将棋雑感

 日本人男性で将棋を指したことのない者は、恐らく皆無ではなかろうか。定跡は知らな
いまでも、ルールは知っていることと思われる。

 将棋のルーツを辿ると、インドに辿りつくと言われる。インドの「しょうぎ」が中国に
渡っては中国象棋、西洋に渡ってはチェス、そして日本に伝わって将棋となったものであ
る。もっとも、昔の将棋は駒の数も種類も違うものであったようだ。その内の簡単なもの
が、現在に伝わっているものである。

 将棋の用語が普通に使われるようになったものもある。「成り金」などは有名である。
手元の辞書では、将棋で敵陣に入って金になった駒、転じて急に金持ちになった人とある。
「頭金」という言葉があるが、これは将棋からでたものではないようだ。
 また、将棋に関する格言等も多い。「極馬の高跳び歩の餌食」とは、桂馬は後戻りできな
く、また、頭が丸いので、調子に乗って跳ぶと歩を打たれてとられることをいったもので
ある。格言ではないが、「前進できない駒はない」とは中原現名人が言った言葉である。将
棋の本質は進むことにある、ということを表した名言である(らしい)。もっとも、この
言葉どおり進んでばかりいると、先程の格言どおりになってしまうが。「銀が泣いている」
とは、王将で有名な坂田三吉氏が言った言葉である。これは、自分の銀が遊び駒となり、働
かせてやることができなかったことに対して言ったものであるが、我々素人が指すと、銀
どころか、ほとんどの駒が泣き、あげくの果てに一番働いた駒は、王将ということになる。

 将棋には、指し手を表すのに棋譜というものがある。新聞で先手7六歩、後手8四歩、・
・・とあるのが、そうである。これがあるため、先人の指し手が今に残るとともに、プロ棋
士が指した手が新聞や本などによって紹介され、楽しむことや、勉強することができる。
ある程度のレベルに達すれば、「2六歩」などと互いに口で言い、頭の中で将棋を指すこ
とができるようになる。こうなると将棋を指すのに、もはや道具はいらなくなり、指し手
という情報のやりとりだけで良くなるのである。これを「めかくし将棋」という。昔は「×
××将棋」という別な言い方であったが、差別用語が使われているとのことで、最近はこ
んな言い方になったようだ。
 将棋は、王将を詰むゲームである。したがって、互いに相手の王将を詰ますために、戦
うのであるが、白熱して、王手飛車とりなどとなると思わず飛車を逃げて、王をとられる
ことになる。詰ますゲームだなどといいながら、とられてしまうことになる。また、将棋
の禁手として一つの縦の筋に歩を二枚打つニ歩があるが、これなども知らない人が横から
見ていると何故そんなことをするのか分からないと思うが、熱中している時、特に負けて
いる時などは、思わず体が盤に近付き、その結果、見方が超近視眼的になり、わずか20
cm程離れたところにある己れの駒が見えなくなってしまい、二歩を指すのである。

 電気通信に関る者として、やはり一番興味のあるものは、コンピュータで将棋を指すこ
とである。初期に比べ、かなり強くはなっているものの、まだまだ弱く、現在の所、アマ
チュアの一級程度といわれている。ただ、詰め将棋のプグラムでは、かなりなものが作ら
れており、駒の配置によっては、人間より早く解くものもある。一方、オセロやチェスで
は、かなり強いものがあると聞く。実際、オセロでは、級位の決定を器械(コンピュータ)
を利用して行っており、オセロ連盟認定の器械に勝つと何級と認定されるのである。
また、パソコン通信による将棋も行われている。しかし、将棋を一局終了するには時間
がかかるため、電話線を使うと、これがそのまま電話代にきいてくるので、個人で対局用
に使うのには、無理なようである。やはり、将棋は人間が向かいあって、時に間違い、時
に熱くなりながら、指すのがいいようだ。

戻る