多恵のページ

2002年12月17日に長女 多恵(たえ)誕生。しかし、先天的染色体の異常である「18トリソミー」のために33分で天国の神様のもとへ行った娘、多恵(たえ)のページです。 (2015年12月 修正)

〜 多 恵 〜

多恵から 教えられたことは

私たちが生きているということは
神様からの多くの恵みがあるからこそ

母の胎で無事に育ち、生まれてきたこと
普通に息ができること
食べられること
おしっこや うんちができることも

もっと 生きていることに
神様の多くの恵みを感じなきゃいけないんだってこと

そして多恵への神様の多くの恵みは終わることなく
天国に続いていること

私たちもやがて行く天国がさらに確かになったこと

羊水過多症・18トリソミーの疑い。

 2002年春。第2子妊娠。うれしい知らせであった。 長男ももうすぐ4歳。 そろそろ2人目が・・・というところで与えられた神様の与えてくださった生命。

 まもなく、妻のつわりが始まる。長男の時もつわりがひどかったが、今回もまた大変であった。 夫は見ているだけ。
 妊娠3ヶ月頃、妻が出血。切迫流産の危険。 長男の時もあった。 ここでがんばった妻とお腹の中の多恵。 神様の守りの中で、順調に成長しているかのようだった。 ただ妻のつわりはひどい状態がずっと続き、安定期に入ってもあいかわらず・・・。

 6ヶ月ごろの定期検査で逆子の診断。 そして30週ごろ、お腹の張りがひどいために大学病院で検査するように言われる。 その頃から「羊水過多症」の疑い。そして32週目頃に妻が入院。 「羊水過多症」を調べると、そこには胎児の様々な問題が・・・

 その後の検査の結果、18番目の染色体が一本多い「18トリソミー」の可能性が高いとの診断。 それによる胎児の奇形により、羊水を飲めないための羊水過多症であることなどを産婦人科医、小児科医からの説明を受ける。 生まれても長くて1年以内生きて生けるのはむずかしい。 生まれても積極的な延命処置は現代医療では行わないことが普通だとか・・・。 元気な赤ん坊が生まれることが当たり前と思っていた自分には、言いようもない悲しみと切なさであった。 「なぜですか?。神様!」と叫びたくなる。

 深い悲しみの中でも、私たち夫婦を支えたのは、私たちが信じる生命の源(みなもと)である天地万物の創造者なる神様である。 神様の計画と、許しの中でこれらのことは起こっている。 神様は、最善のことだけをなされるお方である。それを私たち家族は、再確認した。


誕生! そして・・・

 誘発分娩によって、2002年12月17日(火) 午後2時17分 自然分娩で誕生。1998グラム、39cm。羊水過多の妻のお腹からは大量の羊水が流れた。

 控室で待機していた私に誕生の知らせ。・・・女の子!。 私の父親の頃からの男系家族の私の家族にとっては快挙!。 しかし、生まれた娘は、産声を出せない状態。 生まれたばかりの娘と対面。 お腹に語りかけていた多恵の名前を呼び、直接、お父さんとして語りかける。 「やっと会えたね!」・・・デジタルカメラで彼女を撮る。

 小児科医の説明は、ミルクも飲めない状態。 無理に飲ませても排泄できない状態。 出産前から承諾していたように、無理に延命させる処置はとらない。 その子の持っているいのち、神様が許されるいのちにゆだねていく。 

 新生児集中治療室へ。 厳しい出産を終えたばかりの母親に、生きている娘を見せたい。 医者に申し出て、多恵を抱いて再び分娩室へ。多恵のそのぬくもりは、決して忘れない。
 分娩台でまだ寝ていた母親に抱かせる。それが上の写真。デジカメの時間記録データには、2:42。

 父親と母親に抱かれて、多恵は、ホッとしたのだろうか。
 新生児用のケースに入った多恵は、母親に抱かれた8分後の2:50、わずか33分の生涯で、この地上の生涯を終えた。 そして、最もすばらしい場所、おばあちゃん、おじいちゃんがいる、そしてイエス・キリスト様がいる永遠のいのちの天国に行く。 お父さんとお母さん、そしておにいちゃんよりも先に。


「多恵ちゃんのたましい」

 多恵が天国に行ったことを妻に告げる。 二人とも驚くほど平安。 はたから見れば、なんと冷めた者たちだと思われるかもしれないが、この平安は、やはり主イエス・キリストの復活の事実によって保証された永遠のいのち、天国での再会の希望があるからである。 残念だし、悲しいが、娘は、いちばんよいところに今いるのだ!。 そして私たちもやがてそこへ行く。 そして会える!。 その確かな保証として主イエス・キリストは、死者の中からよみがえられたのだ!

