GBのアームチェアCinema見ist:シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ

総監督 庵野秀明
監督・特技監督 樋口真嗣
脚本 庵野秀明
出演者 長谷川博己/竹野内豊/石原さとみ
音楽 鷺巣詩郎/伊福部昭
製作年 2016


何だか、途轍もなく感動している友人がいた。

う〜ん、個人的には余り意識していなかったのだが、彼があまりに興奮しているので、一寸気になったのであった。

庵野秀明がゴジラを撮った?
なんだそれ?

と言うのが正直な感想だった。

あの“エヴァンゲリオン”の作り手で、「ど〜だ、おめ〜らに、解るかな?解っんねぇだろ〜な」という作風の作家である。

癖の強さは超一流。
さて、どうなるか?

結論から言うと、「取り敢えず観とけ」。

暗喩…本作は誰が観ても、あの震災や原発を指し示していると感じるだろう。

人々は為す術もなく狼狽え、逃げ惑い…
さぁ、これは虚構か現実か?

1954年に公開された初代ゴジラは怪獣が大暴れする娯楽映画なのだが、反核のメタファーでもあった。

ビキニ環礁の水爆実験から着想されたので、社会風刺が込められていた。

本作では、過去のゴジラ作品がそうであったように、人々が既にゴジラという「怪獣」を知っていて、それに対して対抗する、と言う設定ではない。
つまり、初めて出会った未知の物に立ち向かうという設定である。

しかし、本作も初代ゴジラのように、日本社会をかなり強烈に皮肉っている。
シン・ゴジラのシンは辛辣のシンかと思える程。

前半部分は机上の議論と保身で迷走する官僚と政治家。明らかにあの「未曾有の災害事故」時の対応を彷彿とさせる。

法の枠組みの中と各々の利害・保身で遅々として事が運ばない。

作中で彼の怪物は一度も「怪獣」と呼ばれない。
政府の官僚によって「巨大不明生物」と呼称され、後に資料が見つかってからはGODDZILLA:呉爾羅と名付けられが、命名する事にすら批判がある。

初頭から中盤に掛け、「巨大不明生物」出現、破壊の限りを尽くすが、その姿は…
醜いと言うか、実は別の「巨大不明生物」が先に出現して、後から来るゴジラと闘ったり…流石にしないのだが、一瞬そう思ってしまった位。

演出が独特でセリフがやたら多い上に早口棒読みで、おまけにカット割りが非常に細かく、観客にセリフの持つ情報を理解する暇を全く与えない。
これが庵野のやり口か?
まぁ、殆どのセリフは理解出来なくても支障は無い…と思うが。

陸海空自衛隊全面協力のシーン。戦闘部分は多分殆どCGだろうが、これはかなりリアルだ。

展開も速度感溢れ、飽きる事はないがゴジラ自体は後半に非常に動きが緩慢。と言うよりも殆ど動かない。
が、しかし、一旦反撃を開始するとこれが…
いやいや、こう言う表現方法もあったのか。

破壊神を美しいと思ってしまった。

だが、これも庵野のパターンかな?
やっぱりこれはエヴェンゲリヲンの実写版なのか?

日本の存亡を賭けて実行される作戦名は「ヤシオリ作戦」。
ヤシオリとは、八岐大蛇を退治するために、スサノオノミコトが八岐大蛇に飲ませた酒の事。
ヤシオリの酒のヤは日本の古語で「何度も繰り返す」の意味でヤシオリの酒はシオリ法を何度も繰り返して造られた超激甘酒、だそうな。(うわ!ネタバレぎりぎり)

知らねぇよ、そんな事、多分みんな。

本作、ギャラが高そうな主演助演級の俳優てんこ盛り。
余貴美子の防衛大臣のモデルは多分あの人だな?

見つかった資料にあった遺書のような走り書き

「俺は好きにした。お前たちも好きにしろ。」

そしてラストのあの異様な意味ありげなシーンは一体何だったのか。

これはエヴァンゲリヲンの様に、マニアが喧々諤々議論を交わすための映画なのかも知れない。

作中では伊福部昭の曲をオリジナルのまま利用している。
耳慣れた旋律には安心感があるが、本作のために作られた劇中音楽と音質に明らかな差があるのが気になった。



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