カセレリア 号外第25号

2001.6.27(From bulletin of NGO-FOM)
Visitors to this page since July./15/2001

  1. カセレリア25号(FOM代表挨拶)
  2. ミクロネシアを再び訪れて小森宰平(会員番号0737)
  3. “言うまいと思えど今日の暑さかなポンペイは"河瀬敦忠(会員番号00736)
  4. “真佐子と英理子のハチャメチャポナペ日記"荒牧真佐子・英理子(会員番号00173)


会員各位殿 カセレリア25号

今年も5月22日関西空港を出発、5月26日(土)のPATSの卒業式に出席しました。
今回の同伴者は、増村和門、上川庄二郎の両顧問会員、新入会(旅行ペンクラブ会員)の小森宰平、河瀬敦忠氏に加えて荒牧英樹会員の奥様真佐子さんと娘の英理子さんの6名です。そのうち4名はPONAPEを初訪問、この旅の始まりから5月28日の帰国まで、感動に包まれてとても楽しかったようです。旅の受け止めについては、以下それぞれの文章を読んでいただければ一緒に楽しんでいただけると思います。

カセレリアを一読いただけましたら、FOMのこれからの活動についての大筋のご意見を是非お聞かせください。
FOM代表 本吉義宏


”ミクロネシアを再び訪れて”
小森宰平(会員番号0737)

ミクロネシアヘ旅すると聞いて、最初に思い浮かんだのは〈南洋⇔冒険ダン吉>だった。
戦時中に少年時代を過ごした人達の多くは、ビール瓶の栓のような王冠を頭に裸で腕時計をはめて腰ミノ、黒い運動靴姿の冒険ダン吉と、仲間のネズミのガリ公を覚えているだろう。昨年、一度目の訪問時には懐かしさだけが先行、チュークの小島でダン吉のモデルだといわれる森小弁氏の碑の前に立ったときも、「ふ一ん」と見流す程度だった。

しかし二度目の今年、例の教科書検定問題もあって、出発を前に漫画の描きようが気になり出した。 日本があくどい侵略者になっていないか。それで直前に神戸市立図書館に出かけて、半世紀以上ぶりにダン吉と再会した。

漫画は島田啓三氏の原作。少年倶楽部昭和8年6月号から14年7月号まで6年2ケ月違載されたもので見たのはその復刻版。いいおじさんが漫画に熱中してと思われたかもしれないが、じっくり読んで、安心し感激した。 主人公は日本の少年で、ネズミのガリ公と一緒に、アッという間に風で南洋まで飛ばされ島での生活が姶まる。現地の酋長を知恵でやっつけて王冠とヤリを分捕って王様に就任、悪者や猛獣を次々退治、ガリ公と相談して学校、病院、鉄道を設けて島を開いていく。侵略の匂いはどこにも無く、発展途上国の開発に努力するポランティアの姿すら感じさせる。

漫画に描かれたのは、日本が南洋諸島を委任統治していた時代で、南進論が南方開発という形で押し出され、日本中の目が南方に向けられていた頃。ところが作者には問題意識はさらさらなく、復刻にあたっての作者の序文によると、「南方の熱帯地とは、密林に猛獣や野鳥とかが横行し、黒い首狩りの人種が住むところ」という先入観があり、そのまま物語は進行、動物たちもアフリカ、インド、南米、ボルネオ産等がごちゃごちゃになったらしい。なるほどキリン、ライオン、トラ、カバ、ダチョウ、ワニと、なんでもありだ。

手塚治虫氏は後書きで「小うるさい評論家が『ダン吉』は、侵略者だの人種偏見だのとしていること」について「僕は何の問題も感じなかった。ダン吉に仕える蛮公たちのムードが実に日本人臭くてほほえましかった。表面は食人蛮かなにか知らないが、我々の身近なサラリーマンや職人や田舎のおっさんとちっとも変わらない親しみと暖かさをもっている」と書いている。本当にそうだ、これで気分よくミクロネシアに通えると思った。

