KASELEHLIE

 
カ セ レ リ ア       

(こんにちは、さようなら)

 

 
第29号

2004.7.22

フレンズ・オブ・ミクロネシア  (FOM) 

 


ミクロネシア大使夫妻が神戸へ

6月に着任したミクロネシア連邦の駐日特命全権大使、カシオ・エミリオ・ミダ氏(60)がこのほどジンジャー夫人、フリッツ公使と神戸を訪れ、矢田神戸市長を表敬訪問したあと、FOMの本吉義宏代表ほか会員らと歓談した。

 ミダ大使は、長く外交官を続ける中でFOMの長期にわたる活動を知り会員らとの会見を強く希望、日本着任直後の神戸訪問になった。

 ミダ大使は「世界各地を経験してきたが、こういう形で支援してくれている団体のあることを初めて知った。今後とも会員の皆さんと交流を重ね、懇談の機会を持ちたい。皆さんも積極的に意見を出して欲しい」挨拶した。

(写真は、神戸を訪れたミダ大使=左=とジンジャー夫人)

 

 6月18日、ミクロネシア連邦のミダ駐日特命全権大使がジンジャー夫人、フリッツ公使ともども着任の挨拶を兼ねて神戸を訪ねてくださり、会員のみなさんも交えて約2時間にわたって歓談しました。ミダ大使はチュークの出身で、FOMの長年に及ぶ活動のことを知って、来日にあたってはわれわれとの会見を強く希望されたそうで、これからは、ミクロネシア訪問の経験が多い関西の会員のみなさまのご協力を頂きながら密接に連携していきたいと言われ、実りのある時間が持てました。

ミクロネシア連邦では昨年のチュークに続いて今年3月にはヤップを超大型台風が襲い甚大な被害が出ています。こうしたことへの物心両面の支援にも取り組んでいきたいと願っています。

 私個人のことですが、いささか体調不良で、今年5月のポンペイ行きも見送らざるを得ませんでしたが、徐々に回復しており、現地訪問も来年は再開できると信じています。

代表 本吉 義宏

 

南十字星に迎えられ  小森  宰平

フレンズ・オブ・ミクロネシア(FOM)の会員になって2年振り4度目の現地訪問。

今回は本吉義宏代表が体調不良のため、東京から笠原岳夫、関西からは上川庄二郎、小森宰平、河瀬敦忠の理事会メンバー4人が参加した。

昨年からコンチネンタル航空が関西空港乗り入れをストップしている。グアムから先の乗り継ぎ割引を受けるため大阪組はわざわざ新幹線に乗り名古屋空港まで行っての不便この上ないフライトである。5月11日(火)夜8時20分に名古屋空港を出発。東京組とはグアムで合流する運び。

グアム12日午前0時20分着陸の直前、窓から下界の灯を探していると、右前方に大きく南十字星が見えて感激した。いつもははるか見上げる位置にあったのに、今は右正面。空にいるからだろうか。

グアムのホテルで5時間仮眠して再出発、チュークを乗り継ぎ、ポンペイに午後1時前に着いた。暑い。

ミクロネシアの自立を支援するNGO団体FOMの会員として現地訪問を続ける中で、いつも自分に問いかけていることがある。それは「やらねばならない支援と、やってはいけない援助」の見極めである。

日本にいては表面しか見えない。現地の生の声を知るにはどうすればいいか−現場で働く青年海外協力隊員(JOCV)の声を聞くのも一つの方法だと、これまでも機会を求めては接触してきたつもりである。

JOCVの母体であるJICAは、現地の要望を受けてそれぞれ専門技術を持った青年隊員を派遣している。現在派遣要請の出ている対象地域は65カ国。実に多くの職種がある。農林水産部門、加工部門、保守操作部門、土木建築部門、保健衛生部門、教育文化部門、スポーツ部門などなど。みんな現地の要請を受けて派遣のはずだが、これまで出会った協力隊員は必ずしも求められた本人の専門分野で活動していないことに気づいた。農業の技術指導を目的に来たのに農業の仕事がなく、自ら生活指導に回っている隊員もいた。なんでやろ。

出発を前にして、JICA(兵庫)の春の募集説明会に出向き、業務チーム長に尋ねたところ「現地から隊員の派遣要請があってから実際に派遣が決まるまで1年半から2年かかることが多く、派遣が実行された段階では要望職場がなくなっていることがあるんです。どうすれば要望と派遣の時間のずれをなくせるか」。これは今回、ポンペイでも同じ意見をよく耳にした。

今回のわれわれの責務の一つは、長年教育支援をしているPATS(ポンペイ農業工業専門学校)の卒業式列席である。

FOM代表チームの一員として壇上に座って卒業式式次第を見ているうち、肝心の農業部門の卒業生がいないことに気づいた。PATSのAがなくなっている。昨年からのことという。

