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ナルニア国物語

ナルニア国物語:
The Chronicles of NARNIA The Lion,Witch & The Wardrobe

監  督 アンドリュー・アダムソン
主  演 ジョージ・ヘンリー/スキャンダー・ケインズ/ウィリアム・モーズリー/アナ・ポップルウェル
助  演 ティルダ・スウィントン/ジェームス・マカヴォイ
音  楽 ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
製 作 年 2005・米
原  作 C.S.ルイス

C.S.ルイス 最近の映画館の椅子は非常に良くできている。
一昔前の二時間の難行苦行を強いられる「腰掛け」とはそもそも存在概念すら異なっているかに思える。
そんな椅子に深く腰を沈めて、予告編を見る。
本編に至る精神集中を高める重要な時間である。
漆黒の夜空を覆い尽くす双発の爆撃機…機影からするにハインケルと思われる。
爆撃手手元の照準器が輝き爆弾が投下される。
通常爆弾の炸裂光に浮かび上がる都市のイメージは、ロンドン。
この時期、予告されるような第二次世界大戦、バトル・オブ・ブリテンを描いた映画はあったろうか…

写真はC.S.ルイス

暫しぼんやりと考える。

      あ゛…

見事に監督の術中に嵌ってしまった。

10年前なら、本作は映画化に際して、原作のままではとてもスポンサーが付かなかっただろうと言われている。
特にアメリカでは、60年も昔のイギリスを舞台にした児童文学など…
「指輪物語」や「ハリー・ポッター」の大ヒットで、少なくとも我々ナルニアンは現代のアメリカを舞台にした軽薄なナルニアもどき物語を見ずに済んだのは幸福である。

今から30数年前…
高校生の頃、不良仲間(バカだと思っていたら実はものすごく知性派だった、キミだよヒデキくん…)から紹介されて読んだ「ナルニア国物語」が私の価値観と感性を大きく転換させた。
最初は「こんな子供の本、アホじゃねーのか?おめぇ?」と思ったのだが…。

その後、もちろんナルニア以下、指輪、ゲドの三大ファンタジーは読み、およそファンタジーと言われる文章や神話論を読み散らかし、エッダとサーガをかじり…
PC黎明期から神話伝承下敷きのゲームに夢中になり…
(いまはFFフリークスを名乗る。DQはあまり好きくない…PCゲームでは、PC-98シリーズのティルナ・ノーグが史上最高傑作だと思う)

私は見ていないのだが、かつてBBCで連続TVドラマとして途中まで製作されてはいるらしい…
(柳の下のドジョウで、現在DVDが発売されている)
ナルニアの映画化が進んでいるらしいと言う話を耳にしたとき、それも、どうもディズニーらしとのことで悲惨なことになるのでは、と懸念していた。
ムーランやらインクレディブルみたいな物作られてしまったら泣きたくなるし…

うーん…

アタシのナルニアを勝手に料理しないで頂戴!

と言う気持ちが大きかったことははっきり言って確かである。

ニュージーランドで撮影されたとのこと、学園ドラマのハリポタはともかくとして、壮大な年代記ファンタジーはもはやニュージーランドでないとロケーションできないのかも知れない。
「指輪」と同じ景色が出てきたりしたら幻滅である…
まぁ、相手がディズニーだから過大な期待はしていなかったのだが。

これで三大ファンタジーで手つかずなのはゲドだけになってしまった。
ネタのない映画界だから、これもそのうちに誰かが柳の下の泥鰌百万匹をねらって映像化するんだろうな…

…と思っていたら、ジブリである。
予告編が上映された。
宮崎駿の息子が監督で既に今年の夏に封切りなのだそうである。

ううむ…

さて、作品であるが…
「いしょだんす」の「外套」の隙間を通り抜けると、そこには見慣れた「街灯」が佇んでいた…

ナルニア国物語 取りあえず、ナルニアンとしての私の評価は、合格点である。

ただ、あまりにこの系統の文章が映像化されすぎているし、それを見ている映画人のイマジネーションも固まってしまっているのか…
技術者も結構オーバーラップしてしまっているし、そもそも西欧人の持つ伝説感はある程度固定された世界観(…と言うよりも、それは彼らの宗教観・死生観そのもの)の上で成り立っているので、似たような形になってしまうのは仕方ないのかも知れないけれど…




