アマチュア無線との出会い
 

 

アマチュア無線との出会いは、1971年の春にそれまでプラモデルの製作に夢中になっていた小学生がひょんなことからCQ誌を買ってしまったことが事の始まりです。
当時の記事を今でも覚えていますが、"世界最小のデジタルの腕時計"と銘打って腕時計が100万円で売られていました。そして、真空管から"半永久的"な電子素子として、トランジスターが紹介されていました。
 今から考えると半永久的素子"トランジスター"も寿命がある事に疑いを持ちませんが当時はすごかったのです。そして真空管で作成された色々な回路を覗いては、このギサギザ 回路の"抵抗"は何だろう?と子供ながら思ったものです。それから3年、余りにも難しすぎる専門書CQ誌は子供にとって手に余るものでした。しかし、好奇心旺盛な少年は近所の電気屋さんから短波ラジオのお古をもらうとそれを修理して受信できる状態にし、当時はやっていたBCLとしてべりカードを集める事に熱中していました。一番好きだったのはラジオ・オーストラリアABCの日本語放送です。当時ハフ信子さんがディスクジョッキーをされていましたが一度便りを読んで頂き興奮した事を覚えています。”笑い川蝉”を鳥と知らずにずっと"蝉=昆虫"と思っていました。1990年12月31日が日本語放送最後の日になったようです。



 そんな中、7Mhz付近に突如として現れた"モガモガ音"。これはいったい何が起こっているのか? 宇宙人の交信か?はたまたどこか北の国の特殊通信か?と思ったものです。それで近所の電気好きのおじさんに尋ねた所、アマチュア無線であることが判明。昔CQ誌にあったあのアマチュア無線だったのです。それでどうしてモガモガなのかを質問、あいにくそのおじさんも見当がつかないらしくなぜかわからないとの事でした。そこで、小学校に行く途中で無線らしきアンテナが上がっていると、一方的に訪問というか、待ち伏せし、アンテナのオーナーである見知らぬおじさんにを捕まえては質問の嵐。やっとSSBなる変調方式が判明しました。普通のラジオで聞くためにはBFOなる代物が必要らしく、親切なおじさんはFETで作 るダイレクトコンバージョン受信機はくれずに、回路図をくれました。笑 なにやら抵抗と コイルとコンデンサと丸書いて矢印/FET/とで出来ている得体の知れない回路図です。途方にくれている暇はなく次のターゲットである無線のオーナーを捕まえ、これはいったい何なのか? どうすれば作れるのか? 部品はどこに売っておりいくらか?等々、やはり無線家は優しいですね。本当に親切に色々と小生意気なガキ相手に説明してくれるのです。なるほど、これが抵抗、これがコンデンサー、バリコンでこれが電界効果トランジスターのことか・・・と2SK19の事をはじめて知りました。
 悪戦苦闘の末に出来たのが、7Mhzの2石ダイレクトコンバージョンの受信機です。現物はありませんが、当時としては"小学生にとって"画期的な受信機でした。なにしろ、モガモガ音がダイアルを合わせればバッチリ可聴できるのです。これはすごいと、自分で納得していたものです。ほどなく7Mhzの受信にも飽きてきたころ資格を取ることにしました。マークシートと言えども国家試験です。馬鹿にできません。小5の私は到底読めない難しい法規の漢字と平方根やわけのわからぬ無線工学を親父に聞きながら勉強いたしました。小6でようやく電話級アマチュア無線技士の資格に合格し中一で開局することになりました。当時の無線機はFT101/TS520の全盛期。私はお金がないので母親のへそくりから5万円のQS500という50Mhzのトランシーバーを買ってもらいました。当時はみんなHFの機械やら持っていましたので残念ではありましたが、父からは駄目だと言われた無線機でしたが今から思えばよく母親がへそくりを工面してくれたと感謝いたしております。

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