入会したとき、正直言って、「フレンズ・オブ・ミクロネシア(FOM)」とは、戦時中ご迷惑をおかけした南の島の方々に物心両面でのお返しをするボランティア団体だろうと、その程度の理解しかなく、それも、ポナペ農工高校(PATS)の運営・支援なのだろう程度に留まっていた。それが実際に二度目のミクロネシア訪問で少しずつ変わってきた。旅の取材執筆を主な仕事にしているが、同じ地域を繰り返し訪れると、一度だけでは見えなかったものが次第に見えてくる。それと同じで一度より二度目、内面はうかがい知れないが、どこを訪れても、島民に反日感情などまるで感じられず、素朴な親しみだけが増幅して感じられてくる。

感心するのはモトさんの拡大する一方の顔の広さ、あらゆる部分へのパイプの長さ、太さだ。大統領、各州知事らとの繋がりはもとより、今年グァムからチューク経由ポナペヘの機内で、モトさんと知って向こうから話しかけてきていた若い現地青年はPATSの卒業生。モトさんは「オレは知らんよ」。昨年のチューク、今年のポナペでも、空港にいろんな人が迎えに出ている。モトさんの後ろについて何度「ナイス・ミーチュー」の握手をしたことか。大統領、大勢の神父、シスター、学校の教師、日本の大使、現地の老若男女、日本人の男女…・夜はホテルのモトさんの部屋が集会所になり、俳優のジーン・ハックマンを思わせるブラザー・テリー氏も来て、元気よく歌を唄って帰っていく日もあった。

PATSの卒業式では、にこりともせず入場し、壇上に並び、退場していった卒業生たちの真剣さが印象的だった。あそこで学んだ技術がそれぞれの出身島へ帰ってすぐに役立つとは思えない。受け皿も少ないだろう。しかし、あそこで学んだことで、青年たちの人生の選択肢は大きく広がったはずだ。機内で話しかけてきた青年は、PATS卒業後、ハワイ大学に進学していると話していたらしい。「そうしたことがPATSの存在理由、存在価値なんだ。成果を焦ってはならない。」とモトさん。

僕のFOMに対する知識はPATS支援のほかに、エルニーニョによる千ばつ時に調査団を派遣して各島の井戸を再生させたこと、教育支援などを行っていることなどがあるが、新入会員としてこれからなにをしていったらいいのか。会員の輪を広げるとき具体的に何をアピールしたらいいのか。

ミクロネシア訪問のきっかけとなった豊かな自然、そして青い海は、チューク・ポナペとも健在だった。これらはミクロネシアというより地球の宝だ。これを守りながら島の人達の生活を向上させるにはどうすればいいか。イージーな開発は乱開発を呼び、自然を破壊し、公害すら招く。グァムでは昨年は気づかなかった交通渋滞を見た。緑の海に空き缶が投棄されている場面も多く見た。

ミクロネシアがこれから直面していく多くの問題や局面は、われわれ日本人が体験したものばかり。目先の利益に走り、失敗し、失ってしまったものばかりだ。生活排水の処理、水道、電力の確保、やらねばならぬことも多く、そのいずれも日本人はまたとない反面教師だ。やるべきこと、やってもいいこと、やってはいけないことの見極めこそ大切だ。われわれの持つ価値観をそのまま押しつけることは避けなければならない。

二度の訪問で、どこへ行っても現地の人の肥満ぶりに圧倒された。巨大とさえいえるご婦人たち。肥満の芽はほとんどの子供たちにみられる。あちこちのレストランで食べた料理の盛りの多いこと。あれを毎日食べ続ければ、太らぬほうが不思議。成人病が増えてきているという。生活改善へ手を差しのべられぬか。
訪問を重ねれば、やるべきこと、やらねばならぬことがどんどん見えてくるだろう。 あちこちで海外青年協力隊の人達を見かけた。大義は奉仕活動だが、生活しなければならぬ。その保障はどうなのか。何年か滞在して帰国して、果たして働き口があるのか。帰国しても働き口はなくゼロからの求職だとも聞く。心置きなく海外で奉仕活動を続けてもらうにはどうすればよいのか。ここにもやらねばならぬ問題がある。

一度目に果たせなかった夢が今回少し叶った。PATS卒業式への参列のほか、船で沖に出て70センチはあるカツオを釣ったこと、南十字星を見たこと。しかし、今回もまたマングローブガニを食べ損ねた。 テレビの連続ドラマならここで画面に「つづく」と出るところだ。