 いろいろ尋ねたところ、農業部門を卒業しても将来につながる働き口の確保が困難であることが原因らしい。数年前から指導の教師が不在とも聞いた。

野菜を食べない

毎回の訪問でいつも気になっていたのは、地元の人が野菜を食べないことだ。われわれがレストランほかで食事するときも、野菜はほんのお義理にしか出てこない。こうした野菜の摂取不足も一因でミクロネシアの人、特に女性はかくも巨大に太っているのではないか。生活習慣病の糖尿病も増えているという。ここでも?がクローズアップされた。

 兵庫県立図書館で借りた「ミクロネシア民族誌」(昭和2年=1927=7月発行、松岡静雄・著、南洋長官・横田郷助・序、岡書院発行、B5版、835ページ、壱拾円)は「大正三年十月七日私は南遣支隊司令官山屋他人中将の命をうけ、聯合陸戦隊を率ゐてカロリン群島の主地ポナペ島に上陸した…ポナペ支廳管區を東カロリンと呼び…」で書き出しているが、ポナペ(ポンペイ)人の体格については「身長平均165・7センチ、体重 最重81・604キロ、最軽51・315キロ、平均62・631キロ」。

 食事については「少なくともマリアナ諸島民はスペイン人によって殲滅せられる以前までは米食人種であったと思われる。住民の主食物はパンの実とタロ芋、若干の穀類,球根類(ヤム芋も)を以て之を補ひ、各種の果実、蔬菜、魚介及び禽獣を副食とする」とあり、何枚か掲載されている住民の写真(ポナペだけではないが)は、いずれもまずはスマート。太った女性はいない。どうもアメリカナイズされた食習慣が関係しているようだ。

こうした疑問に答えてもらうには、地元で生活している人の意見を聞くことが一番。

強力な助っ人出現

今回、われわれに強力な助っ人が出現した。ポンペイ在住18年の中松延枝さんで、ご主人はかつて南洋貿易に勤め、退職後ポンペイに移り住んで日本人会の会長もやってこられた。延枝さんは2年前にご主人を亡くされたあとも一人永住を決意されたのだが、われわれのメンバーの一人と高校時代の同級生だったという奇遇があり、皮相取材では知り得ない中身の濃い情報をいろいろ教えてもらうことが可能になったからだ。

中松夫人も地元の人が野菜を食べないことを言う。その中松夫人から、昨年6月まで協力隊員としてポンペイの小学校で音楽教師をしていた大阪出身の奥野 歩さんが今年4月に出した単行本「わたし、南の島で先生しました」=別掲=を見せてもらい、きれいごとだけではない本音部分の記述に興味を持ったが、彼女も現地の人が野菜を食べないことを証言した。

それやこれや、聞きたいこと、知りたいこといっぱいのわれわれは一夜、中松夫人、そしてミクロネシア連邦政府観光部マーケティングアドバイザー(シニア海外協力隊員)の重野 功さん、ほかにJOCVの松尾美紀(日本語教師)、直江舞子(音楽)、袴田清佳(観光)、山田里美(体育)、栗田貴之(調整員)さんらと懇談したが、これまで知り得なかった問題も多く出てきた。

肥満の原因は何か

一番気になる女性の超肥満については、先の民族誌とは別に「60年ほど前の写真を見た記憶があるが、太った女性は居なかったように思う」「いや、肥満は民族の遺伝子によるもので体質である」と様々な意見が出た。南洋貿易(明治28年創業)東京本社に尋ねると、「やはり食生活の変化が肥満の原因では。現地の人は本来一日1食が普通で、食べるときにはとことん食べる。高カロリー食が増えてもうんと食べる。だから必然的に太るようになった」。糖尿病患者の増加もその結果であろうと推測、「住民や学校教育、指導で糖尿病の恐ろしさを啓発することが何より大切だと思います」という。支援の一つの方向が見える。学校に栄養指導のJOCV隊員が派遣されたこともあるようだが、国民全般の食生活改善も視野に入れた指導が望まれるところだ。そうした大所に立った派遣要望が出るだろうか。

JOCV隊員らとの懇談は3時間近くに及んだ。

主な内容を並べてみた。

<自家菜園のような形で野菜は作らないのか>

◇野菜を作ろうとする人はいるが、作った野菜を売ってもうけることは恥ずかしいと考えている◇トマトを作った人がいるが、実がなると近所の人が持って行ってしまう。個人のものはみんなの物。人の物は自分の物。所有権の考え方が根本から違うのでは。 

<コンチネンタル航空の関空撤退ほか>

     コンチネンタルは関空利用客の落ち込みと回復力のなさをシビアに判断した結果である◇日本からの直行便乗り入れも考えられなくはないが、技術的に難しい。今のポンペイ空港の滑走路は1980bしかなく、離着陸できるのはアメリカ軍用機のパイロットしかおらず、コンチもハワイでトレーニングしている◇グアムからコンチ以外のエアラインの乗り入れも検討されているが、観光客が増えるか、見返りはあるのかがネックになっている。

