「陽はまた昇る」


 振り返るとそこに、ヤツがいた。
 ちっ。
 ペダルをこぐ脚に力が入る。
 相手はたかが中学生。マジになるのは大人気ない。
 そんなことは分かっている。
 だが、ヤツの生意気そうな顔が、私のプライドをちくちくと刺激するのだ。
 これでも私は大学生。中坊のガキなんぞに負けたとあっては、女がすたる。
 20メートルほど先で、シグナルが青から黄色に変わる。
 ここだ。
 このタイミング、もし抜けられれば、ここからずっと黄色でくぐり抜けられるはず。
 私はスタンディングスタイルになって加速する。
 黄色から赤に変わる、ギリギリのタイミング。どうだ…っ。よし、抜け切った!
 しかし背後の気配はそのまま。ヤツもこの程度は見切っているらしい。
 振り返る余裕もなく、トップスピードでひたすら走る。
 あっという間に最終コーナー。ヤバい。ヤツの得意技がくる。
 脚を止め減速する私の横を、嘲笑うように最高速で抜けていく、ヤツ。
 コーナー直前、体の軽さを生かし、前後輪をロックして、慣性ドリフト…っ!
 …あ、コケた。
 ふぅっと安堵の息を漏らし、その脇を抜けていく私。
 研ぎ澄まされていた神経が、一気に緩んでいくのを感じる。
 今日はマジでヤバかった。寝不足で疲れが抜けてなかったからなぁ。
 そんなことを思いながら振り返ると、ヤツは左膝のあたりをさすりながらしゃがみこんでいた。
 左の手のひらと肘のあたりに擦り傷ができ、わずかに血がにじんでいる。
 負けて悔しいのか傷が痛いのか、目には涙が浮かんでいた。
 …えーい、世話の焼ける。
 きゅっとブレーキをかけて止まると、自転車を道の端において、小走りにヤツのところへ戻る。
 足を軽く開き左手を腰にあてた格好で、右手を差し出す。
「ほら、急がないと電車くるよ。立った立った。
 明日も相手してやるからさ、転んだくらいでめそめそすんなっ。」
 ヤツは、不思議そうに私の顔を眺めると、おずおずと遠慮がちに私の手を握る。
 引っ張り起こして、学生服のズボンをバンバンと叩いてやると、
「こんなことしたって、手ぇ抜いてやんないからな。」
半ベソかいた顔で、そんなことをのたまった。
 あーあ、変なのに見込まれちゃったな。
 そう思いつつも、心のどこかで喜んでいる私がいた。

 そして。
 振り返ると今日もまた、すぐそこにヤツがいる。私の日常。



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