 しばらくして、私の母と4歳の息子が病院に駆けつけた。 残念だが生きている多恵には会えなかった。 弟、妹を楽しみにしていた息子は何を感じていたのだろうか。

 小児科医に呼ばれて説明を受ける。 解剖をさせていただきたいとの申し出。 多恵のたましいは、もう天国だから肉体は、医療の発展、18トリソミーの研究のために役立てばと了承し、次の日に引き取ることに。

 次の日、遺体を引き取る前に、小児科医から解剖の結果を聞く。 典型的な18トリソミーの胎児。 小脳低形成、食道閉鎖、鎖肛、心臓にも、肺にも、腎臓にも異常。 46本の染色体のうち、そのたった1組の異常によって、人間は生きていけないのだということを認識した。

 義父に抱かれて私の運転する車で帰宅。 そのとき病院からもらった書類は、出生届と死亡届。 なんと切ない現実。 帰宅して葬儀の準備をしなければならない。 

 次の日、棺が運ばれた。 新生児用の棺は、主イエス・キリストが家畜小屋で誕生して寝かされた「飼い葉桶」を思わせる小さな棺であった。 葬儀は、できれば妻が退院してからしたいとできるだけ延ばしてもらった。 妻も医者に無理を言って、葬儀の日の朝に、無事退院した。

 教会堂に小さな棺とかわいい花を並べて祭壇をつくった。 遺影は上の写真を写真たてに入れて。 家族だけの密葬だったが、教会の多くの方々が来てくださった。 私は、牧師だから、自分で葬儀の司式をすることも考えたが、冷静になれるかどうか不安だったので、葬儀の司式は、主任牧師にお願いした。 主任牧師の葬儀での説教題は「多恵ちゃんのたましい」。 多恵のたましいは、今、神様のふところに抱かれていることにあらためて慰めをいただく。

 その日のうちに、教会の納骨堂に納骨した。 その納骨堂には、妻の母親のお骨も治められている。 天国でおばあちゃんと遊んでいるだろう。


「18トリソミーの会」、「新生児死」、生きている奇跡を認識する・・・

 18トリソミーの診断がされた頃、「18トリソミーの会」のインターネットサイトを見る。 多くの方々の苦しみ、悲しみ、そしてそこにある親の愛、家族の愛、大切ないのちの輝きを見る。 たくさんの天使たちの存在を知る。
 また、18トリソミー以外でも、何らかの原因で、死産、新生児の死を体験された方の手記を集めた「新生児死」という本も読んだ。それらから、あらためて教えられたのは、私たちが生きていることは、まさに奇跡の連続であって、あたりまえのことではないんだということだ。私たちが息をし、食べ物を食べ、排泄する、それらひとつひとつが、すばらしいことなのだ。
 もっと生きていることの奇跡、すばらしさを神様に感謝しなければいけないのだと教えられた。


「2年後、元気な次女の誕生」

 死ぬかもしれないほどに苦しんだ多恵の出産を経験した妻は、その後、体調も回復していった。 そして約一年後に、第3子の妊娠がわかる。 「元気な子が生まれるように」と祈りつつ、順調な胎児の成長を見守る。 異常はないだろうか・・・。 出産前に染色体異常を調べることもできたが、調べたとしてもし異常があったら中絶するということなどはないのだから、神様にゆだねて出産の時を待つ。

 そして約2年後、元気な次女が3500グラムで誕生! お姉さんの多恵の分まで元気をもらったと思えるほど元気に成長中。 なぐさめの神様に感謝である。

 現在、4人家族ですごしている。 先日、パスポート取得のために戸籍謄本を見た。 長女の多恵の欄が私の家族の中にはっきりと刻まれている。我家は5人家族なのであることを実感した。


「多恵のページ」 ◇作成者  父(51歳) 職業: キリスト教会 牧師  母(49歳) 主婦

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