”言うまいと思えど今日の暑さかなポンペイは”
河瀬敦忠(会員番号00736)

とうとうマングローブガニを味わえずにCHUUKを後にした昨年の悔しさを思い浮かべながら、「今年は大丈夫」のひとことを信じ、みんなの笑顔を楽しみにPOHNPEIへの旅に参加させて戴いた。久しぶりに会う本吉代表は相変わらず瓢々と、春の風のように現れた。 昨年はコレラ騒ぎで、直前になってPOHNPEI→CHUUKとスケジュール変更があったが、今年は順調なようだ。参加者はおじさんばかりだと思っていたら美人が二人。親子のような姉妹のような一一一一? 5月22日、相変わらずグァムで一泊。遅れて参加するという“どなた"からかお預かりしたトランクの重いこと。28キログラムあるという。中身は何?

グァムからCHUUKへ。昨年9月、B727からB737に機種変更、滑走路が短い上操縦士が慣れていないということで、着陸の仕方が荒っぽい。ドスンという衝撃と共に滑走路ギリギリまでいって翼は海上を横切る。昨年それで脚を折ったという修理中の機を横に見ながらPOHNPEI空港へ無事着陸。機を出ると熱の塊が地面から沸き上がってきた。やはりというか、とにかく暑い。機はこのあとMAJUROへ向かう。本吉代表の持ち込みの荷物が行方不明になった。「おかしいな」と言いながらモトさんは再び機内へ。しかし荷物はリフトでちやんと先に届いていた。今後全員でモトさんの忘れ物をチェツクすることで合意。

待つことしばし、クーラーの効かないくるまはソケースロックを右手にみながらサウスパークホテルに向かう。13時を少し過ぎた。ここで重量荷物から解放。
ホテルのレストランは海に面した高台にあり、正面にソケースロック、右に港が見え素晴らしい景色だ。昼食のメニューにちょっと驚いた。ざるそば、そうめん、冷や奴など日本食が多い。早速冷やしそうめんを注文する人も。後で聞いたのだが、ホテルの支配人やレストランの責任者が日本人でメニューもなかなか好評だそうだ。その夜PCRレストランで夕食。オーナーは硬式野球チームで活躍する日本人だ。お母さん、奥さんも昔からの友人のように気さくで感じがいい。私に限って言えば、日本語が通じることが何より嬉しかった。

昨夜モトさんと増村さんの相談で、今朝はカツオ釣りに連れていってくれることになった。9時、神戸水道局と書かれた水色のトラックが迎えにきてくれた。セブンデイズ・スクールのベンジャミン校長と娘のジェイジェイ、同校の技術担当のアマドール氏だ。アマドール氏には滞在中ずっとお世話になった。シャイで物静かな芸術家である。モトさんは明日お会いする予定のファルカム大統領、日本大使との連絡のため残ることになった。10分ほど離れた小さな桟橋から30馬力船外機を2機架けたボートで、レディ2人と男5人の計7人で海に乗り出した。環礁を抜けて外洋へ出ると、急にうねりが高くなる。 鳥山を探しながらスピードをあげていくのでボートは波頭を叩き荷物も人も飛び上がったり転げたり、おまけに波飛沫で全員びしょぬれ、誰かのカメラは船底のたまり水にチャボンだ。

約1時間、イカに似た派手な疑似餌を流して2フィートほどのカツオを2匹釣り上げた。泳ぎたい! というレディ2人のリクエストで環礁の浅いところへ舟を係留しておじさんたちも飛び込んだ。珊瑚礁と熱帯魚を十分堪能して、それぞれ船に上がったが一人だけ上がらず先ほど釣れたカツオよろしく、みんなに取り込まれた人もいた。(誰とは言わないが----。)

さすがみんな疲れたらしく、島に上陸して弁当を食べた後帰港、シャワー、昼寝。
その夜Mrアマドールと奥さんのジョシーさん(始め女史とばかり思っていた)が今日釣ったカツオを1匹まるごと刺身にして持ってきてくれた。炊き立ての御飯、すだち?、しょうが、醤油、デザートにケーキ、パパイヤまである。モトさんの部屋はたちまち宴会場となった。8時すぎその賑やかな炎に油を注ぐような人が現れる。PATSの副理事長・テリー氏だ。でかい躰を揺らしながら「イヤィヤヨー」 に始まり次々とメロデイーが出てくる。来年来るときには「カラオケセット」かギターをもってくることを誓った。

