JA0 VHFコンテストの変遷 −ルールのトリビア−

2009.12.26作成
 JA0 VHFコンテストのルールの流れを 別のページ でご紹介しました。
 注目した?点を、以下にご紹介します。もう死語になった「トリビア」なネタです。
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 結果に関連したネタは こちら に掲載しました。まだネタがありましたら、お知らせ下さい。
開催日は第9回まで固定しておらず、4・6月開催の年もあった
コンテスト時間は24時間から始まり、18時間に短縮された後に、現在の15時間になった
SWL部門が存在した時期があった
第1回の送受信ナンバーは、RSTの後に01から始まる2ケタの数字だった
当初は21MHz・28MHzが含まれていた
高い周波数になるほど、非常に高得点になった時期があった
得点計算方法と「地域」数・・・最初は地域数は得点に反映されなかった
 
 まず、第1回のコンテストルールをご紹介します。文章の途中にも差し込みますので、ご覧下さい。
 全ルールをスキャンしました。 PDFファイルは こちら からダウンロード出来ます。

開催日は第9回まで固定しておらず、4・6月開催の年もあった

 1964年に第1回が開催されましたが、5月下旬でした。その後、5月上旬・4月中旬・6月上旬と移動し、1973年から現在の5月第2週に固定されました。
 各種行事の都合があったのでしょうか、コンテストが多数開催されている現在なら、他のコンテストと重複するので、こうはいきません。参加者も日時を間違えそうです。
 新潟県では、ゴールデンウイークが田植えのピークです。農業を仕事とする人にとって、現在の日時は歓迎されるでしょう。もう1週間遅いほうが・・・という意見もありますが、キリがありません。

コンテスト時間は24時間から始まり、18時間に短縮された後に、現在の15時間になった

 第1回から5回までの時間は、21時開始・翌日の21時終了という24時間でした。現在でも24時間開催は一部コンテストにありますが、信越地方だけのローカルコンテストでは長すぎるでしょう。
 夜はゆっくり寝て、空いている時間にじっくりワッチしCQを出せば良い・・・上位入賞を目指す人は大変ですね。
 移動運用(真空管リグがほとんどでしょうから、移動はほとんど無かった?)も大変で、2日目は日没まで参加するのは難しかったと思います。
 疲れの出る?後半の時間を減らしたのでしょう、終了が15時、そして現在の12時になりました。
 私が開局した頃は15時終了でした。50MHzしか電波が出せませんでしたが、お昼ころにはバンドは閑散として何も聞こえず、終了30分前くらいに再び声を出す人がいるようでした。当時のログを見、うっすらと思い出しました。
 時間は現状維持が適当でしょうが、個人的にはアマチュア無線家の老齢化?に伴って、深夜を休息時間にすることを提案します。私自身、フルタイム参加する体力と自信がありませんHi。
 ログを分析すると、QSOが少なくなっている時刻があると思われます。例えば、深夜2時から6時くらいは休息タイムにする、という案があります。年寄りには歓迎されるはずHi。私も、もう仲間入りです。

SWL部門が存在した時期があった

 1975年から79年までの5年間、SWL部門がありました。
 私は1970年開局ですが、3年前の小学生からSWLをやっており、全国コンテストのSWL部門にも参加していました。中学生になって開局しましたが、当時でも高価なSSBのリグなど買ってもらえるはずもなく、か細い50MHzハンディ機で無線を楽しんでいました。HFは実兄の送受信機(AMです)だけ、遠くへ電波を飛ばすのは夢でした。
 同級生も免許は取ったものの、設備は同程度で、リグを買えずに開局を断念した人がかなりいました。SWLなら受信機があれば可能なので、ビギナーの入門には絶好です。知人からリグを借りても、ライセンスなしで出来ます。
 個人局としてコンテストに参加、意見の欄にSWL部門の新設を希望する旨、書きました。同じ意見が数件あったらしく、数年後にSWL部門が出来たわけです。
 感謝して参加・・・・というところでしたが、ちょうど進学で県外へ引っ越した時期で、参加せずに終わりました。
 結果を見ましたが、参加者も少なく継続は難しかったのでしょう、わずか5年で部門が無くなりました。
 アマチュア無線が中学生・高校生でブームになった時期を少し過ぎたころです。免許取得・開局は当然目指すとして、受信して運用の技術や電波伝搬のコンディションをつかむ入門として、SWLはもっと活発であるべきでしょう。
 実際、3年間のSWLの体験があったので、開局の第一声は意外なほどスンナリいったと思います。頭の中に、一般的なQSOのパターンが焼きついていたんでしょうね。

