カセレリア 号外第23号

2001.1.24(From bulletin of NGO-FOM)
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  1. カセレリア23号(FOM代表挨拶)
  2. それは何処?から始まった河瀬敦忠
  3. 緑の海にあこがれて小森宰平
  4. 平成12年3月31日付 決算報告書

会員各位殿 カセレリア23号

今回のミクロネシア訪問旅行では、初めての出来事が重なり会報の完成が大巾に遅れたことを会員の皆様に、特に7月後半には原稿を戴いた同行の会員の方にお詫び申します。

まず、5月18日出発予定の一週間程前から、春先からの気候不順のせいか、私が体調を崩し、PATSのグレッグ神父(FR.GREGORY F.MUCKENHAUPT, S.J .DIRECTOR)から出発予定の3日前早朝電話でポナペ島にコレラ発生の連絡があった時には出発予定を先送りするかキャンセルするかの選択を迫られました。

しかし同行6人のうち3人が初めての旅であり、又、出発予定を変更した場合そのための各自の負担金がかなり大きくなることもあり行き先をポナペからトラックに変えました(私を含む古参会員4名の続けてヤップ訪問は予定通り)。

現地での行動記録は増村会員が、又、小森、河瀬新会員が此の会報に記述されており私からは割愛します。 帰国後2週間に亘り毎朝某クリニックで点滴をまじめに受け、おかげで体調はすっかり回復しました。ただそのあとすぐに事務所移転を決め、移転完了が先週末8月4日と云った具合で多忙を極めました。

新事務所は下記の通りあの大震災の前に居た所から50メートルも離れていません。神戸に来られたら今迄の北野町と違いJR三宮、元町駅から5〜6分で歩ける距離です。是非お立寄り下さい。

新住所:〒650-OO11神戸市中央区下山手通2丁目13番10号聯合ビル4階
新電話番号:(078)332-3154
新ファックス番号:(078)327-4818
潟cgズ・エンタープライズ内
今、FOMとしては各島の井戸の再生の問題、FOMの家建設など目標がありますが、FOM結成の引きがねとなったPATSの安定継続のために日本の外務省のODAの支援を受けることを最重要と位置づけています。御理解御協力を希っています。

FOM代表 本吉義宏

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それは何処?から始まった
河瀬敦忠

「世界地図貸して」
「地球儀やったらここにあるけど」
「大きすぎる、多分載っていないと思う。地図を一一」
息子の中学生時代の世界地図を探すのはけっこう時間のかかる仕事だった。ミクロネシアは簡単に見つかったがポナペがどんな島かの記述はない。日本軍とアメリカ軍が凄絶な戦いを繰り広げた南の島、という昔の記憶があるのみ。

そもそもフレンズ・オブ・ミクロネシアについて知ったのは3月初旬、某クルーズ船の試乗会で小森さんの紹介を戴いて上川庄二郎氏ご夫妻にお逢いしたことから始まった。今朝小笠原クルーズから帰って来たばかり、ノルウェーでのクルーズのこと、奥様の俳句のことなど、夕食の卓上の話題はつきなかった。

4月になって、小森さんからFOMでミクロネシアのポナペヘ行くそうなので頼んでおいた、と言う連絡を戴いた。それから冒頭の地図捜しになったのだ。ガイドブックの立ち読み、図書館での資料コピーより役に立ったのはFOMの会から送って戴いた資料だった。いかにも手作りの労作で、旅行途中で戴いたマップつき解説や星座表と共に旅の貴重品となった。

さて、出発は5月18日と決まったが一一一。3日前になってポナペでコレラが発生したようだ、行ったら帰れないか、帰った後1ヶ月ほど毎日検便があるらしい、行き先が変わるかも、との連絡が小森さんからはいった。

しばらくして「ヤップ島らしい」という自信のなさそうな電話のあと「トラック島」という電話がはいった。その前にヤップ島へいく、と友人に言ったら「おみやげは石の貨幣がいい」と宣わったのがいたので慌てて「行き先が違うので」と断りをいれる。

