*エクサンプロヴァンス国際音楽祭 「ドン・ジョヴァンニ」
  1999年1月27日(水) 19:00〜 オーチャードホール
 素晴らしい公演であった。 昨年のエクサンプロヴァンス国際音楽祭で制作された、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」のプロダクションが、そのまま東京に引っ越してきた。 エクサンプロヴァンスではアバドと、この日の指揮者であるダニエル・ハーディングが日替わりで指揮台に立ったというが、ハーディングはアバドとまったく異なる音楽性を持ってして、その時の公演を成功に導いたと言われる。 この日の公演に接して、それは恐らく本当のことであろう、と思えた。
 ハーディングと、ピットに入ったマーラー室内管弦楽団は、古楽器演奏のスタイルを踏襲し、速めのテンポとノン・ヴィブラート奏法を基調としたオーセンティックな演奏で、モーツァルトの傑作の神髄に迫ろうとしていて、それがことごとく説得力を持ったものとしてきこえてくる。 実はこういうスタイルの演奏をきくことは、私にとって必ずしも得意なことではないのだが、この日の演奏はオーケストラ内の管弦のバランス、更には舞台上の歌手たちのアンサンブルにおいてまで、すみずみまで神経が行き届いており、瞬間瞬間で目から鱗が落ちるような意味深さを持っていた。 かつての、あるいは現代の巨匠達が実現してきた、いくつかの「ドン・ジョヴァンニ」の名演とは一味違った名演であったと思う。 例えばドン・ジョヴァンニの「地獄落ち」の場面など、音楽は表面的には淡々と進むのであるが、そのデモーニッシュな感覚はいささかも後退しておらず、むしろ非常な満足感を与えられた。 ハーディングもオーケストラも、オペラ公演としてはカジュアルな服装(指揮者も含めて、ほとんどの奏者が上着を着ていない)であったことが象徴的であるように、フレキシブルな感覚の演奏も心地良い。
 そして、ピーター・ブルックの演出。 これも端的に言って、「棒」と「椅子」と「幕」くらいの道具しか用いない、シンプルで抽象的なものだったけれど、それらを出演者達がちょっと動かしたり、派手に振り回したりする動作のひとつひとつが、何と示唆に富んだものであったか。 このスタイルも、失敗するパターンに接してきたことの方が多いのだが、ブルックの演出は、オペラの全体の流れの中で、それらの位置付けが綿密に吟味されており、思いつきのようなものはない。 だから自然にひきつけられ、まったく退屈することはなく、これもいちいちこちらを唸らせるものばかり。 音楽との呼吸も最上と言えるもので、驚異的ですらある。
 歌手達(この日はAキャスト)も、ハーディングの音楽にとてもよく溶け込み、誰かが突出してアリアの名唱をきかせることはないが、全体的な歌唱の水準はすこぶる高く、このプロダクションのための歌い方を実践しているよう。 「ドン・ジョヴァンニ」がアンサンブル・オペラの名作であることを証明していた。 これも綿密なプローベが行われたことをうかがわせたひとつの要素。
 カジュアルで、スポーティッシュで、その実噛めば噛むほど味わい深い公演であった。 休憩を入れて約3時間半弱が、あっという間の出来事のように感じた。 ハーディングについては、将来的には世界の楽壇の頂点に立ちうる可能性を持った指揮者であるように思えたが、いつかそんな日がきたら、私はこの日の公演を必ず思い起こすであろう。



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