
*東京都交響楽団 「作曲家の肖像 Vol.31 モーツァルト」
1999年6月6日(日) 14:00〜 東京芸術劇場
都響の芸劇シリーズ、今回はモーツァルトの特集で、後期三大交響曲が真正面から取り上げられた。 指揮は、音楽監督のガリー・ベルティーニ。
ベルティーニは、一言で言えば「疾走するモーツァルト」を見事に表現した。 ポイントはアレグロにあり、現代オーケストラの演奏としては、かなり速めのテンポで演奏され、しかもその基調はイン・テンポである。 古典的な造形、形式は重視されていて、呈示部、再現部のスタイルの相違はまったく感じられず、縦の線もしっかりと揃えられており、すこぶる快活である。 リズムの刻み方も正確で、それは時として攻撃的ですらあり、はっきりとしたアーティキュレーションをとる内声部が、そのことを強く印象づける。 サウンドは明るめで、輝かしい弦楽器に開放的な管楽器の音がよくマッチしていた。 これらが後期の作品である、ということを、これ見よがしな演奏スタイルによって表現するような安易な方法はとらずに、正攻法で、音楽的なモーツァルト演奏であったように思う。
交響曲第39番は、第1楽章序奏部から、堂々とした威容と言うより、突進するアレグロを予感させるような風情が漂い、この部分をきいただけで、この日の演奏会がどのようなものになるかを予想できた。 フィナーレは、オーケストラが充分に鳴り切っていないうらみが残ったが、自らの理想とするモーツァルトを実現させようとするベルティーニの意気込みが伝わってくるような、激しいもの。 フィナーレに関しては、この後に演奏された2曲についても同様なことが言えるのだが、オーケストラの鳴りは、徐々に良くなっていったように思う。
交響曲第40番は、このベルティーニの表現がぴったりの作品。 その中にはいささかの甘さもなく、とても厳しい造形が最後まで保たれていた。 先鋭的なリズムの強調や、管弦のバランスを不自然に崩したりせずに、こういった演奏を達成できるベルティーニに、改めて感心した。
交響曲第41番「ジュピター」は、前の2曲に比べて、やや旋律に比重が傾いた演奏であったが、基本的ないき方は同じ。 「天国へ上っていくようなフーガ」も、一気に駆け抜けて行った。 演奏会全体を通して、都響はいい状態をキープしていたように思う。
ところで、モーツァルトのシンフォニーばかりのプログラムの演奏会は、しばしば目にするけれど、このように後期三大交響曲を一気に演奏するようなプログラムは、きき終わったあと、結構疲れるものである。 ベルティーニと都響が、とてもいい演奏をしてくれたお陰で、この演奏会にはいい印象を持ったけれど、個人的には、こういう曲目の組み合わせは、あまり好きにはなれない。 無論、3曲とも私にとってかけがえのない作品だけれど、私のような集中力の散漫な者には、「この」3曲を一度に、などということは、少しもったいないようにも思えるのである。
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