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寝る子は育つ。三つ子の魂、百までも。かわいい子は小さい頃からよく眠るように躾けるのがいいという教えである。そのためには、毎晩、一緒の布団で添い寝して、心がほっとするような、枕ことばを囁いてやるのがいい。心のままにそうしてやることが、いずれ、眠々ゼミで英気を養い、後進を育てるべくアルバイトに励む、そんな生き生きとした大学生の人格形成に役立つのである。人は一人では生きていけない。周りの者に育てられ、周りの者を育てて生きていく生き物なのだ。船頭多くして船、山に登る。旅は道連れ、世は情け。三人寄れば文殊の知恵。昔の人は、多くの人が協力することの大切さを知っていた。不可能を可能にする力。この世の中、一たす一は、やり方次第で十にも百にもなるのである。机の上の理論としては矛盾があって不可能だって、精神論でなんとかしてしまうのが、日本人のいいところだ。願えば叶う。為せば成る。多くの医者が協力すれば、不死の病にかかってしまった患者だって、誰一人として死なずに済むに違いない。袖すりあうも多少の縁。会うた子に教えられて浅瀬を渡る。そんな言葉だってある。ネットワーク社会と言われる現代だからこそ、人と人とのつながりが重要なのだ。しかし、情けは人のためならず、である。時には厳しく当たることも大切だ。一度や二度の失敗なんて、なんだ。三度四度とチャレンジして、汚名挽回すればいいではないか。右の頬を叩かれたら、左の頬を出せ。挫けちゃ駄目だ。たまにはそんな激を飛ばしてやるのもいいだろう。
話が少し逸れた。元に戻そう。眠りに関する言葉としては、「五考五眠」「四考六眠」なんてものもある。昔から、人の上に立つ者が少なからず悩んできた問題である。大きなことを為そうと思えば、「考」を増やし、蓄えを増やすことが肝心だ。しかし「眠」が減りすぎると、一揆に滅びる。では、どうするか。下手な考え休むに似たり。下方は寝て待て。結局は、そうすることが、平和裏に成り上がるための最善の道なのだ。家康の取った策は、まさにこれである。かの有名な柿本人麻呂も、万葉のころより歌っているではないか。長い長い夜は、慌てず騒がず、ひとり静かにじっくり眠って、気力を充実させるのがいい。夜が明け朝が来れば、そういう者の天下なのだ。眠れる獅子と呼ばれる者は、すなわち、この極意を知る者なのである。夜が明けるまで愛する人を寝ずに待つ、赤染衛門や俊恵法師。彼女らは、確かにいじらしくはあるが、前向きであると言えるだろうか? 眠る門には福来る。眠りとは、夢幻の世界への扉を開く鍵でもある。「寝言は寝て言え」と言われるように、眠りの先にある世界は、我々の住むこの世界よりも大きな可能性を秘めている。夢は寝ずとも見られる点で、寝言に勝る。人がこの世で見られる夢は、とても儚い一睡の夢。それさえ肝に命じておけば、貧富の別なく、誰だってどんな夢だって見ることができる。ネコに小判。ブタに真珠。鴨がネギしょってやってくる。そんな美味しいお話だって、夢の中ならごろごろしてる。文明開花に始まって、日新月歩の世の中で、至難の技を会得して、狂気乱舞、上へ下への大騒ぎ。人によっては、前人未踏の領域に足を踏み込んでみたり、晴天の霹靂に撃たれて驚いてみたり。そんな風に夢を楽しむ人たちが、異句同音に口にするのが、「人生って素晴らしい」という言葉である。これは一種、的を得ているが、諸行無情のこの世の中、夢ばかり見てふわふわしていては、人生に失敗して堕落していった人たちの二の舞を踏むことにもなりかねない。優柔不断でも、厚顔無知でもいい。たくましく育ってほしい。とにかく、何事にも自分の全力を尽くしてあたるのだ。ふわふわした世界に慣れてしまっては、万事窮す。そうならないうちに、兎を追い、赤蜻蛉に追われ、夕日に向かって走るんだ。青春すれば、嫌が上にも現実の世界に生きられるはず! はてさて、少々戯れが過ぎたようだ。今宵はこれにて眠るとしよう。 眠る門には福来る。心を無にして受け入れよ。 眠り小人が砂を撒く。今宵も夢が見られるように。 夜明けまでつづく、やすらぎのひととき。 夢幻の世界へ旅立とう。さぁ、眠れ。 |
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