第1回の送受信ナンバーは、RSTの後に01から始まる2ケタの数字だった

 このコンテストは、RS(T)に続き001から始まる一連番号を送信します。当初からのルールだろう・・・と思っていたら、第1回は001ではなく01から始まる一連番号になっていました。100局を超えることは(当然でしょうが)想定していなかったようです。
 第1回終了後に見直しが入ったのでしょう、2回目からは001から始まる3桁になりました。

当初は21MHz・28MHzが含まれていた

 コンテストの周波数ですが、第1回から3回まで21MHz・28MHzが入っていました。VHFとは言えない周波数ですが、50MHzがようやく活発になってきた時代です。「VHF」にこだわらず、参加局を増やすための意図が読み取れます。
 21MHzが消えた後も、第4回から9回までは28MHzは残りました。運用した人がどれくらいいたのか?不明ですが、得点も少なく、144MHz以上に力をかけたほうが得点が伸びたはずです。
 第10回から28MHzが廃止され、VHFコンテストという名称に合った感じです。144MHzのモービル機が発売され、2mがにぎやかになってきた頃です。

高い周波数になるほど、非常に高得点になった時期があった

 上の周波数で電波を出すことが技術的に難しい時代、アクティビティを高める目的で高い周波数ほど高得点になっていました。
 驚きなのが第4回から6回までで、144MHz:5、430MHz:17、1.2GHz:47、2.4GHz:95、5.7GHz:230、10GHz:410という得点です。
 右は第5回のルールを抜粋したものです。
 1.2GHz以上はメーカー製リグが無く、QSOすること自体が困難で敬服に値しますが、仮に5.7GHzでナンバー交換したら、あっという間に230点が得られます。144MHzの46QSOに相当するので、参加できた局は有利だったと思います。(1.2GHz以上は、スケジュールQSOでしょうね!)
 技術の進歩とともに、高い周波数でQSOが可能になりました。430MHz以上は一律同得点になり、徐々にバンド別の得点差も縮まって、第12回以降はバンドに関係なく同得点になりました。
 今は2.4GHz以上の市販リグがほとんど無く、運用が難しいのが実情です。2.4GHz以上は得点2倍というのも面白そうですが、活性化になるか、?です。