さて、5月18日(木)。
関西空港9時集合とのことだが一向に一行は現れない。イタリアの建築家レンゾ・ピアノがデザインした巨大な翼をおもわせる広い空間を行き交う人々に目を泳がせていること1時間、段々と心細くなってきたころ、ご両人の顔が見えた。皆様にご挨拶を済ませたあと小森さんに「ほかには」「大阪はこれだけ。東京からの参加者があるはず」。てっきり団体さんだと勝手に思い込んでいた訳だ。

ストローハットにラフなジャケツト、あまりパワーの無さそうなヒゲ、かなり個性の強いオジサンー一これが本吉代表から受けた私の第一印象(失礼!)だったが、後々どえらいパワーをあちこちで発揮、帰るころにはそのカリスマに脱帽、ミクロネシアで“モトサン!"と叫べば厄よけ免罪符になるのではないか?とさえ思えた。

はなしが前後した。
その日、グアムで一泊して乗り継ぎになった。訳の分からないカップル、厚底靴、ガングロ、ルーズソックスー一グアムの夜は魑魅魍魎の世界だった。それにしても蒸し暑い。

翌日早朝コンチネンタル航空でトラック諸島・モエン島へ。
生活路線だけあって機内はものすごい荷物を抱えた現地の人達でぎゅうぎゅうだ。みんな身体がでかい。体重と日焼け色で太刀打ちできるのは我がメンバーの中根クンひとりだ。

グアムから1時間40分程でモエン島へ着陸。強力な逆噴射で滑走路の端ギリギリで止まる。航空券の行き先はTRUK、ここはMOEN、そしてCHUUK、私はどこにいるのかよく判らないまま入国した。ついて行くのみ、である。

空港から20分ほどでバスはブルー・ラグーン・リゾートヘ着いた。 ヤシの林に囲まれた2階建の立派なコテージ風リゾートホテルである。とりあえず荷物を解きひとやすみだ。

昼食を摂りに、歩いて2分程のホテルのレストランヘ誘い合わせて出かける。驚いたことにメニューにヤキソバ、さしみ定食、ラーメンなどがありボリュームは日本の1.5倍くらいある。

食事の後、ご近所ウォッチングに。
ヤシ林、海岸のあちこちに旧日本軍の機関銃、プロペラ、エンジンなどが白く塗られ、苦い戦争のメモリーとして残されているのがコバルト色の海を胸詰まらせるものにしている。大人も子供も私たちをみると日本語で、「こんにちは」してくれることさえうれしさ底にすまなさを感じるのは思い過ごしだろうか。次の世代が此処へ来たとき何を感じるのか怖いような、せつないような一一。

夕食のあと缶ビールを買って部屋へ。バドワイザーと0Bビールがあるが縁起が悪いので0Bはやめてバドワイザーに。350o1・3.5ドル。グアムでは1ドルだったのに。

午前8時頃、船外機をつけたボートが1キロほど沖を東から西へ次々と走っていく。この島の通勤風景らしい。

今日のスケジュールは夏島へ。
Mrサイレンの案内で旧日本軍の墓碑銘へお参りしたあと、ダイビングスポットのある小さなラグーンヘ。Mrサイレンにはこの後島を離れるまでおせわになった。

ダイビング、魚釣りを楽しんだあと、午後からMrサイレンと現地のガイドに従ってジャングルの中を歩き始める。トラでも飛び出してきそうな雰囲気だったがミクロネシアに害獣はいないとのこと。

30分ほど歩いただろうか、むせかえるような熱帯林の中に忽然とコンクリートの廃墟が現れた。日本海軍の司令部と病院の跡だ。爆弾の直撃を受けたのだろう、天井に大穴があき、鉄筋が錆びて垂れ下がっている。炊事場、階段など当時のままだ。ふっと鉄兜にゲートル姿の日本兵が通路を横切っていったような錯覚にとらわれた。

