カセレリア 号外第22号

2001.1.24(From bulletin of NGO-FOM)
Visitors to this page since Apr./14/2001

  1. カセレリア22号(FOM代表挨拶)
  2. ”パンの実”騒動記上川庄二郎(会員番号00653)
  3. エルニーニョによる水不足現場を歩いて一報告のまとめ川合千代子氏(会員番号00713)
  4. FOMの今後の活動の課題増村和門(会員番号00637)
  5. ミクロネシアのメディア(テレビ等)の発展に協力して辻真一(会員番号00645)

会員各位殿 カセレリア22号

此の新年(平成12年)は紀元2000年、西暦20世紀の最後の年であるだけではなくFOMの事務局の所在する神戸市を襲い多くの人の尊い生命を奪い、生活を一瞬のうちに破壊し去ったあの大震災から丸5年の年月が経過した年でもあります。震災後の5年間については、あらゆるメディアが報じていますので繰り返して述べる事はありませんが、会員の皆様の御協力と御激励のおかげで私達の活動が一度も途切れる事も無く継続して来られた事が今では信じられない思いです。

今年も数多くの会員の方々から、北は北海道から南は沖縄まで、心暖まる年賀状をいただきました。ここに改めて新春を迎えたお慶びを申し上げるとともに、お独りお独りに当方からの賀状を出せず失礼した事をお詫び申します。新年の御健康を心より祈ります。

カセレリア号外第21号、1999年8月21日以降の活動については会員の川合、上川、増村、辻の各氏からの詳しいレポートをいただきましたのでここに掲載いたします。これに関しての皆様の御意見は事務局の方にお聞かせ下さい。

5月後半にポナペ訪問を例年のようにPATS卒業式に合わせて致します。期間は出発から帰国迄約1週間ですが、正確な日時、必要な経費についてはコンチネンタル航空のスケジュールがこれから変更される可能性があり未定ですが、同行御希望の方は事務局までおハガキなどで御連絡下されば決定次第その内容を御通知いたします。

尚、諸問題に関するODA(海外開発協力:政府開発援助)との話し合いは東京のミクロネシア連邦大使館のアリック大使、フリッツ公使と相談しながら進めてまいります。

次回には進行した内容をお知らせ出来ると思います。

FOM代表 本吉義宏

トップへ


”パンの実”騒動記 上川庄二郎(会員番号00653)

昨年夏(1999.5.18〜23)、本吉代表のお誘いでポナペ農工高校(PATS)の卒業式に参列する機会に恵まれた。

私は、すでに何回かポナペには訪れているしまた、高等学校の同級生である中松(旧姓・増田〉さんが、ご主人の定年後この島にボランティアとして永住していることもある。 そんなことで、チュークでひと仕事してからポナペに来ることになっている本吉代表の到着するまでの間、今回初めてポナぺを訪ねる人たちのお世話役も仰せつかって、ポナペに先行することになった。そこでは、はるばる札幌からの齋藤さん、野口さんや山形からの工藤さんといった大先輩の方々と2〜3日島で過ごすことになった。

島では、先輩方の所望で早速中松さんや現地駐在の辻真一会員に案内してもらい、戦争中兵役で過ごされた頃の現地に赴くことになり私もお供した。亡くなられた戦友にテープのお経を流し線香をあげられる姿に過ぎし日の太平洋戦争の爪痕の深さを改めて思い知らされた一幕だった。

チュークから本吉代表と増村さんが到着して私の肩の荷は降り、早速PATSの卒業式に参列することになった。私はこの島の学校の卒業式とはどんな形で行われるのか非常な関心を持って参列させていただいた。会員の皆さんには改めて申し上げるまでもないことだが、故コスティガン神父の意志を受け継いで島の青年たちが巣立ってゆく晴れ姿を見たとき、涙がこみあげんぱかりの感動を覚えたのを今も忘れることができない。

さて、卒業式参列の後は、お決まりのコース・KITI村の酋長であり、地裁の判事でもあるVALLERIO IOANISさんの歓迎昼食会である。VALLERI0 IOANISさんのお父さんと本吉代表は兄弟の契りをした仲で、そのお父さん亡き後の酋長であるVALLERIO I0ANISさんは言わば親子関係といってもよい。

大変盛大な歓迎を受け、例によって島の女性手作りのMwaramwar(マラマー)を被せてもらってのSAKAU Ceremony(シャカオの儀〉が済んだ後、早速に集会所でこれまた村の女性たち手作りの海の幸・山の幸の料理に舌鼓を打つ。若者たちは、外の小屋で石焼き芋ならぬ石焼きパンの実や子豚の丸焼きを作って“バナナの葉っぱに乗っけて持ってきてくれる。

