GBのアームチェアCinema見ist:ふたたび swing me again

ふたたび

ふたたび swing me again

監 督 塩屋俊
出 演 財津一郎/鈴木亮平/MINJI/藤村俊二/犬塚弘/佐川満男/陣内孝則/古手川祐子/渡辺貞夫
脚 本 矢城潤一
音 楽 中村幸代
主題歌 MINJI『SO FARAWAY』
原 作 矢城潤一『ふたたび』(宝島社文庫)
製 作 年 2010



戸田奈津子(とだ なつこ、1936年7月3日 - 映画字幕翻訳者)はかつてスピーチで
「ストーリーがたくみなら、人の感情を揺さぶり高揚させることは出来る。だが涙をこぼれさせるにはまだ一味足りない、音楽が必要だ」
と語ったという。
この「巨匠」が斯界では極めて評判がよろしくない、と言うのはさておいて…

音楽映画である以前に、この映画の題材やテーマは重い。
偏見と差別、そして老い…そんなテーマに半世紀を越えた固い友情の絆を織り成すロードムービー。


ふたたび 実は映画館で公開一月以上前にチラシを貰い、かなり気になり、原作を読んだ。

原作は…
はっきり言って、私には評価の対象外だったが、しかしこの映画に関しては出演者が実に興味深い。
公式サイトや前宣伝を見ると、原作とはかなり異なるストーリーになっているという。

いや、やっぱり、これは「取り敢えず観とけ」作品だろう。
封切り日、仕事帰りに観に行った。

最近はネットで指定席が取れるので入れないとか座れないとか言うのは過去の話になってはいるが、初日、週末、良い席が取れなかったらどうしよう…

取れた席は客席ど真ん中通路側の最上の位置。
開映時間になるも観客は殆どいない。
つい立ち上がって観客数を数えてしまった。
私を含めて9人…
予告が映写されてから二人入ってきたが、最後までそれ以上増えなかった。
大丈夫なんだろうか…


ふたたび 結論から言う。
「やっぱり、取り敢えず観とけ!」

かつてテレビ番組などでコメディアンとして人気を博した財津一郎(76)の主演作。
財津はエンタティーナーとしても有名で、ジャズを歌わせるとなかなか味がある。

若きジャズマンだった主人公はハンセン氏病にかかり、50年に渡って療養施設に隔離されていた。
半世紀ぶりに社会復帰した彼は、逢ったばかりの孫をお供に昔のバンド仲間との約束を果たすための旅に出る。

老い、そして、ハンセン病、ジャズといずれも一筋縄ではいかないテーマが3つも並び、そこに患者家族や韓国人看護婦(看護師と言う言い方は公式文書のみにして欲しい)もからむ。
主人公の孫役の青年が見た目不細工で、実にリアルなケーハク感で現実性に富んでいる。これが段々いい男に見えてくるのが不思議だが… 。


ふたたび 物語は、殊更大げさに捉えることなく、この孫役の若者の現代的な純真さと言うか無遠慮さでストーリーを運び、それが分かりやすさと後味の良さに繋がっているのかも知れない。
絵に描いたようなイケメンでなかったことも好印象の要因だろう。

青年の父親(主人公の息子)役、陣内の情けない感じも実に良かった。
エンディング付近の父子の抱擁シーンは邦画でも白眉の物と言えるかも知れない。
青年の母親役、古手川は…ま、いいか…

そして何と言っても、本作、主演財津一郎の力量無くしては完成しなかったろう。
偏屈爺ぃなのに何とも愛らしい。


ふたたび 最後の現役クレージーキャッツになってしまった犬塚弘…
これが、又、良いんだ…
時々スイッチが入る呆け老人。
蘇生するベーシストのシーン、これは涙無くして観られない。