すぐ近くに住む大家族に歓待された。本吉さん、上川さん、増村さん、鈴木さん、皆FOMの井戸の調査以来顔なじみのようだ。

スイカ、バナナ、ヤシの実などつぎつぎ運ばれてくる。家人も次々現れる。大人・子供24人まで数えたがとうとう判らなくなった。

私たちが果物を戴いてるあいだ、子供達は一切欲しそうなそぶりも見せず、しかし突然の訪問者には興味津々なのがおもしろかった。日本では失われたしつけがここでは生きていた。私たちがサヨナラを言って形ばかりの門を出て振り返ると、子供達は残ったスイカやバナナの周りに集まり、姉たちはあと片付けを始めていた。姉のひとり(美人だ)を中根クンの恋人に、とみんなで勧める。

ジャングルになってしまった飛行場跡を歩き、島の反対側へ出た。船着き場にいた子供達はひとなつっこい。ぞろぞろついてくるのに手を振って島を離れる。明日は1O時に集合、魚釣りの約束をしてMrサイレンと別れた。

さて、朝10時に船着き場へ集合した我々の前にMrサイレンは現れなかった。小森さんは待ち切れず竿を振っていたが釣れるのは地球ばかり。1時すぎ「マングローブガニとパンの実を手配していて」と言いながらMrサイレンがあらわれた。我々が海にいたので連絡がとれなかったらしい。

さてその釣りだが竿は2本、Mrサイレンと小森さん以外はすることなし。タップン〜トップンと揺れるボートの上は焦熱地獄、つきあいきれまへん、と竿なし組は近くのオサクラ島へ上陸した。

しかしこの美しい島にあがって驚いたのは空き缶とゴミである。現地の人達がボートにのって家族で泳ぎに来ている砂浜は、飲んだもの食べたものの後始末がさっぱり。ゴミ箱もない。

本吉代表が黙々と空き缶を拾い始めた。砂浜から少し離れた草地に積んでいく。われわれもはじめた。泳いでいた子供がひとつふたつと持って来はじめた。

その夜、本吉亭(実は本吉代表と上川さんの部屋)で論争があった。オサクラ島のみならず、道ばた、家の周囲に捨てられている空き缶の多さについてである。日本の轍を踏まないで欲しい、今なら間に合うのではないか、しかしそれぞれの国の事情がある一一島の環境を護るはなしで夜が更けた。

今日は朝から雨。しかし現地の人達は傘をささない。洗濯物もそのままだ。子供達は叫びながらスコールのなかを走り回っている。

空港近くの変な店ヘタクシーでビールを買いに出かけた。小森さん、中根クンも一緒だ。…パチンコの景品引き換え所のような窓がありそこでお金を払う。タバコ1本でも買える昔の闇屋のようなところだ。よく冷えたバドワイザー1ケース・36ドル。タクシーは一人6ドル。ついでにススムストアーによってインスタントラーメンと黒猫印の蚊取り線香を買う。

とうとう期待のマングローブガニは捕まえられなかったらしい。この夜は「蒸したパンの実のココナツツミルク和え」で夕食。Mrサイレンのご努力に感謝。Mrロバートも加わって本吉亭はにぎやかなパン・パーテイになった。中根クンのロマンスをなんとか実現しようということで全員一致、20年先までの生活設計ができあがったところで解散する。

残念だが今日は島を発たねばならない。午後4時まで時間があるのでMrサイレンのピックアップ・トラックに全員乗せてもらって街の中心部へ。すれ違うクルマの半分はナンバーがついていない。観光協会へ寄る。停電で何処も薄暗い。尋くと年間の観光客は約5400人、内訳はアメリカ・約2500人、日本・約1200人など。ダイビングが目的という。

FOMが寄贈した消防車とすれ違った。他にも文房具、柔道着など色々なものがFOMの努力でミクロネシアに送られているという。僅かな滞在ではあったが島の人達のホスピタリティの心は充分すぎるほど感じることができた。国家予算の4分の3はアメリカの援助だとか。来年からは日本が肩代わりするという話があるらしい。日本のゼネコン、観光業者が土足で踏み込んでくるのではないか、との想いが杞憂におわることを切に祈りたい。そのためにもFOMにはこれからもがんばってもらわねば一一思いっきりエ一ルをおくりたい。

