*内田光子 ピアノ・リサイタル <サイトウ・キネン・フェスティバル>
  1999年9月7日(火) 19:00〜 ザ・ハーモニーホール
 サイトウ・キネン・フェスティバルをききに、今年は松本まででかけてきた。 まず、私がきいたのは、内田光子のピアノ・リサイタルである。
 それにしても、内田というピアニストは、音のひとつひとつに何と深い意味を込めることのできる人だろう。 楽譜を徹底的に読み込み、その奥に潜んでいる様々な要素を、とことん自分の中で消化し、彼女が弾いたらこれ以外は考えられない、というレベルまで持っていってから、演奏していることが、本当によく伝わってくる。 安易にこういう言葉を使うことは、昨今では憚られることもあるかも知れないが、敢えて言えば作品の「精神性」を重視したスタイルと言えるだろう。
 J.S.バッハのフランス組曲第5番では、作品の時代様式を逸脱することは辛うじてなかったものの、この点においてはかなりすれすれのところまで踏み込んでいた。 現代ピアノで再現できるJ.S.バッハとしては、その可能性を高い位置から実現したものであろう。 個人的には、こういったやり方は好みではないのだけれど、恣意的である部分はいささかもききとれず、その説得力は他のこういったスタイルの演奏と比較しても、格段に高いものである。
 もっとも素晴らしかったのは、シューベルトのピアノ・ソナタ第14番。 内田のシューベルトはいつも凄い。 最初の暗い影が忍び足で近づくようなフレーズから、最後の悲劇的な和音の連打まで、その表現の幅は極端に広く、さり気なく弾かれる音はひとつもない。 きいているこちらの胸が苦しくなるほどで、人間の生と死の狭間にある深淵に連れて行かれるような恐怖感すら味わった。 この作品が、これほどまでに様々な側面を持っていたということを、この演奏を通じて初めて認識した次第である。
 後半はショパン。 嬰ハ短調の前奏曲の後は、聴衆は拍手することが出来なかった程圧倒され、続けて演奏されたピアノ・ソナタ第3番でも、内田の真骨頂はいかんなく発揮されていた。 しかし、あのシューベルトの後だったので、私はなかなか気持ちが切り替えられずに、あまりしっかりときくことができなかった。 このソナタは、東京でもう一度きいたときに感想を書きたいと思う。
 アンコールに弾かれたモーツァルトのソナタからのアンダンテ・カンタービレは、幸せな安らぎに満ちており、モーツァルト弾きとしての内田が、ソナタ全曲レコーディングをした時点から比べて、格別に懐の深い表現を獲得していることを証明していた。 日頃の多忙の合間をぬってきく東京でのコンサートと違い、大好きな信州できくコンサートとしては、このリサイタルは私にとってもっともふさわしいものであった。



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