温故知新

第3回 学校クラブ局の今

はじめに

 第3回目は学校のクラブ局の話題です。
 かつては大学・高校・中学の多くにアマチュア無線のクラブが多数ありました。雑誌に「世界の仲間と話そう」というキャッチフレーズが出、無線は多くのラジオ少年を生み、学生の趣味でした。
 今は大学のクラブすら停滞する状況ですが、過去を振り返ってみます。少し問題のある表現もあり、出すべきか2ヶ月間迷いましたが、私見としてお読み下さい。

JA0Y**のコール、覚えていますか? >OM氏

 30-40年以上前の話です。平日午後3時を過ぎ、学校のクラブへ行ってワッチすると学校クラブ局が多数on the airしていました。長岡・見附近辺にもアクティブなクラブがありました。
 普通のQSOは3.5・7か50MHz、コンテストになると泊りがけで参加するクラブもありました。
 大学はJA0YAN(新潟大学長岡)、その後JA0ZRY(長岡技術科学大学)がアクティブで、HF500Wの電波は強力でした。
 高校はJA0YBO(長岡)、JA0YDO(長岡商)、JA0YDQ(長岡工)、JA0YGF(見附)、そしてJA0YCW(長岡高専)といったところでしょうか。文化祭の土日には部員のリグを持ち込み、on the airしていました。
 中学も長岡ではJA0YDC(東中)、JA0YFG(関原中)、JA0YHU(東北中)に無線クラブがありました。
 上記クラブ局出身の方もいらっしゃるでしょう。クラブ局のQSL

今は全て消滅?

 改めて2006年のコールブックを見て愕然、学校クラブでJARL会員は新潟市の高校2つだけです。コンテストでアクティブだった、新潟大学JA0YAKすら載っていません。JA0ZRYも休部と聞いています。
 JARL非会員で免許が残っているところもありますが、免許切れが大半です。
 免許を持っている顧問やOBが職員で残っていれば、ひょっとしたら再開ということもありえるかもしれません。転勤されたら、これも終わりですが・・・・・・。
 OBとしては寂しい限りですが、これも時代の流れで止むを得ないことでしょう。

多くの無線家を生んだ学校クラブ

 入学後に無線部の存在を知って入部、現在の道を歩いてきた方も多いと思います。
 私の場合、約2年間SWLをしてから中学に入学しました。2・3年生の多くは前年までに電話級(現4級)の免許証を取得しており、新入生に免許取得のための勉強を教えました。知識の理解度は十分でなくても、記憶力が一番良い時期、丸暗記で合格したものでした。
 高校の無線部は入学前に免許を取得した人がほとんどでした(他の高校は違っていたでしょう)。高校は在校生だけでなくOBとのつながりもあり、現在も年齢差7・8年で先輩・後輩の交流があります。
 コールで言えば、JA0C△△からJA0K▲▲くらいの時代です。
 学校クラブが廃部になる理由を考えてみました。

学校クラブが廃部になる理由

理由 その1
 まずメンバーがいなくなることが原因です。
 最初に中学校で廃部が相次ぎました。市街地に近い学校は、ドーナツ化現象で部員が減少しました。学校の荒廃もあるようですが、顧問の先生が免許を持っているクラブは少し延命したようです。
 高校・大学では学生人員は大きく減らないものの、無線に対して興味を持つ人が減少しました。
 また、クラブ・部活動に大切な部費を中学・高校は基本的には学校からの予算で賄いますが、部員とその実績で予算が振り分けられます。部員が少なく実績もないクラブはリグも買えず(中学はSSBが主流の時代でもAMのキカイだった)、衰退していきました。
理由 その2
 無線は学生の趣味から大人の趣味へ変化しました。
 かつては、リグは自作かメーカー品でも10W、アンテナはワイヤアンテナか50メガの八木を屋根に上げてのんびりQSOを楽しむ・・・といったスタイルでした。リグもAMですから、自作も可能でした。
 ところがSSBの時代になると情勢は一変、高い金を出して高級トランシーバを購入しビームを上げて「じゃぱーーん」と叫べば弱小局を抑えてQSO成立です。金のある社会人はこれで満足ですが、学生は金もなければ進化する技術に追従も出来ません。
 かつてのラジオ少年は進学・就職でQRT、中高校生はリッチな家庭?でないと無線が楽しめません。
 えっ、リッチな子供もいるって!?今は遊びよりも教育に費用をかける時代、予備校・塾より無線を推奨する親は少ないと思いますHi。
 大学は財政が幾分豊かですが、一部有名(マンモス)大学とそうでない大学の設備差は大きく、後者のほうは活動が停滞していきました。
理由 その3
 「自宅のリグなら楽にQSOできるゾ」と、入部しない人もいました。団体で楽しむよりも個人で・・・という価値観の変化も見逃せません。
 無線クラブは仲間とのコミュニケーションの場で、もっぱら部室に集まってラグチュー、「主活動は合同コンパ」という大学クラブ、よーく分かっていますHi!
理由 その4
 1980年代からマイコン(パソコンとはまだ呼べない)が普及し始めました。趣味として電気に興味を持っていた人たちの視線が変わってきました。機器自作派が通信機器からコンピュータへ移動したのです。マイコン制御のロボットも現在は人気ですね。
 そして、パソコンが普及してハードからソフトに、そしてインターネットへ・・・・・音声やCWで不定期・不確実な通信よりも、確実に届き常時確認可能な通信へと変化していきました。
理由 その5
 QSOスタイルの変化もあります。若い世代は仲間同志のコミュニケーションが取れればよい、という風潮ではないでしょうか。携帯なら無線のように不特定多数の人と話す必要もないし、第三者から盗み聞きされることもありません。
 我々が無線の世界を知ったころは、技術もオペレーションテクニックも知らない学生にノウハウを教えてくれるOMがいました。(もちろん変な人もいましたHi)
 振り返ってみるに、年齢・性別・職業といった差をあまり感じず、オープンに楽しんでいた気がします。
 CQを出す、呼んで挨拶を交わしQSLの交換を約束して終わりの場合が大半ですが、何度となくQSOしたり、ラグチュー中にブレイクを受けてラウンドテーブルQSOをしたり・・・。中・高校生のころでも大人とのQSOを違和感なくやってきました。

まとめ

 後半は若年層の意識の変化とジェネレーションギャップを書きましたが、現在ハムライフを楽しんでいる我々にも考えるべき点があります。
  1. 例えば、(30年前からあったことですが)、仲間内だけの連絡QSOは閉鎖的な大人の世界です。
    CQにかぶせるように特定メンバーへの呼び出しとQSO、「JX0XXX、聞いてますか?」・・・これではニューカマーは近づけません。時には誰が呼んできてもOKですよ、というオープンな気持ちが欲しいですね。
  2. 普通でないQSOの言葉が多数あります。「つながる」「現着」「赤玉強制半固」って変ではありませんか?最近はさすがにCB言葉が減りましたが、まだ残骸は残っています。
  3. 多すぎるスケジュールQSO・中継QSO、感心しません。「無線のために電話でスケジュールを組む」って、一体何なのでしょう。
     目標達成のために・・・・少しなら理解できますが、日常茶飯事になると「異常」に思えます。
 無線の世界で若者離れが続いているのは、私たちにも問題があるのではないでしょうか。
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