 <ポンペイの観光問題は>

◇ナン・マドール遺跡が世界文化遺産に登録される可能性は強いが、一部地主が難問。しかし放置していると遺跡の崩壊は目に見えているので、積み替えなど手当てをしなければならない。ボランティアが年一度でも草刈り奉仕できないものか◇観光客を増やすにはどんな方法があるか。ミクロネシアをもっと知ってもらい、新しいイメージ作りも必要ではないか◇2年後に島周回道路が完成するが、車は増える一方で、しかも車検制度がないのは困ったことである◇観光客が来るには野放しの大量の犬が気になる。車の走行の障害でもある。

 そのほか、ゴミ処理・環境問題、特にポンペイにおける人口過剰増加問題などについて話し合ったが、今後、FOMが仲立ちしてJOCVのミクロネシア同窓会のようなネットワークを作り、ミクロネシアの今後のために意見を出し合っていくことに賛同してくれた。

                ☆

滞在中、雨と曇りの日が多かったが、帰る夜、また南十字星が出た。その左には、巨大な蠍座も姿を見せ、深夜に空港へ向かうわれわれを見送ってくれた。

                

《目の不自由な人たちが象を撫で、撫でた部位によってそれぞれが象についていろいろなイメージを持つということわざがある。ミクロネシア支援でも、似たようなことがないとはいえない。地域や現象、事象の一部分にしか接しないで、それがすべてだと思いこむことは厳に慎まねばならぬ。しっぽ、耳、鼻、足、すべてに触れて、象の全体像を理解する努力を続けたい》。

 

● ああ、やっぱり来てしまったミクロネシア  河瀬  敦忠会員

◆5月11日(火)

 「ミクロネシアへ行くのになんで新幹線で名古屋へ行くんや」、心の中でぶつくさ言いながら新大阪へ向かう。コンチネンタル航空は昨年から関空路線は廃止、関西圏からは名古屋か岡山経由でしかグアムと結んでいない。関空も大阪も地盤沈下が激しいようだ。

 20時20分、予定より早くおじさんトリオ(上川さん、小森さん、河瀬)を乗せたCO972は名古屋空港を離陸.12時40分グアム到着、東京から飛んだ笠原さんと合流した。到着時間は東京便と10分ほどしか違わない。とりあえず仮眠のためエアポートホテル・マイアナへ。部屋は1室でツインとダブルになっていたが、男同士ダブルというのも気持ち悪いのでソファと椅子を並べて眠ることにした。しかし不運にもエアコンの吹き出し口の正面で、グアムに来て寒かった、という珍しい体験をした。今回モトさんが体調不良で一緒できなかったのが本当に残念だ。次回は是非!

◆5月12日(水)

眠ったような眠っていないような中で早朝6時起床、6時40分に空港へ向かう。いつも思うのだが、せめてグアムで2〜3時間待ちで乗り継ぎできないものか。以前、関空発着の場合は行き帰りともグアムで一泊しなければならなかった。今後ミクロネシアが観光に力を入れるならこのあたりも検討が必要だ。

 グアム空港内のサンドイッチは 超がつくほど不味かった。ほかのものも不味い…で全員合意。おつりもしっかり数えよう。

 8時20分、CO956でグアムを出る。チューク11時、ポンペイ12時45分。元日本人会の会長で2年前に亡くなられた中松さんの奥様・延枝さんが出迎えてくれた。カセレリアTVのシスター・ダツコは出迎えと我々が持参したビデオデッキの受け取りも兼ねて。

それにしても蒸し暑い。いつものことだが。

早速サウスパークホテルへ。18時ごろから近くのクリフ・レインボーホテルで中松さんも交えて夕食。ここは最近、森 喜朗元総理が泊まったところ。

マングローブガニの捕獲規制が厳しくなった、公務員の月給は1カ月600j、新車3万j、移動遊園地のサーカスが来ている、蚊が心配、など中松さんから最新の情報を教えてもらい20時ごろ解散。

     5月13日(木)

中松さんのアレンジで9時30分、SEIレストランのSEIさんの車でSEIボタニカルガーデンへ。

島一周道路(約75`b)の舗装は大分伸びている。道端に何台も車が捨てられている。大統領が替わってヤップの人になったという。そのヤップは今年3月、台風に襲われ大きな被害が出たらしい。いろんな情報が飛び交う。ヤップの台風は日本ではほとんど報道されていないようだ。帰ったら大使館に問い合わせてみようということになった。

 SEIさんは昭和一桁生まれだというがとてもそうには見えない。33万平方bのとてつもなく広いこの農園を数人のスタッフと一緒に切り盛りしている。美しい熱帯植物園の中にコショウ畑があり、3千本の木で年間10dくらい採れるという。化学肥料は使わず、飼育している豚の糞の堆肥が主な肥料。草刈りをはじめ大変な労力がいる。将釆1万本まで増やしたいというSEIさんのパワーに脱帽。香りがいいポンペイ・コショウは主にアメリカへ。日本にも出荷されているが量が少なく高価だ。