ナルニア国物語 逆に言えば、現代の映像技術で酷い絵を作るのはかえって至難の業なのだろう。
物語の流れを明確にイメージさせるためだろうか、前半部分の異常なまでに暗い映像と、後半のどう見ても画面に陽光溢れすぎて、明るく鮮やかすぎに思える映像は、何十年も抱いてきた私のイメージとは些か相容れないのではあった…
映像の色彩感については、ずっとモノクロの挿絵からイメージしていた自分なりの「春来たりなじ国」の物語、それもブリテン島に済む人が書いたお話なので、それはそれは「陰鬱」に近い彩度の低い色合いを想像していた。
この鮮やかな色に溢れた映像には多少抵抗感はある。
最近出版された彩色版を見ると、実はかなり鮮やかな着色なのではあるが…



ナルニア国物語
しかし、問題はそんな表面的なことではなく、平易な文体に内在する、あの深い精神性が果たして再現されているかと言うこと。
絵面としての出来よりも心にナルニアを持っている人間はそのことが一番気にかかるのであった。

しかしながら、この一作を見ただけではナルニアの持つ精神性の再現については何とも評価不能である。
映画としては長尺とも言える140分(2時間20分)の中に、「ライオンと魔女」の物語をそこそこきちんと詰め込んではあったが、いかにせよ、映像の2時間は275頁(少年文庫版)には到底及ばない。
悪くはないが、ダイジェスト、あるいは壮大な予告編的な印象を受けてしまった。

ひとつ評価するなら、主人公のこども達が美形ではない、はっきり言って不細工なのがかえってリアリティがあって宜しいと思う。

ところで…
映画『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』は、全世界で8,500万部という驚異的なセールスを記録した英国ファンタジーの至宝を、ディズニーが史上空前のスケールと無限のイマジネーションのもと、実写で映像化する全世界待望のプロジェクト。神秘の国ナルニアを舞台に2555年にもおよぶ物語が繰り広げられる原作は全7巻からなり、映画もすでにシリーズ化が決定している。

と、言うことなのだが…
原作7巻の並び順はナルニアの歴史の流れとは敢えて一致していない。

ナルニア国物語 本作は第1章にあたる「ライオンと魔女」の映画化。

主人公の子ども達は時間の流れの中、現実世界とナルニアを往復(最期には帰ってこないのだが…)する訳だが、子ども達の発育成長と映画撮影をどう調整するのだろう?
製作のウォルデンメディアは“ナルニア”シリーズ全7作全ての映画化権を獲得しているらしいが7作全部映画化するかどうかは決まっていないらしい。
(現時点の報道では3作目までの映画化が見込まれており、脚本化が進んでいるとのことだが…)
当たらないことには次はない、と言うことだろ…

主人公役者が育ち盛りを過ぎていた、あの“指輪物語”ですら、役者の成長でキャラクターの印象が変わるのを恐れて、トンでもない営業的リスクを抱えながらも3部作を一気に撮影したという。

ナルニアの場合、もっと切実だと思うが…
当たるかどうかを確認してから撮影準備開始で間に合うのか?

ナルニア国物語 なんだかんだ言っても、私は続きが見たいのだ。
私の視線の先にはいつも朝開き丸が波濤を割っている。
その舳先には剣を進行方向にかざしたリーピ・チープが雄々しく立っている。
そのリーピ・チープの誇り高い姿が、私は見たいのである。


ナルニア国物語

本作、“ナルニア国ものがたり”はC.S.ルイスというイギリス人の筆になる。
ルイスは1898年に北アイルランドのベルファストで生まれ、オックスフォード大学で30年間英文学を教え、ケンブリッジ大学で中世・ルネサンス英文学の主任教授を勤めた。人物で、かのJ.R.R.トールキンとも親交があり、そのルイスが、生涯で7冊だけ書いた児童文学がこの「ナルニア国物語」である。1950年から56年まで、毎年1冊ずつ出版され、全巻が完結した翌57年に、前年度にイギリスで出た最も優れた児童文学として、カーネギー賞を受けた。日本では岩波書店から、1966年に全巻が翻訳出版されている。
日本語訳は既に故人となった瀬田貞二で、この人の優れた翻訳でいまなお読み継がれている名作なのだ。(ちなみに“指輪物語”の訳も瀬田貞二)
ポーリン・ダイアナ・ベインズの挿絵も素晴らしい。
(白い人が善で色の付いた人が悪という描かれ方もしているが、時代柄、これは仕方ない)

写真は7巻の中で一番好きな一冊“朝びらき丸東の海へ”



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