friends of micronesia

フレンズ・オブ・ミクロネシア 設立趣意書 全文

ミクロネシアと言えば、私たち日本人 特に戦後生まれの人々が思い浮かべるのは広大な南太平洋に点在する数多くの島々 紺碧の珊瑚礁等など  大自然の中の美しいユートピアの光景 でしょう。しかしこのミクロネシアの島々が第二次世界大戦で日本とアメリカの主戦場となり何万を数える島民達の生活を破壊し、多くの犠牲者を出した事は 厳然とした歴史の事実です。
戦後四十余年、私たち日本人は、彼等に対して与えたいわれなき大いなる苦痛に どのように詫び、どのような責任をとって来たのでしょうか?
事実は殆どゼロに等しい、と言ってもいいでしょう。

現在、観光のメッカとして多くの日本人旅行者たちが訪れるサイパンを中心とする北マリアナ・コモンウェルス、パラオ共和国、キリバス共和国、マーシャル諸島共和国、そしてヤップ、トラック、ポナペ、コスラエの島々からなるミクロネシア連邦は、1920年末、日本の委任統治領となり、現在どの島を訪れても、五十代を越す人たちは日本語を話し、日本の歌を歌い、また一方、日本人の血を受け、日本名を名乗る島民が多数いることに気づきます。実にミクロネシア連邦の前大統領トシオ・ナカヤマ氏もその一人です。

戦後四十余年、私たちの日本は、世界からうらやまれる程の経済大国になっています。 ミクロネシアの島々を訪れて、戦没者の慰霊塔を建てる事も、観光旅行に金を費やす事も自由でしょう。しかし、ミクロネシア島民の六十パーセント以上が一世帯あたり年収一千米ドル以下という貧しさの中で、ひたすらに自活自立の道を求めている現在、私たちが彼等に援助の手を差し伸べる事は当然の事であり、このまま頬かむりを続ける事は日本人として恥ずべきことであると思います。

さて、ここに、一人の偉大なアメリカ人神父の生涯をかけた夢と、その壮大な業績を紹介しましょう。彼が一生をかけてミクロネシアのために尽くした事がそのまま私たち日本人がミクロネシアのためにこれからなすべき事だと確信するからです。

その人、 ヒュー・F・コスティガン神父は1914年6月ニューヨークのブロンクスに生まれ、1932年にイエズス会に盟し、1947年に初めてミクロネシアでの布教を目的としてポナペ島に上陸するまでの十五年間アメリカ、フィリッピンの三大学で学んで、神学、教育学、社会学等の学位を取得、卒業後は各大学の教壇に立つかたわら第二次世界大戦後の荒廃したグァムやフィリッピンに対する救援物資を送る財団のメンバーとして活躍、さらに建築学を習得してその復興再建に尽くした功績は非常に高いものがあります。
ポナペを基地としてさらに七年間、その頑健な身体を憩わせる事なく東西約3,500マイルにも及ぶミクロネシア地域の島々を訪れて島民たちに文字通り献身的に奉仕し、物心両面の支えとなりつつ島民たちの生活をつぶさに見て、彼等が本当に必要とするものが何かを深く考察し続けました。

コ神父は1981年2月に来日、神戸新聞社 谷記者のインタビューに次のように語りました。
「宗教とは心(魂)の問題を扱います しかし人間は心と体からなり、どちらも大事です。 心の救済と同じく衣食住も必要です。
今飢える人に一つのパンまたは一匹の魚をあげるとします。その日はいいのですが、翌日は又空腹に苦しみます。家の無い人に家を与えます。しかし、もし台風が来てそれを破壊すれば、それまでです。島民は皆貧しい、だから農業漁業の技術を、建築の技術を体得させる事が必要なのです。かくして家族を養い隣人を助け、その技を伝える事によって一人の島民の自活がその島全体の自活自立に発展するのです。人生は与えられて保つのではなく、自力で創り出すものだと思います。将来の島々の自活自立には是非、若者を集めて実業学校を、と決心しました」

コ神父は1954年、ポナペ島の”表玄関”コロニアの真反対にある珊瑚礁湖の入り江から、なだらかな斜面を上る丘の上メタラニアムとよばれる地域に単独移住し、自らほとんどジャングルを切り拓き、道をつけ、レンガを積んで、ミクロネシア全域(面積はアメリカ合衆国とほとんど等しい)の若者の教育実践の場を造る壮大な夢の実現への第一歩を踏み出しました。1956年にミクロネシアの各島から三十七人の若者を集めて開校、厳しい諸々の試練に耐えて1965年には現在のポナペ農工高校を創立しました。

日本で言えば、中学卒の少年たちがそれぞれの遠い故郷の孤島を離れ、全寮制のこの学校で四年間学び、自らを鍛えました。立派な青年として巣立った卒業生が今、五百人を越え、そのうち四十パーセントが米本土、ハワイ、グァムを含む上級の大学に進み、その他は故郷の政府、企業に職を得て各コミュニティーの指導者として育っています。卒業生で故郷の島を棄て去った者は全体のニパーセントに満たないことは特筆されていいでしょう。ちなみにこの学校への入学希望者は年々増加し、新学年五十人の受入れ態勢に対し八百人以上の応募者があります。