 島の子供達が野外実習で訪れ、バーベキューなどを楽しんで帰ることもあるらしい。外国観光客にも喜ばれそうな雰囲気だ。

持参のパンで昼食を済ませた後、13時20分に農場を出た。途中キチ村で大うなぎ(味は脂っぽくて不味いらしい。見るだけで一人3j)を見て帰る。

16時30分、カセレリアTVプロダクションヘ。日本人スタッフがメインになって立ち上げたメディアセンターだ。サン・テレビ(神戸)の辻森さん(FOMメンバー)も尽力、VTRが故障したというので代わりのものを持参して空港で渡した。セッティングもOKで順調のようだ。

17時、空港に近いゴミ集積場へ。

ゴミ処理については世界中が悩んでいる。ミクロネシアも例外ではない。生活ゴミから自動車、飛行機まで捨ててある。分別収集の習慣はない。持ち込めばタダ。収集してもらえばコロニア地区で1カ月35j。以遠で50jというが、現金収入の少ないこの国で50jはかなりしんどい。あと6年でここが満杯になると新しい場所を探すという。ハエと野良猫と異臭の中で、美しい海がこれからどうなるのか、またもや問題にぶつかった。

18時30分からSEIレストランで夕食。中松さん、セイさんも一緒。バイキング形式のゆったりとしたテーブル配置で外人客も所々に。でかいマングロープガニ2匹の差し入れがあり、みんな無口になった。

◆5月14日(金)

今日の予定は午前中カツオ釣り、夜は青年海外協力隊と夕食を兼ねた懇談会。

7時30分、セブンデイズスクール(SDA)のアマドール氏に港まで送ってもらいSDA・ペンジャミン校長と落ち合う。校長のボートに4人がの乗り込み出港。

 サンゴ礁に囲まれたラグーンを出ると一気に水の色が変わる。海は急激に深くなりうねりが出てくる。9時30分ごろ鳥山を発見、擬似餌を流しながら鳥山へつっこむ。

 何度も鳥山に割って入ったがカツオに嫌われたのかカツオが賢いのか手ごたえなし。その中で笠原さんがハマチのような色合いのレインボーランナーとカツオ1匹を釣り上げた。「自分が食べる分は自分で釣る」話はご破算。

 ソケースロックあたりに強いスコールが来ている。雲と海が水の糸でつながっている。風と波が強くなってきたので帰り支度を始める。空は暗くなり大きなうねりが出てきた。

 島陰へ入るためボートは風とうねりを斜めに受けながら東へ進路をとる。3bほどのうねりを乗り越えるたびに頭から波をかぶる。カメラを入れたビニール袋にも海水が入りだしたが落水の危険があるため動くことができない。救命胴衣は見当たらない。ベンジャミン校長の顔色が冴えない。40馬力の舶外機が唯一の頼りだ。

13時、命からがら島陰に逃げ込んだ。足の立つところで全員海へ入り「マイレストルーム」状態に。13時30分帰着。PCRレストランへ魚を届けて、今夜刺身にして出してくれるよう依頼、ホテルへ帰る。あ−あ、命があってよかった!

 18時30分 中松さんの車でPCRレストランへ。

 青年海外協力隊のメンバー、シニア隊員、中松さんらからいろんな話を聞く。(詳細は小森会員のリポートに詳しい)

 観光に関しては@国・州が観光をどう理解しているかA2010年に観光客を年間6万〜7万人に増やしたい(現在約1万7千人)というがインフラ整備は? など問題は山積。

 ホテルの冷房に関しても、無いと日本人には不評、外国人には好評だという。

 どちらにしても「働かなくても食える」状況が“吉“なのか“凶”なのか。

 22時40分 話は尽きぬまま解散。協力隊の、できることできないこと、FOMのできることできないこと、また機会があれば話したい。町の中でしょっちゅう見かける神戸市建設局、水道局、消防局などの車がFOMから贈られていることをだれも知らなかったことにガッカリした。

5月15日(土)

 8時、本来の日的であるPATSの卒業式へ向かう。アマドール氏、それに夫人のジョシイさんにまたお世話になる。ホテルからPATSまで約50分。途中、3カ所で日本の企業が橋の架け替え工事をしていた。

 式は10時に始まり、笠原・小森両氏が壇上へ座る。上川氏、河瀬も引っ張られたが2人は恥ずかしがり屋なので辞退し、写真を撮る方へ回る。

11時、無事終了。今年からPATSのA、「アグリカルチャー」が無くなり、コンピューター関係が科目に入るという。島人が野菜を食べない、ということと関係がありそうだ。しかし、パソコンを使うためには湿気と潮気から機械を守るためエアコンが必需品になる。どうする。

 昼過ぎ、学校の食堂で昼食。トレーを持って列を作る。子供達は決して大人の前に出ない。ご飯、焼き魚、チキン、など次々トレーに入れてくれる。あっという間に山盛りになった。食後、最高責任者のファーザー・グレッグとしばらく話をする。校内を案内してもらったら、昨年贈ったギターを弾いている子供に出会った。貸せ、といって、♪ガグァンタナメラ♪をコード弾きするとみんな大喜びで寄ってきた。別のギターの弦巻が壊れていたので帰ったら弦巻の部品ともう1台贈ったギターの弦1セットを送ることを約束する。