今日も朝から暑い。ドアを開けると熱気がドッと乱入してくる。男性はジャケットを、女性は正装でミクロネシア連邦の首都・パリキールにある大統領府へ向かう。途中ミクロネシア大学を見学。11時大統領に謁見。3月7日・京都・都ホテルで厳重な警戒の下でお会いしたことを思い出す。レデイ、2人が大統領のコメントをビデオに収める。広大な芝生の敷地に溶け込むように茶色い大屋根を拡げた民族風の執務室、議場等が点在し、ランの花が遊歩道を彩る。柵もなければガードマンもいない。子供たちが芝生の上で遊んでいる。

昼すぎ、28キログラムの荷物の主が名古屋経由で到着。15時、日本大使館を訪ねたが大使は留守。 夕刻から2匹目のカツオパーティ。カツオは現地でもカツオと言うらしい。(スキップジャックともいう)。レストランのチーフの工藤さんが刺身とたたきを作ってくれた。 8時すぎ、山崎臨時代理大使が来訪。以前宮内庁に勤務していたとか。気さくな人で10時すぎまで歓談する。
この夜やっと南十字星が見えた。

私達はポナペとかポンペイとか言ったりしているが、ドイツ統治時代(1899〜)から日本(1914〜)、国連のアメリカ信託統治(1947〜)を経て、1980年頃までポナペと呼ばれていた。州制度が制定された1984年に、昔の呼称ポンペイ(ポーンペイ)が復活された。因みに「ポンペイ」はポンペイ語で石造りの祭壇の上に、という意味だそうだ。

今日はいよいよメインイベント、PATS(Pohnpei Agriulture & Trade Schoo1・1965年創立)の卒業式だ。午前7時に朝食。やっぱり暑い。朝7時でも暑い。言うまいと思えど暑い。
ガタガタ道を40分ほど走ってPATSに到着。海に面した芝生広場の中央、モンキーポッドの大樹に寄り添うように建てられた講堂に作られたアーチは花やテープで飾られ、窓は棕櫚(しゅろ)で縁取られている。簡素で心のこもった卒業生へのお祝いであり、これからの人生への励ましである。入退場する中央通路はブーゲンビリアの花が撒かれ、ここは旅立ちの花道だ。農業科・機械科・建設科(建築・土木)合わせて37人、国内の島や町から選ばれて入学し4年間頑張った若者たちだ。

学生達が「威風堂堂」の曲に合わせて入場。その頃には会場は満員、外には立見も出る。
1時間30分程で式は終わった。大勢の人に囲まれ、余分なもののないすっきりとした卒業式だった。
今後、彼等は進学するにせよ就職するにせよもう一つハードルを越さねばならない。
わが本吉代表は理事として列席、なぜか目立っていた。

午後から古代巨石遺跡ナン・マドール(ナン・マトル)へ。
遺跡のあるチャムェン島にはボートで行くのが普通らしいが、干潮のため近くまで陸路をとり後は歩くことにした。湿地のジャングルを抜け、海へ出た途端、目の前に巨大な玄武岩の石積みが現れた。大小数メートルの柱状節理が井桁状に組み上げられ、日本の城の石垣のような反りもつけられている。高さは8メートルぐらい、一辺は60メートルくらいだろうか。ほかに小さいものも合わせると約70haの中に石積みの人工島が92あるという。

誰が何のために一一一一?これを見た人は誰しも思うことだろう。
調査では5世紀に最初の築造が始まり、11〜15世紀、シヤウテレウル王朝の頃に最盛期を迎えたと、考えられている。
何処から?、どんな方法で巨石を運んだのか?、92ある島の名前は?、何故此処なのか?、等疑問は限りなくあるが、言葉はあっても文字がないという近代までのポンペイ文化は、伝承があっても記録がない。資料は帰ってから調べることにして遺跡を後にした。