このとき食べた石焼きのパンの実の美味しかったこと美味しかったこと。早速本吉代表に頼んで焼き立てのパンの実をもらってもらい、帰りのお土産に持ち帰ることにした。

焼き立てから丸24時間後、わが家に帰り着きレンジで温めて女房と食したところ、現地での焼き立ての味には適わないものの大変に美味である。

こんな美味しいものを独り占めしてはいけないと、お向かいで耳鼻科を開業なさっていて私のホームドクターでもある古閑先生にお裾分けを持ってゆく。先生は、所属するロータリー倶楽部を通じて、PATSに実習用の耕運用トラクターを寄贈してくださたった仲間の一人であるだけに、一層喜んでくださった。

こんなことが切っ掛けで、「より、食文化を通じてもっとミクロネシアを理解してもらうことを考えよう」と思い立った。と、ここまでは良かったのだが、犬も歩けば棒に当るというが後が大変なことになったのだから世の中面白い。

折も折、私の所属する兵庫倶楽部写友会の写真展を9月下旬に開催するので作品を、という通知が舞い込んだ。したり!とばかりに、5月に訪れたミクロネシアの写真を出すこととした。

一方、ミクロネシアの日本駐在大使が交代してからまだ一度も神戸に来ていただいていないこともあって、本吉代表に、ここはひとつ新大使に神戸に来てもらい、私の写真を出汁に歓迎会をしようじゃありませんか、と持ちかけた。そしてことのついでに、「現地から”パンの実”を取り寄せ、集まった皆さんに食してもらい、食文化を通じて交流の輪を広げましょうよ」とけしかけた。

本吉代表もその気になって、”パンの実”を現地からどうして取り寄せるか大使館にかけ合うなど真剣に取り組んでくださった。しかし、残念ながら、”パンの実”は、日本では植物検疫の関係で輸入禁止品日にあがっていて、関西空港でももちろん取り扱ってくれないことが分かった。

やはり駄目か。一と半ば諦めかけていたところ、本吉代表からいい話が返ってきた。それは、沖縄にも”パンの実”があるらしい、ということだった。ただ、一般の商業ルートにのって流通しているものではなく、個人の庭などにあるものしかなさそうだ。何か手づるがあれば探してみるといいのだが、というものだった。

藁をもすがる、という言葉があるが、この時は一瞬、何とかなりそう!と直感した。とるものとらず、私の畏友である石田穣一元東京高裁長官に電話をし訳を話したところ、「早速に調べてみてお返事しましょう。うまく有ればいいですね」と二つ返事で請け合ってくださった。先生は、以前の沖縄地裁所長時代からご当地の文化・風土にぞっこん惚れ込まれ、定年退官後夫人とご一緒に沖縄に移り住まれた。そればかりか地元の大学で沖縄文化論を講じておられるという、ユニークな法曹人である。

朗報来る。ものの2時間としないうちに電話が返ってきて、「上川さん、喜んでください。有りましたよ!」ということである。正に正夢とはこのことなり、と小躍りした。

早速、石田先生ご紹介の沖縄の東南楽園植物園で学芸員をしておられる前田さんに電話をすると、「今沢山成っいてます。今が収穫期ですが、こちらでは特に食べることなどありませんからこれまで採ったことがありません。明日でも、早速採ってみましょう。10〜15個ぐらいならいいでしょう。来週早々にでも冷凍してお送りしましょう。実費はいただきますがよろしいですか」と言う返事。小躍りする!とはこんなときのことを言うのじゃないか、と思う反面、ほんとに正夢かと耳を疑ぐったりもした。

さあ、来週が楽しみだ。会場に予定しているホテルのコック長にお願いして、石焼き風に“パンの実”を調理してくれるように頼んだりと大忙しである。

ところが、次の週になって、待てと暮らせど一向に”パンの実”が送られてこないではないか。やきもきしていると一通のファックスが手元に届いた。

「残念ですが、少し収穫期が過ぎていたようで、全部虫が入っていて食べられません。お約束しましたが、また来年でも考えましょう」

ガクッ。一瞬身体がしなしなとなる思い。本吉代表に「仕方ないやん。今回は諦めてまた来年にしよう」と励まされて電話を切った。

とにかく、新大使は予定通り神戸に来てくださることだけは決まったが何とも寂しい限りである。ところが、捨てる神あれば救う神あり。私の気持ちが新大使に伝わったのか、”パンの実”の代わりに新大使の出身地・コスラエの”たろ芋”を大使館から持ってゆき、大使自らが調理してコスラエのたろ芋料理をみなさんに振る舞おうと仰ってくださった。このときは、本当に涙がでそうなほど嬉しかったのを思い出す。