 コスチガン神父のお墓参りを済ませ、13時、PATSを出た。

 カトリック教会へ斎藤シスターを訪ねて立ち寄ったがチュークへおでかけ中、14時、ヴィレッジ・ホテルで一服。

 モトさんの頼まれごともあるし、この際キチ村のイヨアニス宅へ行こう、と話がまとまり出発。何故か、何となく忙しい。

残念ながら本人には会えなかったが、妹さんに会えた。昨年秋、次兄? が亡くなられたとか。

お墓参りをしている聞、子供達も大人に混じってシャカオを作っているのがおもしろい。どう考えてもシャカオは不味いと思うが、それが文化なのだろう。バナナ、ココナナッを頂いて辞去。18時帰着。

 19時から中庭でディナーショーが始まった。中松さんと一緒に食事。ショーはハワイアンがほとんど、1曲だけ地元ミクロネシアらしいリズムの曲があった。リブステーキ15j、缶ビール3j。

◆5月16日(日)

 ミクロネシア最後の日。

 9時、中松さんの車に乗せてもらって日本人小学校跡を見たあと中松さん宅へ。中庭に闘鶏場があるのにびっくり。

12時、ジョイホテルで昼食。ハムラーメンをオーダーしたが味はもうひとつ。いろんな日本食があった。パンの実のフライドチップが美味しい。一袋2.5jなので全員2袋ずつ注文。4歳くらいの可愛い日本人の女の子に出会った。3カ国語話すという。

14時30分、ホテルで立て替え分の精算をする。笠原さんに266jと、上川さんに280jを支払う。ありがとうございました。

18時、ホテルの近くにあるセブンデイズ教会へ。それぞれの国へ帰る先生たちの送別会に一緒に出席してくれということで出かけた。

17時に集合、がやっぱりポナペ時間で、始まったのは19時。

 食ペ物は全て持ち寄りで、参加者の車で次々運ばれ並べられる。FOMの紹介があり、おばさん?が頭にマラマラ(花輪)を乗せてくれ、ポナペの地図が入ったTシャツをプレゼントしてくれた。かなり感動的なシーンでちょっとウルっとした。

 残念だが途中で退席、今夜の帰国の準備をしなければ。飛行機はCO959便で17日午前1時25分発。23時に空港へ向かう。

 中松さんが心づくしのオニギリ弁当を作って持って来てくれた。グアム空港の食事の不味いことをよくご存じだ。ベンジャミン校長ご夫妻、アマドール氏、ジョシイ夫人も来てくれた。

 荷物のチェックが始まった。「また来ます」を合言葉に、惜別の情をふり切ってゲートに並んだ。

 飛行機もポナペ時間だった。午前2時30分、CO959はやっと飛び立った。

 グアムで一度出国しまた入るという面倒臭い手続きが待っていた。ギリギリの時間で笠原さんは東京へ中松さんのオニギリを持って飛び立った。

 我々3人はロビーでオニギリをパクつく。ホントにうまかった。元気が出た。漬物までついていた。

 7時20分 CO971で懐かしいような腹の立つような名古屋空港へ。

 帰りの新幹線の中で飲んだ缶ビールのなんとうまかったたこと。

 大事に残しておいたオニギリのなんと美味しかったこと。

 かくして17日14時、わが家の扉の前に立った。

 

●ミクロネシアについて思うこと  上川  庄二郎会員

 昨年は、所要が重なって行くことができなかったので、今年こそは、と去る5月11日から17日にかけてポナペを訪問してきた。今回は、本吉代表が体調不良のため参加されず、我々4人(笠原岳夫、小森宰平、河瀬敦忠の三氏、と私)がPATSの卒業式参列を主目的に本吉代表の代役を勤めてきたという次第。

 ここら辺りの記述については、小森宰平、河瀬敦忠両氏のリポートに詳しいので、私から敢えて書くことが見当たりそうにない。そこで、今日までミクロネシアについて思ってきたことなどを少し書いてみようと思う。

 

1 ミクロネシアとタヒチ

 ミクロネシアとタヒチ(仏領ポリネシア)。どちらの国も赤道の南北は別として太平洋のど真ん中にある島嶼国家であることには変わりない。そこで、両国を訪れて見聞したり少し勉強してみた私の独断と偏見で少し対比してみることにした。

両国は、共に立地的には常夏の島で、ラグーンに囲まれた風光明媚な島嶼群であるにも拘らず、ミクロネシアが長きに亘って多国(スペイン、ドイツ、日本、アメリカ)の支配下に置かれ、その都度為政方針(言語や宗教の押し付けを含め、最後は、日本が太平洋戦争の激戦地にしてしまった)も変わるという環境下におかれたことは不幸なことだったと言わざるを得ない。これに反し、タヒチは、フランスの支配下におかれたことが良かったかどうか(ムルロア環礁などで核実験をした)は別にして、ミクロネシアのような振り回され方がなかったことと、フランス文化の影響を受けてタヒチ固有の文化も洗練されていったのだろうと思われる。

