニーとサン・デッキがある。

私達はバス無しの$68.00の部屋と$91.00のミッド・レンジの部屋2泊の予約に成功した。 宿泊4ヶ月前であったが、いろいろ日程を変えてやっと連泊が可能となったのだった。
$68.00の部屋はロビー北側に続く1904年にオープンした部分で廊下もすこぶる暗い。 エレベーターも無いので大きなスーツ・ケースを運び入れるのは骨が折れる。 室内は下写真の通り大変シンプルで、ダブル・ベットが一つと簡単な洗面台がついているだけだ。 テレビは言うに及ばず、電話すらない。 ただし暖房用のラジエターはある。 バス無しと言うのはバス・タブ無しと言うことかと思っていたがそうではなくバス・ルーム無し、すなわち室内にトイレすらない。 トイレはしたがってこれまた薄暗い共同バス・ルームの利用ということになる。 ここはさすがに水洗で、朝になって気がついたのだがトイレの奥にはシャワー・ルームが並んでいた。

$91.00の部屋は1928年オープンのウエスト・ウイングの内装が白色の明るく比較的モダーンなツイン・ルームでバス・ルーム、すなわちトイレとシャワーがついていた。 こちらのウイングにはエレベーターもついていたが、どうせオールド・フェイスフル・インに泊まるのであれば一番安い$68.00の部屋の方が趣があるように思う。

オールド・フェイスフル・インの外観

オールド・フェイスフル・インは外観もすばらしい。 ビジター・センター、スノー・ロッジ、ジェネラル・ストアのあるビレッジ中心部側から取った写真が次に示すものだ。 左側が増築されたレストラン部分、中央がベアー・ピット・ラウンジ、右側正面が本ページの最初に掲げた写真のオールド・フェイスフル・インの名前を掲示した部分である。 その右側に写真には映っていないがイースト・ウイングが続く。

Overview from Parking Side

ビレッジの北側のファイアーホール・リバーに平行して走る舗装道路沿いから眺めたのが下の写真だ。 ロビー屋上に星条旗がへんぽんと翻っているところがオブザーベーション・デッキで、右側に1904年オープン当時の3階の下の屋外バルコニーと、1927−1928年に伸張した馬車口の上のオープン・デッキが見られる。 中央から左側の一体が$68.00のバス無しの部屋の一帯。 右側の小屋根群はロビーに面した部屋の窓。

Overview
次の写真はビジター・センターから1.5kmほどのオブザベーション・ポイントから見たオールド・フェイスフル・ガイザーとイン。 ガイザーの左上黒い三角屋根がビジター・センター。 中央横に長く伸びるのがイースト・ウイング。

ホテルとビレッジ情報

ホテルの営業期間と料金

2001年は5月11日から10月14日までの営業で、バス無しのログ・ルーム $68.00、バス(トイレ、シャワー)付の部屋が Mid-Range $91.00、High-Range $110.00-121.00、Premium $149.00-159.00 そしてスイートが $334.00 であった。

ビレッジ

オールド・フェイスフルのビレッジには、オールド・フェイスフル・インの他宿泊施設ではルーム・チャージが$42.00から$65.00のオールド・フェイスフル・ロッジ・キャビンス Old Faithful Lodge Cabins (2001年は5月18日から9月16日営業)および$63.00から$131.00のオールド・フェイスフル・スノー・ロッジ・アンド・キャビンス Old Faithful Snow Lodge & Cabins (2001年から2002年にかけては5月4日から10月14日および12月17日から3月10日営業)がある。 いづれの料金もルーム・チャージのみで別途税金が加算される。 もちろん食事は別料金である。 いずれもアムファックのウェッブ・サイトから予約でき、JCBカードでの支払いも可能である。
ビレッジにはこの他、ジェネラル・ストア、スーパー・マーケット、レストラン、ガス・ステーション、郵便局、診療所などが完備されている。 標高は2,254m。