さて”パンの実”が”たろ芋”に代わったけれども、現地の食文化を紹介できることに変わりはない。神戸生活指導研究会のみなさんにも、どうぞ”パンの実”を試食に来てください、と言っていたのに取り消したばかり。ここは勇気を出して、もう一度“たろ芋”でと、案内し直した。喜んで出席するとの返事をいただいて、ホッと一安心。

そんなこんなのどたばた騒ぎをして、9月25日当日を迎えることと相成った。ALICK L.ALICK新大使、SHRA L.ALICK新大使夫人、お馴染みのJOHN FRIZZ公使、それに、JOHN FRIZZ氏の後任のRENSTER T.ANDREW一等書記官の4人が勢揃いでお出でくださった。写友会のみなさんに出迎えてもらって、先ずは、写真展会場へ。

挨拶もそこそこに、一行はホテルに直行だ。何せ、自らが調理して召し上がってもらう、と宣言されたのだから約束を実行しなければならない。

4人の一行はホテルの調理場に入り、夫人は、ソース(我々流に言えば、たれ)作りに忙しい。時間が迫ってくるが、なかなか作業は捗らない。芋を蒸して皮を剥くまではホテルのコックさんに手伝ってもらい、その芋を餅を搗くような仕種で石の杵で搗く。

搗き上がった餅を、子どもたちが面白がって丸めるように、神戸生活指導研究会のみなさん方が手伝いはじめた。すると他の女性たちも集まってきて我も我もと手伝った。出来上がった団子のような”たろ芋ケーキ”に夫人手製の”たれ”をかけてでき上がり。

新大使一行の歓迎パーティが始まる頃には、70人ばかり集まった会場の雰囲気は見事にミクロネシア一色、集まったみなさんの気分も最高にミクロネシア。

各々のテープルに配られた”たろ芋ケーキ”は、口にほうばってみると、ココナッツの香り豊かな腰のある餅のような団子のような”たろ芋ケーキ”。いただいたみんなの評判は上々。ますますミクロネシア一色。

この間、神戸の女傑・村上和子女史の名司会、私の友人・藤原英子さんとフレンズ・オブ・ミクロネシアの会員・藤田朗子さんの通訳と役者に事欠かず、楽しい会もあっという間に時間が経過してお開きとなった。

こんな形で交流の輪が広がれば、ボランティアももっと楽しくなるはず。来年こそは、”パンの実”で!と思いを新たに今原稿を書いている。

トップへ


エルニーニョによる水不足現場を歩いて一報告のまとめ
川合千代子氏(会員番号00713)

  1. 『水がきれいなら島も豊かに』

  2. 私とNG0の出会いは、いつも突拍子もなくやってきます。学も語学もないけど、縁あって井戸屋に嫁ぎ、より良き地下水を提供するため、自然に語りかけ、地下水の気持ちを察しながら仕事を進めてゆくうちに、どのあたりにどれ位の水量が、どちらへ向いて流れてゆきたがっているか、だいたい分かるようになってきました。同じ地球上、日本の風土もミクロネシア、オセアニアも水と緑、岩、表土、極端に変わるものではありません。人間も動物・植物も良き水を求めて群がります。『水がきれいなら島も豊かになります。』

  3. 島の現状が見たい

  4. さて、ミクロネシア連邦とのかかわりは、大阪の機械商社の方が、現地へ持ち込み用の井戸堀り機械の見積と、どのような物かを調べに、大垣の機械メーカーへ来られた事から始まります。海外ボランティア経験のある私どもに、相談がかかりました。

    先ず、依頼先である神戸のフレンズ・オブ・ミクロネシア事務所で、エルニーニョ現象による水不足で、大変困っている現状を知りました。説明を聞いているうちに、井戸堀り機械を搬入することより、現地ではどのような機械が向く地層で、今までの飲料水確保はどのような方法で行われてきているか、様子が知りたいと…、早速、ポンペイ行きが決定。

  5. 現地を知る

  6. ミクロネシア連邦は通常、台風の発生地といわれ、水は大変豊富で、洪水による被害のため、家が押し流されたり、台風の荒波に呑まれて、水との闘いの歴史が繰り返されてきました。住民にとってまさか、思いもかけずエルニーニョ現象が起きるなんて、野山は枯れ果て、火災が各所で発生し、動物も植物も困惑し、危機に瀕しました。だが、10数年前にも、これに似た軽い現象は、おきていたようです。

