ゲームズマン・シ ッ プ

 普段、スポーツマン・シップという言葉は良く聞くと思うが、ゲームズマン・シップに
ついてはあまり聞かれないと思う。かくいう私も一度ラジオで聞いただけであるが、聞い
ていて自分の見聞きしたことからも、ごもっともと思うことがあった。
 以前、少しだけであるがチェスを習ったことがあったが、そのとき聞いたチェスの精神
もこのゲームズマン・シップによく合うと思われる。
 ゲームズマン・シップとは、一言で言えばゲームをする者は定められたルール内で最善
をつくす精神である。言い換えるならば、ルール内であれば、何をやっても良いというも
のである。
 日本では、例えルールで認められていても卑怯だといわれることがままある。一例とし
ては、将棋の待ち駒(縛り手)がある。これはルールにのっとった立派な手なのだが、良
くきたないと非難されることがある。もっとも、悔しさ半分ということもあると思うが。
また、ゲームズマン・シップを別の面から見ると、調べることができないことは規定し
ない、という精神になる。チェスの選手権では、指しかけ(対局を途中で中断すること))
のとき他の者と相談してはならない、という規定はない。何故なら、夜中まで監視してい
るわけにはいかないし、電話やコンピュータで研究するのを見張れないからである。実際
彼等はそのようなとき仲間同士で相談をする。この点、日本の将棋のタイトル戦では、相
談してはならない、という規定があり、実際、相談しない。
 米国での駐車禁止について、次のような話を聞いたことがある。ある箇所を駐車
禁止にするかどうかを検討したとき、例え駐車禁止にしても、警官が不足していて、実際
上それを取り締まることができない。したがって、駐車禁止にするのは止したということ
である。しかるに、我が日本ではどうかというと、ご存じのとおりである。
 別に駐車禁止だけを捉えて、これがどうのということではなく、彼我のルールに対する
発想の違いが分かるかと思う。
 昨今の貿易に対する争いも、この辺にその一端があるのかなと思う。少なくとも機会の
平等をいうとき、土俵、すなわちルールを明確にした上で争うということが、彼等の頭に
はあると思われる。
 もちろん、単純にこれだけが原因というわけではないが、少しはその一因となっている
のではないかと思っている。
 ゲームには、遊戯から試合、競技、勝負、そしてマネーゲーム等幅広いものがあるが、
こと遊戯のゲームについては、待ったをして、手を戻すのだけはしない方がいいことは間
実である。

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