得点計算方法と「地域数」・・・最初は地域数は得点に反映されなかった

 得点の計算方法は、かなり変わりました。会員の意見を入れつつ、苦労した跡を感じます。
 ナンバーの一部に、地域ナンバーという2桁の数字があります。信越以外の方にはなじみがないと思われますので、ご紹介します。
 地域ナンバーとは、新潟・長野県内を合計32の地域に分けて付与されたもので、市・郡の区分ではなく、市制普及以前の旧郡の区分のようです。新潟・長野に連番で01から32が割り当てられています。
 参考として、第4回のルールからナンバーの規定を示します。
 例えば、新潟市は「中蒲原郡内」として、新津市・五泉市・白根市・中蒲原郡(いずれも当時の名称です)と同じ地域番号05ですし、長岡市は「古志郡内」として古志郡と同じ09です。
 市や郡単位で地域ナンバーを割り当てると、市町村合併が発生した場合、ナンバーに変化が生じます。両県の通し番号なので、新潟県で追加があったとすると、面倒なことになります。当時としては、最善の付与ルールであったと思います。
 驚いたのは、第1回から3回までは、地域数は得点に反映されていませんでした。これは意外な(予想外の)事実でした。
 第2回終了後、地域数を得点に反映させるべき・・という意見があった、とJARL NEWSに書かれています。
 第3回のルール発表までに新潟・長野両県の議論が間に合わず、第4回に反映されたようです。
 得点の計算方法は、バンド別の得点を除き、おおむね以下のように変更されました。事例を加えてまとめました。
 例:50MHzで5局・2地域、144MHzで12局・8地域、430MHzで7局・6地域とQSOし、ナンバー交換
   但し、一部地域を複数バンドでQSOしており、全バンドを通じて異なる地域数は9とした場合
回数・年度 計算ルール 計算結果
第1回 1964年 バンド毎に得点、地域は無関係 50MHz: 5局 X 2点 = 10点
144MHz:12局 X 3点 = 36点
430MHz: 7局 X 4点 = 28点
総合計: 10 + 36 + 28 = 74点
第4回 1967年 バンド毎に得点+地域数を算出し、加算 50MHz: 5局 X 2点 + 2地域 = 12点
144MHz:12局 X 5点 + 8地域 = 68点
430MHz: 7局 X 17点 + 6地域 = 125点
総合計: 12 + 68 + 125 = 205点
第11回 1974年 バンド毎に得点X地域数を算出し、加算 50MHz: 5局 X 5点 X 2地域 = 50点
144MHz:12局 X 5点 X 8地域 = 480点
430MHz: 7局 X 7点 X 6地域 = 294点
総合計: 50 + 480 + 294点 = 824点
第12回 1975年 バンド別の得点合計+
(全バンドを通じた地域数X10)
得点合計: 5点 + 12点 + 7点 = 24点
全バンドを通じた異なる地域数: 9
総合計: 24 + (9 X 10)= 114点
第13回 1976年 バンド別の得点合計+
(バンド別の地域数の合計X10)
得点合計: 5点 + 12点 + 7点 = 24点
地域数合計: 2 + 8 + 6 = 16
総合計: 24 + (16 X 10)= 184点
第43回 2006年 バンド別の得点合計X
 バンド別のマルチ合計*
  *下記参照
得点合計: 5点 + 12点 + 7点 = 24点
マルチ合計: 2 + 8 + 6 = 16
総合計: 24 X 16= 384点
*:2000年に、上記表の地域ナンバーはJCC/JCG・都道府県ナンバーに変更され、表現も地域数からマルチ数に変更されました。2000年は説明の都合上省略しますが、計算方法は変更ありませんでした。
 2006年は、地域数をマルチ数に置き換えて計算しました。 
 第4回から6回までは、各バンドの得点に地域数を加算しましたが、地域数のウエイトは小さいものでした。遠方とQSOして地域数を増やすより、人口が集中している都市部でQSO数を伸ばすほうが有利です。
 第11回は、この点を改善したと思われますが、各バンドの得点に地域数を掛け算するようになりました。一般的な「マルチ」の考え方です。
 ところが、次年度の第12回は地域数を掛け算せずに加算に戻しました。ただし、地域数は全バンドの通算(つまり、32は越えない)とし、10倍しています。
 さらに翌年の第13回は、地域数をバンド別に分けて加算するようになり、このルールが20年以上続きました。
 地域数を全バンド通算とすると、カウントミスやログ・サマリー上の表現が難しくなります。
 南北に長い新潟・長野両県では、新潟北部と長野南部は地域数を増やすのに大変な苦労があるはずです。めまぐるしいルール変更は、地域差を少なくするための配慮だったと推察します。
 現ルールは、全国コンテストでも一般的に用いられる計算方法です。多くのバンドでQSOし、マルチを得るほど得点が上がります。例えば、50/144/430MHzだけしかリグを持たない方は、3バンドで頑張っても1.2GHz以上にも出られる方に比べ不利なのは否めません。しかし、第11回のルールでは、参加局の多いバンドで集中的に出れば有利になり、恐らく1.2GHz以上が閑散とするでしょう。
 ルールの落としどころが難しく、現ルールが最善と思います。