因みにNAN MADOLとはポンペイ語で、天と地の間の場所という意味だそうだ。
ここの見学者は年間1000人程で、そのうち日本人は300人位とのこと。
3時すぎ、ケプロイの滝へ寄ってPATSへ戻る。校長、副校長、モトさんと一緒に、全員がコスチガン神父の墓前にウイスキーを捧げPATSを後にした。途中、修道院へご挨拶してホテルヘ。
夕食はホテルの前、芝生広場で民族舞踊を見ながらのディナーとなった。ポリネシアダンスなどに混じって地元ミクロネシアの歌も披露された。子供たちの素人っぽい歌や踊りがおもしろく好感をもった支配人の大村さんは「地元のお年寄りに協力してもらって、もっとレパートリーを増やし子供たちに覚えてもらうつもりです」と話していた。

日焼け部分が痛くなってきた。「これも効くよ。」と出された老人性掻痒症の薬を塗っている人もいる。ま、この際何でも効くか?。

いよいよ今日は最終日だ。つまり5月27日。何曜日か判らないが、朝から暑い。5月から雨期に入るとのことだが、一瞬のシャワーのような雨のほかは、熱帯の空はカンカンに元気だ。早朝の小さな夕立?で湿度が高く(80%〜)余計に暑く感じる。年間降水量は5000ミリ位だそうで東京の3倍以上、島の中央山間部では8000〜10000ミリ以上と言われる。最高記録は1日に570ミリ、東京の年間降水量の3分の1が1日に降った。

朝食のとき、イオアニス家のエリーゼさんに会った。将来、FOMの拠点を作ろうという時の強力な助っ人だ。

昨夜レストランに置いてある四角いバケツで、初めてマングローブガニに対面した。黒い鉄板で武装した大型ガザミといえばいいか。小さな部屋にこいつと一緒に放り込まれたら眠れないだろうと思う。映画「スターウオーズ」に出てくるダース・ベイダーを連想した。

午後・レインボーツリー(幹にいろんな色がみられる)の並木を見た後、泳ぎ願望組と一緒にPCRレストランの専用桟橋からラングル島へ向かった。PCRのまさこさん(お母さんもお嫁さんも宇は違うがマサコさんなのだ)二人も一緒だ。

ラングル島には昔基地があり、1970年頃までグァムとの間を水上飛行機が飛んでいたという。
桟橋のまわりは遠浅の砂浜とサンゴの海が拡がり、ドイツからきたという父子がのんびりおよいでいた。折角道具をもってきたのだから一度は使いたい、というMr小森にお付き合いしてヤングマサコさんと魚釣りをしたが、釣れたのは小魚が数匹。近くに美しい砂浜があり現地の数家族が泳いでいたが、空き缶などが散乱、昨年のオサクラ島を思い出した。シャコ貝の養殖場をのぞいて泳ぎ組と一緒に島を離れる。

ベンジャミン氏のお招きで、夕食はセブンデイズ・スクールにある氏の自宅で、先生や子供達と一緒にいただくこととなった。さすがレストランには無い、現地料理がテーブルいっぱいに並んでいる。
パンの実、珍しい魚、刺身、ブタマン?、春巻き?、20種ほどの料理は、みるみる減っていった。
レディの一人・エリちゃんは床に座り込んで、子供たちと折り紙を始めた。増村さんは手品を始めた。 大人も子供ものぞき込む。手が触れる、目を見る何物にも代えがたい心が結ばれるひと時である。
私には通俗的な言葉しか浮かばないが、すこし涙腺が緩んでしまった。

ベンジャミン夫妻、アマドール夫妻をはじめみんなに礼を述べ、8時すぎ辞した。外は少し雨が降ったようだった。
荷物をまとめ、10時30分ホテルを出る。
マングローブガニの顔を見ることはできたが、ついに今回も食べることはできなかった。しかし諦めはしない。次の楽しみに取っておこう。

空港はすごいスコールに襲われていた、すぐ止んだがしばらくすると又くる。ロビーは見送りと出迎えの人であふれている。見覚えのある顔に挨拶をし、審査を経て出国ロビーで待つが、午前1時を過ぎても飛行機はこない。2時、C0959便はチュークを飛びたったものの、天候不良のためポンペイは着陸不能と判断しグァムヘ帰ったというアナウンスがながれた。こんな時間にどないしてくれんねん!しかしそこはモトさん、電光石火の手配、ホテルヘ帰って仮眠の段取りをつけてくれる。ああ地獄にホトケ、いや地獄にモトさん。

