*1999年4月にきいたコンサート
 この4月は、筆者の個人的な事情で、ページの更新が満足に出来ない状態であった。 それでもコンサートにはいくつか足を運んだ。 当初、ききにいく予定であったコンサートの中には、ききに行くことが出来なかったものもあったけれど、このページに感想を書く予定にしていたコンサートについて、ここに簡単に記しておきたいと思う。

 新日本フィルハーモニー交響楽団は、朝比奈隆の指揮でチャイコフスキー・プログラムの定期演奏会を行なった。 弦楽セレナードは、スケールの大きい、シンフォニックな表現が見事。 交響曲第6番「悲愴」は、更に雄大な演奏で、オーケストラを存分に鳴らし、余裕のあるテンポでの巨匠スタイルによるもの。 ロシア的なチャイコフスキーとは、少し違っていたけれど、このスタイルのチャイコフスキーでこれほどの感銘を受けたのは初めて。 朝比奈色が前面に出ており、理屈を超えた、入魂の演奏であった。 (13日 すみだトリフォニーホール)
 東京都交響楽団は、待望のジャン・フルネの登場。 私がきいたのは、ふたつの演奏会。 定期演奏会でのブラームスの交響曲第2番は、独得のものであった。 柔らかい響き、細部の丁寧な目配りは、ともすればこの作品の推進力を削ぐ結果になり得るのだが、一歩一歩、かみ締めるように進んで行く音楽は、日常の時間感覚を忘れさせてくれるような、安らぎに満ちたものとなった。 これもブラームスらしい演奏ではなかったのかも知れないし、こういう演奏を是としないきき手も多いだろうけれど、私は近年のフルネのドイツ音楽の中では、もっともきき応えのあるものに感じられた。 (21日 サントリーホール)  プロムナードコンサートでは、十八番であるベルリオーズの幻想交響曲をきかせたが、これは尻上がりの名演。 前プロで協奏曲を吹いたイングリッシュ・ホルンのミリアム・ジェイクスが、オーケストラの中で第3楽章の出だしを吹いたあたりから、オーケストラの音色が変わり、自発性や集中力に満ちた活気のある音楽になっていった。 それでもフルネの指揮の下では、バランスの良い響きは失われず、演奏者全員が同じ方向を向いている力強さも感じられ、これは文句なしの演奏であった。 (25日 サントリーホール)
 水戸室内管弦楽団は、指揮者なしで2度目の東京公演を行なった。 ハイドンのチェロ協奏曲第1番は、ソリストの堤剛の音楽性ゆえか、ロマンティックな味わいの濃いものであったが、このオーケストラの感性も、根源的には同じようで、このスタイルの演奏にかなりの共感を持ってあわせていた。 ショスタコーヴィチの室内交響曲では、相変わらずのパワー溢れるアンサンブルで、室内オーケストラの範疇を超えようとする意欲に満ちたもの。 こういう作品に対して、このオーケストラの演奏姿勢は凄味すら感じさせるものがある。 (18日 サントリーホール)
 文化村では今年から、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」を上演するようだが、1年目の今年は、東京オペラシンガーズの合唱の素晴らしさがとりわけ印象に残った。 勅使川原三郎の演出は個性的で、終演後のブーイングも凄まじかったが、個人的にはこの演出には、上演を重ねることによって良くなってゆく可能性があると感じている。 今回の上演では、まったく未消化な部分が多かったが。 (17日 オーチャードホール)
 新国立劇場では、J.シュトラウスII世の喜歌劇「こうもり」が上演され、私はBキャストの方をききに行った。 日本語上演であったが、細かいことを言わなければ、なかなか楽しめた公演であった。 残念だったのは、北原幸雄の指揮に生気がなく、音楽が停滞気味であったこと。 いい指揮者だと思うが、こういった演目には不向きなように思えた。 (24日 新国立劇場 オペラ劇場)



目次へ→
エントランスへ→