最近、インターネットを通じて自殺用の薬を届けた、としてインターネットを規制すべき だという議論が起きている。曰く、インターネットではそれ以外にも自殺の経過を綴ったも の、それに対する反応、またポルノや爆弾の作り方等が載っている。これらは社会の秩序を 乱すからいけないと。確かに社会の秩序を乱す物と言えよう。ただ、だから即、規制すべき だと言えるだろうか。 電話は文明の利器だが、その中を通る情報には、それこそ殺人の連絡もあり、泥棒の連絡 もあり、全てがいい物ではない。それでも規制しようとする動きはない。インターネットも これと同じではないだろうか。 社会に存在しないことは、インターネットでも存在しない。ただ、インターネットが電話 と違うのは、いわば電波に近い性質を持っているところにある。通信でありながら、同時に 放送としての機能を持っているところである。すなわち、通信は特定の者に対して行われる が、放送は不特定多数の物に対して行われるところにある。その意味では、電波法に言う公 序良俗を犯すべからず、に該当する。しかし、事実上どうやって規制するのだろう。プロバ イダーが監視、規制するのも実際上不可能に近い。現行の規制法がやっとであろう。 また、こと自殺に関しては、本当に公序良俗に反するのであろうか。キリスト教であれば、 自殺はいけない、と教えているが、日本の法律では自殺をしてはいけない、と言ってはいな い。もっとも人を殺してはならない、とも書いていないが。仏教でさえ、解脱した者は自殺 しても良いと行っている。ある宗教などは、人を殺しても良い、と教えている。 今回の場合も毒物を送ったから、違反なのである。また、自殺するのを助けたから違反な のである。(秘密の)情報を教えたからではない。 日本では、年間二万人以上の者が自殺する。交通戦争と言われる交通事故でさえ、一万人 なのに、それの倍以上の数である。となれば、これは何というのだろう。生存戦争なのだろ うか。 現代の若者は、何の希望もなく生きているから自殺すると言うが、そのようなことは既に 数十年前から言われている。それでは、今生きている方が不思議ではないか。自殺した者も、 決してその自殺の記事を見たからではない。素因は別のところにあるのだ。 結論から言うと、自殺に関しては公序良俗に反することに該当しないのではないだろうか。 人を悲しませ、また迷惑をかけるが、それは公序良俗に反するとは言えないのだろうか。 インターネットにある者が総て良いとはとても言えないが、何でもインターネットのせい にし、臭い者には蓋の精神で対応するのは、角を矯めて牛を殺すことになろう。