卒業生たちは各々の島に帰ると、学校で習得した技術を生かして鉄筋コンクリートの建造物(台風避難のシェルター、学校の校舎、診療所等)や道路をつくり、橋をかけ、新しい農作物栽培や養豚、養鶏に取り組み、故障した漁船のエンジンも修理し、下水道とトイレを普及させた島もあります。

この学校(略称PATS)が果たしつつあるもう一つのコ神父の夢は、広大なミクロネシアの海域にそれぞれ孤立して、共通の言語、文化を持たないミクロネシア人が、キャンパスでの四年間を共に学び、共に働いて得た固い友情の絆から、徐々に単一ミクロネシア民族としての自覚と連帯感を育みつつあるという事実です。

設立当初からPATSにとっての最大の課題は運営資金の確保でした。前述のようにミクロネシアの大多数の島民の年収は米貨で一千ドル以下です。PATSでの学生の授業料が年二百ドルと定められていますが、島民の家庭ではなかなか負担できず、その島のコミュニティー全員が積立て、拠出しているのが実情です。しかし実際にはどの様に切り詰めても一人の学生に衣食住と教育を与えるのに年間二千ドルは必須で、これ以上削ることは不可能です。二十五人の教授陣はアメリカをはじめ色々な国から来たほとんど無給のボランティアで構成しています。

コ神父は建学の当初から毎年、米・比・独・西等世界の国々を巡ってミクロネシアの実情を訴え、彼の偉大な夢の実現への協力を呼びかけ続けて来ました。

一学年で五十人、四学年で二百人、一人当たり最低二千ドルの経費をかけると年間必要最低限度の経費は総額で四十万ドルになります。その内訳は概略次の通りです。

数十年にわたる労苦から、近年になって健康を損ないつつあったコ神父は、世界的不況、ミクロネシア独立による連邦補助金の減額等を見越し、PATSの将来から不安を除くため、建学二十五周年を迎える1990年を目標に総額四百五十万ドル(邦貨換算約六億三千万円−当時)のPATS育英基金を集める「PATS25」キャンペーンを開始し、既に百七十万ドルの浄財を集めております。

コ神父は今年、2月10日にミクロネシア連邦ナカヤマ大統領(当時)の紹介状を携えて来神し、神戸市長宮崎辰雄氏に面会を求めました。宮崎市長はスイス訪問から帰国の直後であり、かつ来年度予算編成の直前という大多忙の中、快くコ神父と会見し、ミクロネシアと神戸の深い関係など語り合い「PATS25」キャンペーンへの協力を約されました。

コ神父はその後ポナペ島に帰り、直後、直腸ガンの病を得られて、七十三歳の誕生日を目前にした 1987年5月28日に遂にこの世を去られました。

四十年間、ミクロネシアの人々に、無私の愛、無限の愛を傾注され、ミクロネシアのすべての人々に人種、宗教を超えて「南太平洋のシュバイツアー」と尊敬され、愛されたヒュー・F・コスティガン神父の遺体はポナペ農工学校に埋葬されました。彼の遺志とミクロネシアのすべての人々の希望で、ポナペ島に帰ったコ神父の魂は、永遠にミクロネシアの未来をPATSの小高い美しい丘の上から見つめ続ける事でしょう。

思えば、コ神父が熱帯の猛暑の中、自らの手でジャングルを切り拓いて造った広大なキャンパスに今建っている五十一の鉄筋コンクリートの建物はすべて彼がいつくしみ育てたPATSの卒業生の手によって建てられたものです。
自分の不治の病をはっきりと見つめ激痛に苦しむ病床の中でも、彼は多くの世界中の友人、知人達に手紙を書き続け、「PATS25」への協力を訴えました。彼から私たちに届いた最後の手紙(1987年4月20日付け)の中に

「私は今、数多くの島々から選ばれた磨かれぬ素材のまま入学し、立派な青年として巣立っていったミクロネシアの若者たちの一人一人の想い出を楽しんでいます。神の偉大なる力に導かれて、私の全智全能を捧げて創ったPATS、大きな夢と生涯をかけて実現したPATSの将来を考えると不安が胸をしめつけます。今私は残された日々を神に託していますが、どうか皆さん、力を貸していただけるなら、今そうして下さい」
と最後の最後までPATSとミクロネシアの今後の事を心配しつつ逝かれました。

どうか皆さん、私たち日本人としてPATSを応援し、コスティガン神父の残した望みに応える事は、かってミクロネシア全域を地獄の戦場と化した私たちの責務であることに御同意下さい。そして皆さんの力を結集して、世界の友人たちと共にポナペ農工高校の発展ら尽し、コスティガン神父の霊安かれと祈ってください。

昭和63年2月20日

Friends Of Micronesia 事務局

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