
*ボストン交響楽団
1999年5月7日(金) 19:00〜 サントリーホール
ボストン響の今回の来日公演は、アジア・ツアーの一環として行われている。 指揮は音楽監督の小澤征爾。 この日のプログラムは、偶然にも(?)名前の頭文字が、Bの作曲家の手による作品で統一されていた。 このオーケストラとこの指揮者の組み合わせにおいては、さほど新味を感じさせるものではないが、そこはそれ、小澤の得意中の得意の曲目になっていて、まずは安心してきけた演奏会であった。
ベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第3番から、ボストン響の温かい響きと、小澤の瑞々しい音楽作りが程よくブレンドされ、純音楽的な演奏。 それは「フィデリオ」を連想させる要素は希薄だけれど、この作品を独立したひとつの管弦楽作品として捕らえるとするなら、整った造形の中で旋律をよくうたわせた好演と言える。
ベルリオーズの劇的交響曲「ロミオとジュリエット」からは、前半の管弦楽部のみによる部分がピックアップされて演奏された。 私は小澤のベルリオーズはことのほか好きなのであるが、この日の演奏も期待を裏切らないもの。 「カピュレット家の宴会」でのドラマティックな表情と、「愛の情景」での不安定なリズムに対しての絶妙な緩急のつけかたも、音楽の呼吸を乱す要素が微塵もないもので、作品が自然に息づいていた。
メインはバルトークの「管弦楽のための協奏曲」。 小澤とボストン響は、数年前にこの作品を録音しているが、その時に使った初演版ではなく、この日は一般的に用いられている慣用版による演奏であった。 この演奏はまったく隙のないものであり、この日も指揮棒を持たなかった小澤の指先の動きひとつひとつに、ボストン響は敏感に反応し、「小澤のバルトーク」を完璧に表現した。 25年も音楽監督を務めている小澤の得意の作品に対する意図を、オーケストラは嫌と言うほど分かっているに違いない。 しかし、その中で各奏者の発揮する即興的な自発性が殺されることはまったくなく、第2楽章や第4楽章など、きいていて思わず唸ってしまうほどの自在さを感じる。 また両端楽章にきかれるオーケストラの圧倒的な鳴りっぷりは、アメリカのメジャー・オーケストラの機能性の高さを存分にアピールするものであり、全曲を通しての演奏設計においても、間然するところがない。 非常に安定度の高い、定番的な名演であったように思った。
アンコールは何と、ロッシーニの歌劇「セミラーミデ」序曲。 軽快なリズムと、オーケストラの色彩を楽しめた。
これほどの演奏会をきいた後なのに、実は何か物足りなさを感じたのは、この組み合わせに対する期待度の高さと、新鮮な驚きを感じられる瞬間がほとんどなかったことによるのだろう。 これはないものねだりだと分かっているのだが、きく側は貪欲である。 このことは、長年にわたっている小澤とボストン響の関係を、「マンネリ」と評することと、もしかすると関係があるのだろうか。 とても難しいことであるが、音楽家もきき手も、この種の矛盾を抱えながら、音楽を演奏し、コンサートをききにいくのかも知れない。
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