ふたたび その他のバンドメンバーも実によいキャスティングである。
そして、ナベサダこと渡辺貞夫も吹く!
これだけでも映画館に足を運ぶ意味があるという物だろう。

しかしながら…
流石に楽器演奏シーンだけは付け焼き刃ではどうにもならない。
他のメンバーの演奏シーンも吹き替え感丸見えだったが、キャラクター的には最良の選択であっただろうオヒョイさん(大好きである)はステージ上で触ったことがない楽器を初めて持たされてどうして良いか分からない、と言った風情にしか見えなかった。
(一寸した扱いとか、構えだけで実際に演奏出来るかどうか分かっちゃうんだよな…)

ドラムの佐川はカメラワークの妙で違和感が余りなかった。

何より不思議なのは、ナベサダも犬塚ワンちゃんも音楽と指使いが全くシンクロしていない。
どちらも楽器の出来ない役者にアフレコで音を入れたようにしか見えなかったのが極めて残念である。

昔からヲタクは映画を楽しめないと言われるように、映画の本質には余り関係ないのだが…


ふたたび クライマックスシーンの舞台となる「SONE」は神戸市内に実在するジャズクラブと言うよりもメニューを見る限りなかなかのレストランのようだ。

この店のオーナー、曽根桂子さんは本編にもちらっと登場していた。

エンドロールに…“曽根桂子さんに捧ぐ”とあったので、気になって調べたら…




曽根桂子さん死去 神戸のジャズ文化育てる

ジャズのライブで知られる神戸の老舗レストラン「SONE(ソネ)」のオーナーで、多くの演奏家らを育てた(そね・けいこ)さんが26日午前1時22分、急性脳腫脹のため香川県土庄町の病院で死去した。83歳。神戸市出身。葬儀は家族で行う。後日、お別れの会を予定している。

戦後、神戸・北野坂で旅館を営み、常連となったクレージーキャッツら芸能人と交流。その建物で1969年、SONEを開業した。北村英治さんら一流のジャズミュージシャンを招くとともに若手にも活躍の場を提供し、店は神戸のジャズ文化の拠点となった。

修学旅行生の受け入れなどで、2006年神戸市文化活動功労賞を受賞。11月に公開される映画「ふたたび」のロケにも協力し、旧知の渡辺貞夫さんがSONEのオーナー役で出演している。

今月23日、香川・小豆島にある別荘の階段で転倒、後頭部を打って入院していた。

神戸新聞(2010/08/28 10:10)


人生でやり残したこと、ありませんか?



ハンセン病(はんせんびょう)

らい菌(Mycobacterium leprae)によって起こる慢性の細菌感染症。かつては「ライ病」と呼ばれていたが、古くからの偏見に結びついた呼称であるため、菌を発見したハンセン氏にちなんで「ハンセン病」と呼ばれるようになった。

体の末梢神経が麻痺したり、皮膚がただれたような状態になるのが特徴。特にその外見から、患者やその家族は差別の対象となり続けた。

1907(明治40)年に公布された「癩予防ニ関スル件」が、患者の隔離政策の始まりであり、1931(昭和6)年には、全患者を隔離の対象とした「癩予防法」が成立した。

患者は、警察によって強制的に連行され、療養所に収容された。しかし、そこではろくな治療は行われず、患者同士での看護・作業など病人扱いされなかった。また、結婚の条件として非合法な断種・堕胎なども行われた。

1941(昭和16)年ハンセン病の特効薬プロミンが開発され、完治する病気に。

しかし、1953(昭和28)年に「らい予防法」が、患者の強制隔離や外出制限規定など、それまでの基本原理を引き継いだまま成立。

1956(昭和31)年、ローマでの国際らい会議で、「すべての差別法は禁止されること」と、非難されたにもかかわらず、1996(平成8)年「らい予防法廃止法」の成立まで人権侵害を放置し続けた国の責任は重い。

もともとハンセン病は感染力の低い病気であり、日常生活で感染する可能性はほとんどない。現在療養所に入所している人は、既に完治しているが、後遺症や高齢のため入所しているというのがほとんどである。また感染したとしても、早期発見早期治療すれば完治し、後遺症が残ることもない。


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