そんなことで、タヒチは、観光立国で立ってゆくために必要なインフラの整備や、ホテル、空港なども立派なものである。加えて、治安はもちろんのこと、島全体が清潔できれいである。だから、余計に自然の美しさが引き立つ。その上、島の人たちは、我々を心から歓迎してくれていることがその態度でよく分かる。つまり、心憎いまでのもてなしの心が身についている。これは、島の人たちの80%が何らかの形で観光産業に従事していることからくる住民の意識の問題なのかも知れない。

 これらを、いろんな角度から比較してみたのが、次の表である。

ミクロネシアとタヒチの比較

 

ミクロネシア

タヒチ(仏領ポリネシア)

立 地

自 然

政 治

 

人 種

 

 

産業・経済

 

 

 

 

 

商 業

 

インフラ

環 境

 

 

治 安

ホスピタリティ

 

 

 

文化・娯楽

 

 

 

ホテル

 

空 港

赤道の北側に位置し、常夏の島

ラグーンに囲まれた風向明媚な島嶼群

ミクロネシア連邦として、15年前

に独立。

ミクロネシア人(多国支配のため、スペイン・ドイツ・日本・アメリカの混血も多い)

政府予算の3/4がアメリカの援助。日本、台湾等への漁業権料。

さしたる産業なし

 

 

 

日系ミクロネシア人がスーパーなどを経営

整備率は悪い。

ごみ等の不法投棄?が多い。廃棄自動車の乗り捨てが多い。ビーチ

にも空き缶などが散乱

非常に良い。

アメリカの統治政策(Zoo Policy

という)もあって働く意欲が少ない。ホスピタリティも余りよいとは言えない。

自分たちのナイトクラブのような

ものはある。

 

 

Aクラスのホテルはないに等しい。

収容人員も少ない。

空港はあるが滑走路が短い(1980m)。便数も少なく(週に2〜3便)、全てグアムかハワイ経由で直行便はない。

赤道の南側に位置し、常夏の島

ラグーンに囲まれた風向明媚な島嶼群

現在は、仏領の自治区だが、独立派もいる。

 

ポリネシア人(仏系混血を含む)70%、フ

ランス人20%、中国人10%

 

フランスの援助はある。しかし、観光立国

(島の80%の人が、何らかの形で観光業に従事していることがホスピタリティに結びついている?)、黒真珠の養殖世界一、色とりどりのパレオ(タヒチの民族衣料)など自立経済に意欲?

10%の中国人が実態支配

 

かなり整備されている。

島全体が清潔できれい。ビーチもきれい。道路沿いの家も植え込みなどできれいに

している。

非常に良い。

非常に良い。観光客あってのタヒチと思っているから、ホスピタリティもよい。空港に降り立っと、パレオをまとった男女がダンスと音楽で迎えてくれる。

タヒチアンダンスと音楽に堪能なエンターテイナーを多数擁している。タヒチアンたちは、英語も堪能。ポール・ゴーギャンがこよなく愛した島でもある。

Aクラスのホテルが多い。特に水上コテー

ジが素晴らしい。

大型機の着陸できる空港あり。便数も多く、フランスはもとよりアメリカ、オーストラリア、ニュージランド、日本など各国から直行便あり。

 

2 ミクロネシアはどうすればいいの?

こうした対比から読み取れるものは何か、と見てみると、ミクロネシアにないタヒチの売りの大きな要因は、ポール・ゴーギャンの存在であろう。

しかし、この要因を除いてみても、あらゆるポイントでタヒチはミクロネシアを凌いでいる。それではどうすればよいのか。

私の見たところでは、空港・港湾といったインフラ整備を先行するよりも、規模は小さくとも現在のインフラを最大限活用することにして、今は島内の生活環境整備を優先すべきであろうと考える。

もちろん、島内一周道路の整備は欠かせないが、次に考えることの必要な最大の課題は、ごみ、上・下水道問題の解決だと思われる。

これらを、日本政府のODA援助で取り上げてもらうことが、連邦政府としてぜひ取り組んで欲しい課題である。ところが、ごみ、上・下水道のような生活環境整備の技術的ノウハウは、日本でも大都市にしか持ち合わせていない。だから、両国政府の間では、どうしてもODA援助といえば、道路、港湾、空港といったところに焦点がいってしまう。

ここは、何らかの形で、神戸市がこのような技術的ノウハウを持ったOB職員を派遣するなりして、整備計画を立ててあげられたらいいと思うのだが、そのような受入態勢が取れないものだろうか。ミクロネシア政府の方でも検討してもらえたらと思う。