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緑の海にあこがれて
小森宰平

神戸新聞社時代、長らく旅を担当、取材で行った与論島の濃緑薄緑の海の素晴らしさのとりこになった。昭和49年(1974)6月のことだ。与論島はその後、カニ族が大挙押し寄せたり、空港ができたりして俗化の一途をたどったらしく、海の美しさが人の口に上ることもなくなった。しかしあのとき以来・きれいな海に再びめぐり合うことが意識の底に住み着いて、各地の海を訪れるときの、美しさを計る物差しになったが、どこへ行ってもあの海を越えなかった。

FOMの上川庄二郎さんとは新聞記者時代からおつき合いがあって、何度か旅もご一緒、北欧などを訪れられたあとの写真展にも度々お招き頂いていた。咋年(1999年)神戸にミクロネシア大使夫妻を招いての「タロイモ試食パーティー」があり、そこへも上川ルートで招かれ夫婦で出席し、初めてフレンズ・オブ・ミクロネシアのことを知った。その会の終わりに挨拶スピーチを乞われて「かつて訪れた与論島のようなきれいな海に憧れ続けている」と話したところ、本吉さんがそばへ来られ「それならぜひミクロネシアヘ。それも海が一番美しいポナペがいい」と言われ、以来、緑の海一ミクロネシアーポナペが意識の表に浮上してきた。

2000年、上川さんから、5月にポナペでの高校卒業式列席の恒例のツアーがあることを知らされ、同じ旅行ペンクラブ仲間の河瀬さんと即、参加を決めた。「緑の海に出会える一」。ところが3日後出発というときになって「現地にコレラが発生。空港に足止めを食う恐れもある」という情報の入ったことが知らされた。本吉さんから「どうします?」みたいな問われ方だったが、荷物はすでにバッグの中。「ミクロネシアならどこでもいいですよ」と無責任に答えたら、行き先がトラック群島に変わった。

トラック群島といえば、あの戦争末期、新聞で連日のように報じられたのを見た記憶、がある程度。乏しい資料で調べると、とてつもなく広いラグーン(環礁)に抱かれた無数の島とリーフ。「ポナペはまたの機会に回し、今回はトラック結構結構」。

さて、グアムで“南洋の都会"をちらっと見て、翌日、今度は“南洋の田舎"一トラック(チュック、またはチュークというらしい。事前に調べた世界地図にはトラック群島はあったがトラック島はなく、空港のある島はモエン島というらしく、初心者にはなかなかむずかしい)空港へ。つんのめり、前のシートで体を支えるほどの逆噴射急ブレーキに何事かと窓の外を見たら、滑走路はもう終点行き止まりの海辺ぎりぎり、飛行機が大急ぎでUターンしたら翼が海の上に弧を描いた。のちほど、珊瑚礁を損うなど自然破壊問題があって滑走路の延伸ができない。だから大型ジェット機が就航できぬため、日本からそれぞれの島へは直接行けず、みんなグアム発着になると聞いたが、行きも帰りも必ずグアムで1泊するのは何やら業界の陰謀に思えた。

チュック空港の第一印象は、初めて俗化しない南の国へ来たという思いだった。これまでインドネシアやアジアほかへいろいろ旅したが、どことも空港に降りた客が日本人と見るや、物乞い、物売りの大人、子供が群がり、つきまとい、戸惑うより腹が立つことが多かった。それがここでは、ない。それどころか、大人も子供も、一番多かったのは少女たちが、明るく「こんにちは」と呼び掛けてくるつつましやかな歓迎で、この一事だけでミクロネシアすべてを計るわけにはいかないが、第一歩から好ましい印象を持った。

空港からホテルまでの20分ほどをホテルの車で未舗装の白い道路をドライブ。行きかう車の大半はナンバープレートがない。道ばたの家屋は、平家か、よくて二階建てだが、なぜか建築途中で投げ出したままの未完成建物が目立つ。ヤシの木陰には、働きもせずただじっと座る若い男たちが、あっちにもこっちにも。何でもっと働らかんのやろと、滞在中ずっと思い続けた。

