GBのアームチェアCinema見ist:桜田門外ノ変

桜田門外ノ変

桜田門外ノ変

監 督 佐藤純彌
出 演 大沢たかお/長谷川京子/伊武雅刀/北大路欣也/加藤清史郎
脚 本 江良至/佐藤純彌
音 楽 長岡成貢
主題歌 alan『悲しみは雪に眠る』
原 作 吉村昭
製 作 年 2010



仕事場の行事スケジュールが今年から変わって、30年ぶりの休日となった文化の日。
起きたらカミさんがいない。映画見に行ってきます…って、置いてかれた…

放置プレイかぃ…

SPとやらを見てきたそうである。
なんでも大ヒットしているそうだが、どうなんだろうね。
ワシゃそれじゃないの観たいんだが…と言うと、昼飯喰ったら付き合ってもイイと。
映画好きの三男坊も伴って、いつものシネコンへ…


吉村昭の小説を元に、茨城県の市民団体が主体となり、地域振興と郷土愛を目的に時代劇として実現した県民創世映画。監督は『男たちの大和/YAMATO』の佐藤純彌。主演は『JIN-仁-』の大沢たかお。茨城県全域でロケが行われ、約2億5000万円の巨大オープンセットも組まれた。

キャッチコピーは「幕末リアリズム。日本の未来を変えた、史上最大の事件。」。
(Wikipediaより)

水戸藩開藩四百年記念「桜田門外ノ変」映画化支援の会


桜田門外ノ変 冒頭でアヘン戦争から欧米列強のアジア侵略の説明がある。

某映画サイトに、
「茨城県の地域振興と郷土愛の醸成を目的に、市民が主体となって企画し、映画化が実現した時代劇」
なる一文があった。

物語は吉村昭の小説をダイジェストした感で、主人公関鉄之介の立場を軸として実に淡々と進行する。

映像的には一大クライマックスとも言える乱闘事件「桜田門外ノ変」そのものは物語中盤で一気に描かれる。
原作でも、文庫本上下巻の長編だが、この「事変」そのものは下巻の前半に置かれている。

通常、娯楽映画の場合、起承転結の「転」の位置にクライマックスを置き、そこまでに徐々に盛り上げ、頂点から結末へ終結させることが多いが、本作では原作の流れを守ったのか、中盤で大山場を見せ、その後ゆったりと物語を帰結へ導く。


桜田門外ノ変 監督によると『政治テロである「桜田門外ノ変」をクライマックスに持ってくればどうしても政治テロを美化したり承認したりすることになる』と、言うことで、この考えには賛同するものではある。

キャッチコピー「幕末リアリズム。日本の未来を変えた、史上最大の事件。」の示すように、確かに本作の映像は見事なリアリズムである。

襲撃のシークエンス、後半にある決闘シーンは息詰まる緊迫感に溢れている。
この辺りは日本映画の伝統と栄光は未だ衰えず、映像の力恐るべしである。


桜田門外ノ変 しかしながら、本作を娯楽時代劇や感動歴史巨編の様な受け止め方で観ると肩すかしを食らう可能性は大いにある。
冒頭の歴史的レクチャーからも分かるように、これは茨城県民による歴史解説特集番組なのである。

とすると、ネームバリューは大きいが、この監督は実はミスキャストだったのではないだろうか?
多分、日本映画史に残る巨大なセットは茨城県民の熱意だし、大迫力リアリズムの襲撃、決闘シーンも、監督ではなく、殺陣師の腕によるものである。

個々の映像は素晴らしいが、それとてキャメラマンの技術によるもの。
やたら挿入される説明文や個人名のスーパーインポーズ、ナレーション、年代を行き来するカットバックが多用された非常に分かりづらい構成…
魅力的な登場人物を得ながらも、その人々の人となりが見えてこない。


冷静に歴史を反芻する、と言えばそういえないこともないのだが…

それにしては、「事変」の後ほぼ尺の後半を費やす主人公の去就の陰に、彼らが成したことから何が起こったのかが殆ど見えてこない。
「桜田門外ノ変」という事件が持つ意味が曖昧なままなのだ。


桜田門外ノ変 冒頭、現代の桜田門辺りの風景から導入し、エンディングにも同じ風景に戻ってくる。
その時に大写しになるある建物…安っぽい思想の押し売りで実に陳腐である。
その二つのシーンでこの映画は一気にその価値を落としているように思う。

同じスタッフ、キャストのまま別監督で…と言ったら言い過ぎだろうか?
(あの北京原人や戦艦大和の人だからなぁ…)

ともあれ「日本史のお勉強」としては非常に意義深い作品である。
帰宅後三男坊は劇場パンフレットを熟読し、暫し考え込んでいた。
そうすると、我が家にとっては素晴らしい名作だった、と言うことになるだろうか?

文庫版の後書き冒頭で原作者は『江戸末期の幕府崩壊までの史実に接しているうちに、私は「大東亜戦争」の敗戦にいたる経過と似ているのを感じるようになった。歴史は繰り返されるという手あかに染まった言葉が、重みを持って納得されるのである。』

同じく解説で野口武彦は
『(三島由紀夫)いわく、三大テロルはいずれも血と雪で荘厳されている、すなわち『忠臣蔵』事件、桜田門外の変、二・二六事件、と。イリュージョンである。元禄一五年の吉良亭討入りの払暁、雪は全く降っていなかった。』

このご時世、監督の『政治テロである「桜田門外ノ変」をクライマックスに持ってくればどうしても政治テロを美化したり承認したりすることになる』と言う談話は映画人の良心として受け取っておこう。




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