このことは、今回のポナペ訪問で感じた最大の問題点であり課題である(現地事情については、小森・河瀬レポートを参照)。

このことは、足元の神戸でも言えることだが、ミクロネシアが観光誘致を進めたいと思っているなら、次の言葉を参考までに引用しておこう。

「観光プロデューサーとして有名なアラン・フォーバス氏は、『観光開発に道路とか飛行場とかホテルをつくるのは二の次。それらは、観光のサポートをする施設であって、観光そのものではない。先ずは、観光そのものの施設、あれがあるから○○へ行きたいというアトラクティブをつくれ』といった。そのアトラクティブとは何か、と聞いたら『第一にヒストリー、第二にフィクション、物語、第三に音楽と料理、第四にガール&ギャンブル、第五にサイトシーイング、第六にショッピング、つまり品揃えが良くて安価な商店街だ。このうち三つを揃えろ!』と教えられた」(堺屋太一)

 今、タヒチが売れに売れているのは何故か? もとより、ここに挙げられた六つの要素をほとんど完璧に揃えているからに他ならない。つまり、ラグーンに囲まれた清潔できれいで風光明媚な島嶼群、タヒチをこよなく愛したポール・ゴーギャン、パレオをまとって踊る官能的なタヒチアンダンス。そして、極めつけは、スーベニールとしてあのきれいなラグーンで育んだ大粒の黒真珠である。

ミクロネシアが、タヒチに追いつくためには、先ず環境問題。つまり、ごみ・下水道問題を解決してまちをきれいにすることから始めなければならないという認識が必要である。

第五のサイトシーイングでは、最初にも述べた通り、立地的には常夏の島で、ラグーンに囲まれた風光明媚な島嶼群であることは共通している。それなのに、何故タヒチの方がいいのか、を考えてみる必要がある。それは、サイトシーイングを良くするのも悪くするのもごみであり下水道なのなのだ、ということである。清潔できれいであることが、サイトシーイングを良くすることに他ならない。ミクロネシア政府は、先ずこのことを理解し実行に移すことを考えて欲しい(これは、神戸にも当てはまる事象であるが…)。

我々も、NGOの一員としてできる限りの応援をすることにやぶさかではない。環境問題以外の課題については、次回以降で取り上げることにしたいと思う。

 

●ミクロネシアに真の独立を  笠原岳夫会員

ミクロネシアを訪れる度にこの言葉を考えてしまう。経済を見ても、資源の管理を考えても、我々の目から見れば、彼らはこれからあらゆる努力をし真の独立を得ることが必要なのだ、と。だから我々FOMはその支援を、と。

一方 国際的な支援で、してはならない事は「現場が要望していない」支援をしてしまう事、この理論は充分に理解できる。わが国が援助大国に至るまでに、どれだけ間違った援助をしてしまったことか?  私はODAで寄贈をした漁船を人知れず沖に曳航し 沈めてしまった例さえ知っている。

奥野歩さんの「わたし、南の島で先生しました」=別掲=を、音楽を志すような人の感性は違うな、と感動の連続で読んだ。彼女は島の子供達に音楽の楽しみを教えに行き、目の前に現れるエスニックな事象を一つずつ実に柔軟に受け止め、感じながら克服して目標を達成していった。素晴らしい記録なのでぜひ読まれる事をお勧めしたい。

彼女は独立のための問題点調査に行ったわけではないが、この本にはFSMが真の独立のために克服しなければならない問題が 現場での実例としてたくさん提起されている。

一例を挙げる。ポナペの子供達は学校に持って来るお弁当を食べ残し、棄てる。「食料は常に余分に準備をする」のが島の生活の美徳であり習慣なのである。だがその食料は殆どが輸入品。私は島の良い習慣を残す事には大賛成。しかし、援助に頼り切った経済体質の将来を考えると、この米粒一つを節約する基本精神を全島民が理解をしない事には----将来の島の独立した経済は成り立たない。

私が子供の頃、ご飯を一粒でも残したら 母親に叱られものだ。「もったいない」と、その精神が日本の富を築いた。米粒の話をたまたまフィリピン人のアマドールさんにした、彼は「そうだ、フィリピンでも親はそう教えるのだ !」と言い切った。我が意を得たり。だがFSMの経済は貨幣経済の基本から島の美徳までを島の人たちと一緒に考えなければ、とても簡単な問題ではなさそうなのである。

私は彼女の記述から多くの問題点に思いを馳せた。そこで一つの結論は、やはりPATSの建学精神と同じ「人材の育成」に行き当たる。

国際協力事業団(JICA)は‘03年の10月に、より民間に近づいた組織で『独立行政法人 国際協力機構』(英名は同じ JICA )に組織替えをし、その理事長に緒方貞子さんを迎えて新発足した。新生JICAの基本方針が四本の柱として提起されている。その三番目の柱は、市民参加の推進であり「地方自治体、NGO、大学関係者等と協力し、草の根技術協力やボランティア派遣事業など市民レベルの国際協力を推進します」とある。