宿泊したホテルは、ヤシの林の中に建つ緑色の二階建てのコテージ。これぞリゾート地の趣きで、部屋の前は待望の緑の海。左右に島がいっぱい見える。持っていった磁石を、同行の増村和門さんがくださった資料地図に乗せると、今いるモエン島は日本軍がいたころ春島と名づけた島で、目の前(南)は左から夏島、秋島、楓島、前島で、日曜島、月曜島、火曜島から土曜島まで一週間の島もそろっている。

そして夏島には第二次世界大戦のとき、山本五十六大将率いる南太平洋連合艦隊司令部があり、二日後に連れて行ってもらった島めぐりで上陸、司令部や海軍病院、防空壕跡を訪ね心の中で頭を下げた。

旅行バッグに、伸び縮みする釣りザオ2本を忍ばせて行ったので、時間にゆとりができたときは、擬似餌で投げてみたが、ここの魚は擬似餌を知らぬらしく一向に関心を示さない。夏島でランチボックスの昼食をとったとき、水浴び組に、ツノがいっぱい出た貝を拾ってもらい、石で割って身を取り出し、ちぎってエサにしたら、河瀬さんのサオの方に何やら派手派手の魚が掛かった。余談だが、無理してたたき割った貝は、のちほどホテルの売店で4ドルで売っているのを見てホゾをかんだ。

魚釣りはモエン島滞在3日目に、お役人OBのサイレンさんに船で20分ほど走ったオサクラ島という無人島そばに連れて行ってもらい、サイレンさん苦労によるイカの切り身で探り釣り。やたらとリーフを釣ったが、今度は同じ派手派手ながら、27〜28センチと大きめの歯の鋭い魚を5匹釣った。あとで図鑑でベラの一種と知った。船で釣っていたのは僕とサイレンさんだけで、みんなは目の前の白砂青ヤシの無人島に上がって海水浴。ボートで来ていた数組大勢の地元ファミリー海水浴客たちと交歓したらしいが、彼らの、持ち込んだアルミ缶をぽいぽい投棄するマナーの悪さにみんな憤慨しきって船に戻ってきた。

アルミ缶などの不法投棄は、モエン島でも随分気になった。ホテル前の水際のヤシの根が缶を抱き込んでいるのも見た。ミクロネシアの島々が今後ともこの美しさを保って輝きつづけるには、住民が排水処理、海の汚染防止、自然破壊の害に目覚めることが何よりも必要で、日本ではすでに大半を失った無念を今さらのように思った。

今回の旅の期待は、緑の海ではあったが、ほかに、咋年の神戸でのタロイモ試食パーティーで知った、パンの実を食べることにもあった。それで到着以来「パンの実、ブレッドフルーツ」と唱え続け、これもサイレンさんの努力で、滞在終盤になってホテルにどっさり届いて、夕食返上のパンの実パーティーとなった。サツマイモと里芋の合いの子のような味で、パイナップルの実ほどに大きい。これを蒸しイモにしたのと、蒸してココナッツミルクを掛けたものとがあり、初体験の味覚にむさぼり食った。が、次第に食い過ぎ症候群に…。期待の三番目は南十字星をあおぎ見ることで、上川さんが同日時の天体図まで用意してくれていたが、夜になると雲が出てついに見られず。また、現地へ行ってから「マングローブガニは最高の味」と聞きずっと生つばを飲み続けたが、カニが捕まらず持ち越し。南十字星にマングローブガニ…意識の底の期待はさらに広がった。

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FOM連絡先

フレンズ・オブ・ミクロネシア(F.O.M.)
〒651‐0011神戸市中央区下山手通2−13−10
聯合ビル4階
(株)モトズ・工ンタープライズ内
電話:078−332−3151 FAX:078−327−4818
E-Mail address:MOTOSENT@po.infosphere.or.jp
代表:本吉 義宏

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