
*オルフェウス室内管弦楽団
1999年6月5日(月) 19:00〜 サントリーホール
このところ一年おきに日本を訪れている、オルフェウス室内管の東京公演。 予定されていたソリストが来日できなくなり、この日は曲順も変更されていた。
相変わらずこのオーケストラの奏者は、みんな上手い。 ワーグナーのジークフリート牧歌では、私がしばしばこの曲に求めたくなる、「なつかしさ」のようなものを、その音から感じ取れる瞬間が少なかったが、木管奏者たちのアンサンブルなど、まるで指揮者がいるかのようなまとまりがあり、若々しく、張りのある弦楽器とともに、清廉な音楽を奏でていた。 もっとも、その指揮者の「顔」はなかなか見えてこないし、指揮者不在でもやっていこうとする奏者たちの意気込みが、強烈すぎる緊張感をもたらすところが、このオーケストラに対する評価の分かれ目となるところは、充分に納得できる。
モーツァルトのピアノ協奏曲第23番は、当初ソリストとして発表されていた、リチャード・グードが健康上の理由から来日できなくなったため、練木繁夫がソロを弾いた。 練木はこの作品を、自分自身でしっかりと消化しており、主張の明確なピアノをきかせた。 それは、音のひとつひとつを吟味し、その意味合いを緩急やリズム、フレージングに反映させて、決して甘さに流れない、骨組みのしっかりとしたモーツァルトにすること。 第3楽章は、特にその傾向が顕著で、バックのオーケストラとは質感がかなり違っていたけれど、不思議に不自然さを感じさせなかった。 これも、いいアンサンブルだったと言うべきだろう。
コダーイのハンガリー風ロンドは、この日の最大のききものだった。 オルフェウス室内管は、こういった作品に対して抜群の適性を見せる。 民俗的な主題は、緩徐部の輝かしさと、アレグロでの激しさ、若々しさの加減が絶妙であり、さらにひとりひとりの楽員の自発性が音楽に生気を与えていた。 これは、ワーグナーをきいたときには感じ取れなかったことである。
ハイドンの交響曲第48番「マリア・テレジア」は、このオーケストラのもっともオーソドックスなスタイルによる、手堅い演奏。 古典派のシンフォニーを演奏する時のオルフェウス室内管は、喜びと自身に満ちている。
アンコールにまず、ピアソラの「タンゴのための4人」。 このオーケストラも遂にピアソラに手を出したか、と思ったが、これがなかなか雰囲気のある、楽しい演奏。 さすがオルフェウス、ブームに媚びるような演奏でお茶を濁すことはない。 チャイコフスキーの弦楽セレナーデからのワルツは、各声部のバランスや立体感が素晴らしく、全曲をききたくなってしまったほどの名演。 最後にガーシュインの「ヒー・ラヴス・シー・ラヴス」で、演奏会はくつろいだムードで幕を閉じた。 オルフェウス室内管は、レパートリーの拡充にも余念がない。
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