GBのアームチェアCinema見ist:フューリー

フューリー 原題:Fury

フューリー 原題:Fury

監 督 デヴィッド・エアー
出 演 ブラッド・ピット/シャイア・ラブーフ/ローガン・ラーマン/マイケル・ペーニャ/ジョン・バーンサル/ジェイソン・アイザックス/スコット・イーストウッド
脚 本 デヴィッド・エアー
音 楽 スティーヴン・プライス
製 作 年 2014 米


ふとTVに目をやると…
11/28公開!の文言が飛び込んできた。

あぁ、これ、見たかったんだよね。初日か!

と、言うわけで初日初回上映を観るため映画館へ向かった。

同名の映画に、ブライアン・デ・パルマ監督、カーク・ダグラス主演のジョン・ファリスによる同名の小説を原作とする1978年制作のSF・スリラー映画があるが、今回のは戦争映画。

フューリーまたはフュリー(英語:Fury)は、ローマ神話の復讐の女神フリアエ(Furiae)から派生した言葉で、怒りを表す。
この場合、「自分たちの家」である戦車につけた愛称で、「激怒号」とでもすれば良いだろうか。

TIGER 監督は海軍上がり、潜水艦乗りだったそうだ。
その辺りも影響しているのか、完璧主義者ブラッド・ピットのなせる技か。
イギリスで撮影されたそうだが、M4シャーマンは言うに及ばず、ボービントン戦車博物館に現存する唯一の動態保存ティガーがあったかららしい。

あのスピルバーグですら、「プライベート・ライアン」でソ連製T34をティガーだと言って憚らなかったし、「太陽の帝国」では主役ともいえる零式艦上戦闘機が、なんだか良くわからないみっともない機体だった。

この辺りで既に制作者の姿勢が垣間見えるという物である。

臨場感と迫力は劇場でこそ。
今しもまさに戦場にいるかのような錯覚を覚える。
実際に、触雷するシーンではビビって飛び上がってしまった。


劇場パンフレットによると、字幕監修者は軍事に非常に明るい。
かなり本気で本作の背景を調べ上げている。
このお話はフィクションなのだが、実際にこんな戦闘がヨーロッパのどこかで行われたことが想像できる。

お話はナチス・ドイツが滅びる1ヶ月前、ドイツ本土にアメリカ兵が入った時の1日を描く。

欠員が出てしまった戦車に一人の新兵が補充される。
まともにテッポすら撃った事がない少年兵である。

かつて日本もアメリカを相手に国民皆兵、竹槍で戦おうとして挫折したが、島国と地続きの差はあれドイツは本気でそれを行った。
女子供にまで銃器や対戦車擲弾を持たせて米軍を迎え撃とうとした。
相手が女だろうが子供だろうが向かってくる者は全て殲滅しなければならない状況である。

ヒトラーユーゲントの少年兵を撃てず、彼らが発射したパンツァーファウスト(独:Panzerfaust:携帯式対戦車擲弾発射器)で仲間の戦車を破壊された少年兵も徐々に戦場に染まってゆく。

新兵が初めて人を殺すところから始まり、一人前の兵士に成長する話…
なのか?
圧倒的な説得力を持つのは確かではあるが。

アメリカでは第二次世界大戦を「グッドウォー(Good War)」、良い戦争と呼ぶらしい。
悪いナチス・ドイツを倒したからであり、その後のベトナム戦争やイラク戦争は「バッドウォー(Bad War)」悪い戦争と言うらしい。

本当に彼らはそう思っているのだろうか?

本作を観ると、本当は違うんだろ?と感じる。

牧師の息子である砲手と聖書の一節を語り合いつつ戦闘に勤しむ。
救いと正当性を求めなければやって行かれなかったろう。

「英雄」等という賞賛が空しく響く。

最後の攻防が行われる小さな十字路が俯瞰されると、十字架の中心に据えられた戦車の墓標に見えた。

淡い想い、哀しい出会いと別れ等もあり、はっきり言って楽しい作品はないが、今まで見た「戦争映画」とは、何となく印象が違う気がする。
ヲタ的には“全部本物”!と言うのが凄いとは思うが…

重い。もの凄く。

残酷シーンは多いが、それが現実である。

う〜ん…
落ち込んでる時は観ない方が良いかも。

しかし、これは戦車映画という括りではなく、戦争映画として稀代の傑作と言えるかも知れない。


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