9時に飛行機がくるということで6時30分に起床。8時30分に空港。
10時になっても音沙汰無し。
グァムでこの便に接続する関西空港行きの便がないので、今夜はグァムで一泊、明朝7時の便で関空へと言われ、みんなパニックになってしまった。あす仕事、明後日仕事で香港へ、あすゴルフなどさま ざま。グァムヘ着いたらJALで東京、新幹線を乗り継いで今日中に帰る案も出た。 10時すぎ、やっと機の姿が見えた。みんなの険しい顔が少し緩んだ。

グァムに着いて、またまたモトさんの神通力が光を放った。コンチネンタル航空のミスズ・ディァス女史がJAL16時40分発関西空港行きの乗り継ぎに奮闘してくれたのだ。荷物のピックアップ・ホテルのキャンセルも確認してくれた。何かの関係でモトさんを知っていたのではないかと思う。今更ながら、ミクロネシアを愛し心からその行方を案じているモトさんの「人間」を知った。

アメリカの援助の縮小、生活基盤の整備、農業・漁業・観光資源の活用・海岸線の浸食・環境問題など、溢れるほどの課題を如何にしてこなしていくか、この国の人達は頭の痛いことだろう。私達は応援はできる。しかし実際に解決していくのはこの国の人達だ。
マングローブガニが食べられなくても、毎日暑くても、毎年来てみんなに逢いたいと思った。


”真佐子と英理子のハチャメチャポナペ日記”
荒牧真佐子・英理子(会員番号00173)

私達ハチャメチャ親子は、ミクロネシアはポナペ島に出かけました。
メンバーはリーダーの本吉さんをはじめ、増村さん、小森さん・河瀬さん・そして上川さんです。
道中は本当に楽しいものでした。行きの空港では、なんとメンバーの一人がバッグを忘れるというアクシデント。(飲みすぎなのよ!!)荷物のタグは無くなるし、夜の食事ではホントは仲良しサンなのに口論、ちょっと不安。

そんな不安は何のその、私達はポナペにつきました。空港は人でいっぱいでした。ポナペの人は見送りやお迎えを皆でするのです。あたりは暖かな優しい風が流れていました。

ホテルに着いた私達はびっくり、“なんて素敵なお部屋でしょう。"大きな椰子の木の前にコバルトの海が広がります。ひとしきり感動を味わった後、私達ハチャメチャ隊は、さっそく町へ繰り出しました。私の母は買物きちがいです。唯一の救いは、大きな買物をしないことです。小さな買物やかわいい小物を買いたがるのです。私はストッパーとしてついていかなければいけません。

町に出た私達は、ゆっくりとした時間を感じました。みんな和やかで笑顔が素敵です。母はお土産が見つからなくちょっと残念そうでしたが、バナナの木を見つけたり、豚の鳴き声を聞いたり、はしゃいでいました。
灼熱の太陽の下ではしゃいだ私達は、静かなポナペの夜を迎えました。

〈かっお釣り〉
二日目はかつお釣りでした。私は大きな魚を釣るのは初めてで、本当にどきどきしました。モーターボートにのり、気分はカウボーイのようです。小さな魚を追いかけて大きな魚がやってきます。空からは鳥たちが狙っています。そんな動物連鎖を目の前にして、ポナペだな----と感じるのも束の間、おじさんたちはもう釣ることで頭がいっぱい!鳥山にスッと近づいていきます。釣れた!!!かなり重い手応えです。皆でよいしょ!よいしょ!今夜のお魚はかつお2匹。
親友のアマドール&ジョシー夫妻が刺身を作ってくれました。幸せだな----。

おっと、ここで小さな笑い話を一つ。私達は途中で少し泳いだのですが、母もどうしても泳ぎたかったらしく、水着に着替えてドボーン。脚は怪我するし、シュノーケルはできないということで、船に上がろうとするけれど、これがまた3人がかりでも上がらない。やっと船に上がった母に皆さん一声に、「今日一番の重いかつおでした!」みなさんご迷惑をおかけしました。

〈大統領〉
私達はミクロネシアの大統領に会いにいきました。お忙しい人なのに私達に時間を割いて下さるなんて、これもかれもリーダーのおかげです。
小さくても大きくても大統領!私もどこかの国のファーストレディーになれないかしら?