茨城県にある五万人の小さな市の完全なボランティア国際交流団体で、私はこの草の根技術協力の資金をいただき途上国の先生を地域に招聘し、県立高校で日本の教育現場を見せる研修(これでもれっきとした 技術移転事業)を実施した。もちろんその間に地域での交流も行った。

奥野さんを派遣したのもJICAだが、今やJICAの資金(日本のODA)は我々市民ベースの支援にも開放されている。我々の持つノウハウが期待されているのだ。青年海外協力隊の現役やOB/OGとも連携し、この資金を利用したFSMの方たちの日本への招聘、日本での研修を行うなど、相互の理解を一層深める支援/交流活動を今後のFOMの事業の一つとして視野に入れる事を提案し今回の卒業式参加報告とします。

 

<本紹介>ポンペイで音楽教師2年

    興味引く青年海外協力隊員の本音

「わたし、南の島で先生しました」(奥野 歩・著)

著者は1975年大阪市生まれ。京都女子大(音楽教育学専攻)を卒業後、公立中学校に勤務したが2001年から青年海外協力隊員として2年間、ミクロネシア連邦ポンペイ(州)の私立小学校(ポンペイ・カトリック小学校)で音楽を指導、04年6月に帰国して現在は大阪府羽曳野市立誉田(こんだ)中学校で音楽を教えている。これはポンペイ生活2年間の体験記だが、青年海外協力隊員として未知の地域で活動した若者の本音部分がつづられていて興味深い。

奥野さんが青年海外協力隊員を志したのは「日本の学校の先生だけでいるより、貧しい子、恵まれない子供に音楽を教えたい。私がいることで何か楽しい時間が持てたらいいなと思ったから」そして派遣されたのがミクロネシアのポンペイ。

「ミクロネシアのことを知る人が少なかった」「犬がやたらと多い」「湿度が高く塩にまでカビが生えた」「店に並ぶ食料品はほとんどが賞味期限切れ」「最初の仕事はゴキブリのフン掃除から」など、これまでの隊員の帰国報告には出てこないマイナーな部分もきっちり書いているが、それについては「異文化の地域なのだから、いいことばかりでなく、つらいこともあるが当然」と割り切った答え。

そうした環境、状況の中で子供たちに接し、子供たちと歌い、音楽を通じて人間関係を築いていった。

「青年海外協力隊員派遣の一番の問題点は?」と尋ねると「カウンターパートのことかな」と言う。カウンターパートとは、現地協力者のことで、海外派遣を要請するとき現地に一人または複数のカウンターパートを置くことが定められていて、それらカウンターパートへの技術移管が任務とされている。「それなのに多くの場合、カウンターパートがおらず、居ても思ったようには働いてくれない」。だから、せっかく実を付けかけた2年間の努力も、その隊員の任期が終わるとぷっつり切れてしまう。カウンターパートに引き継がれないからだ。本ではこうした面にも踏み込んでいる。

今年5月、ポンペイで奥野さんの後任の音楽指導隊員に会ったとき「以前は奥野さんはうんと上の手の届かないところの人のように思っていましたが、この本を読んで、あの人も同じ悩み、苦しみに直面しておられたんだと知って力づけられました」と言った。

海外で活動することを志す青年に薦めたい本である。

奥野さんは今、中学校で音楽を教えながら寸暇を惜しんで日本語教師の勉強を続けている。またどこか、恵まれない子供のところへ行くつもりでいるのだろうか。(翫ト雲社・刊、1500円・税別)

 

●平成15年期末決算報告書

自 平成15年4月 1日

至 平成16年3月31日

 

〔注意事項〕

1. 前期以前より繰り越されている什器199,400円は現物がなく実体不明のため今期繰り越しから抹消(200,000円以下の場合、減価償却ではなく一括で引き落とし可)

 

2. 寄付金内訳 海上運賃       301,259

              船積み通関等    59,070

 

3. 印刷費・会報・カセレリア

 

4. 雑費内訳   タイヤ代        44,150

              郵送料          49,506

              ラジエター修理代 19,782

 

5.預金残 兵庫信用金庫  522,617

 

以上ご報告致します。

平成16年7月15日 河瀬  敦忠

収入の部

支出の部

前期繰り越し金

 

 

 

  現 金

   10,307

 

 

  預 金

  429,081

 

 

  小 計

  439,388

 

 

入会金

    2,000

寄付金

  360,329

年会費

  276,000

福利厚生費(香典)

   10,000

特別協力金

  348,000

印刷費(会報)

   43,575

受け取り利息

        2

雑費

  125,121

  小 計

  626,002

  小 計

  539,025

 

 

次期繰り越し金

 

 

 

  現 金

    3,748

 

 

  預 金

  522,617

 

 

  小 計

  526,365

  合 計

1,065,390

  合計

1,065,390

 

今期は、神戸市から中古トラック4台、会員の荒牧氏(潟Gフエルエス社長)から大量の婦人用夏物衣料の寄付があり、それぞれ目的に従ってミクロネシアへ船積みのうえ寄贈した。