〈卒業式〉
卒業式は快晴の青空のもとで行われました。凛とした顔立ちの卒業生たちが次々に入場してきます。ふと、自分の高校生の頃を思い出しました。帰り際にコスチガン神父のお墓参りをしました。私もあなたと握手がしたかったですと、ウイスキーと共にそっとメッセージを残しました。人生は長いようで短いものかもしれません、けれど残したものがすばらしいものであれば、きっと誰かが引き継いでくれるものなのですね。

〈ナンマドール〉
待ちに待った冒険の始まりです。ポナペの浦島伝説を信じている私達にとって、龍宮城を訪れるということはどんなにどきどきすることでしょう。
ジャングルの中をどんどん進んでいきます。見たこともない木や、背丈より高いタロイモもはえています。橋を渡ったそこには、なんと不思議な形の建物がありました。
日本のお城のようです。平べったい石の間に丸い小さな石がびっしりと埋められています。城壁の周りには水がたまっており、城の向こうは海でした。
私達はいろいろな推理をしながら進みました。(どう考えてもおかしいな??)

竜宮城を後にした私達は、ケプロイの滝に行きました。なんて、壮大な滝なんでしょう!神秘的でなにかが住んでいそうな気がしました。
「あっ!」気が付くと私の母は、なんともう泳いでいます。私も泳ぎたい!底が見えないので少し恐いのですが、思い切って泳いでみました。今考えると、よくあんなところで泳いだな----と思います。
滝壷で泳げるなんて考えてもみませんでした。私達はポカホンタスです。

〈カセレリアの夜〉
ホテルでの夜、ここでは毎週末踊りを披露してくれるようです。ハワイダンスのような踊りで、まるで上半身と下半身が別々のよう。かわいい子供たちが踊ってくれました。しっかりビデオを撮ったので私も来年はポナペダンスをしますよ。

<アイランド〉
今日私達は、小さなアイランドに行きました。シュノーケルリングをするためです。海の中を見た私は本当に感動しました。熱帯魚があんなに奇麗なものだなんて----タツノオトシゴにも会ったのですよ。地球には、本当にたくさんの世界があって、未知のものに遭遇するというのはなんと神々しいことですね。もう一度!ラッセンの世界へ飛び込んでみたいものです。

そんな楽しい楽しい私達のポナペの旅、夜はみんながご馳走を用意して下さり、郷土料理も食べられました。なかなか日本食に似ているのだなと、遠い国なのに不思議な感覚を抱きました。

帰りの空港では、見送りにきて下さり、本当に感激しました。人間本来のやさしさや、何か現代人が忘れていることを思い出すことができた旅でした。
私はミクロネシアでLIFEを見たような気がします。それはきっと大きな自然に包まれているからでしよう。
生気を感じるジヤングル・息を呑むような珊瑚礁そしてなにより暖かい人達に巡り会えたこと。旅は心に心地よい風を吹き込んでくれるものなのですね。

大人になると仕事しかやることがないって言う人がいるけれど、きっと人が生きているってことはもっと大きな喜びに満ちているものなのですね。それはボランテイアであったり、旅であったり、街角で出合ったり、いろんな場面で人は学んでいくのですね。

皆さんとご同行できて本当に楽しかった。夜のミーティングもためになりましたしね。

真佐子・英理子


FOM連絡先


フレンズ・オブ・ミクロネシア(F.O.M.)
〒651‐0011神戸市中央区下山手通2−13−10
聯合ビル4階
(株)モトズ・工ンタープライズ内
電話:078−332−3151 FAX:078−327−4818
E−Mail Address
fommoto@titan.ocn.ne.jp
代表
本吉 義宏


FOM's pageFOM's page PATS's pagePATS's page Home pageHome page


To Webmaster


Friends Of Micronesia/fom-net@amy.hi-ho.ne.jp