    現地は一昨年暮れから2月にかけて、ほとんど雨が降らない異常気象でした。でも、私たちが訪れた5月のポンペイは緑が蘇り、日本の中古車が随分目につき、神戸市水道局から震災後、ご用済みになり寄贈されてきた、消防自動車等も何台か日につきます。消防タンク車は渇水時に水運搬に使われ、再度大活躍しました。渇水はとうの昔にどこかへ行ってしまったかのように、のどかな風景です。

    渇水時に追加確保された雨水タンク、飲料水はこれを煮沸して利用しますが、天からのお恵みがなければ、何ともなりません。

  7. 風土に適した井戸堀り方法

  8. ポンペイにおいては、緊急予算で購入済みの中古ロータリーマシンがあり、やはり、日本から機械を持ち込む必要がない事を確認。この地は表土は鉄分が多いので水質が悪く、巨石文明ナン・マドール遺跡に存在する玄武岩のごとく、堅い岩盤がその下に有って、所々亀裂がある隙間を流れる地下水を探りながら、ロータリーマシンで掘削する方法が適していると思います。

    さて、次なる地チューク州やヤップ州は1回日の調査では、皆さんと同行することが出来ませんでした。何せ、主婦業・井戸堀り家業・研究活動も現役中でございますから、精々1週間の休暇がやっとこさ。でも、ヤップの地を訪れたFOM会員は驚きました。5月末時点では、まだエルニーニョ現象が残っていたのです。会員も水の無いしんどさが、いかに大変なものか、実体験。その後、訪問した際に、州政府いわく、非常時に海水の淡水化装置を、やむなく1週間稼働したが、コストがかかり過ぎて、や〜めた、とのこと。

    ポンペイ州とヤップ州政府には現地の賢い美女に惚れて、永住権を獲得した、優秀な技術者がそれぞれにおられます。アメリカ軍駐屯時代に、水源調査のコンサルティングされた貴重な資料も残されていました。そして、彼らはインターネットを楽々使いこなすことが出来、ノウハウを得ることもできるのです。ですから、機械掘削においては、私ども日本の出る幕はなく、優秀なものです。但し、部品や材料の資金源が乏しく、援助を待っておられます。

    そこで、私の役目は日本の統治時代をべ一スに考えてみることにしました。実は私が初めてポンペイを訪れた際に、PATSの高校にて、渇水で使えなくなった井戸の回復方法を助言していたのが、本吉代表の脳裏に残り、チュークで日本式手堀り井戸を見られた時、井戸掃除をして使ってみたらとアドバイス。次に私も訪れた時、その井戸からきれいな水が小型ポンプを利用して配管され、大いに役立っていました。近辺には、使えそうな井戸が他にもあり、何ヶ所かの防空壕には、冷たい地下水もあります。そこで、この水も渇水時には、農業用に利用することをすすめました。ここはかつて日本軍航空部隊の駐屯地でありました。滑走路のコンクリートや、飛行機の残骸、使用されている爆撃で傾いたコンクリート製の水タンク、つい最近戦争があったかのごとく…。

  9. 現地人の明るい意欲

  10. 今年5月、3回目の訪問をするにあたって、効率良く現地調査が出来るように、事前に日本式井戸がどこに存在するかチューク政府側に頼んでおきましたところ、何と百数十ヶ所も候補地があがってきました。そこで、42ヶ所存在する夏島より調査開始。モエン島より政府の船で渡り、ポリスカーでジャングルを荷台からおっこちそうになりながら次々と移動、おやつはバナナ、パパイヤの取りたてが、う〜ん…この味が疲れを癒してくれる。

    順次、リストを片手に井戸の深さ、濁度、写真記録をとりながら、途中スコールでカメラがストをおこしたり、とにかくよく動きました。本吉代表が長年東南アジアを歩いているけど、こんなに現地人が働くのを初めてだというほどに。それは良い水を求めて、住民側の関心度がもろに伝わってくるせいで、夏島の申請のあった池を全部調べないと、役所担当者が殺されそうなほどの熱意が伝わって きました。

    最初、何から手をつけて良いか分からない手探り状態でしたが、在住する日本人U世V世との会談により、確信がもてるようになりました。かつて、日本の江戸時代の絵図にも見られるように、手堀り井戸は定期的に井戸さらいといって、お掃除をしていたものです。現地でも、U世の方には言い伝えられているのですが、「今の若い者は、なまかわになってやってくれない」。従って、水は澱んでいる。うまく使われてきた井戸で、上流部の条件もよい所は洗濯物がきれい。

    水深は2〜4mで、海岸近くでも、1.5m位までは淡水が確保可能です。この事はミクロネシアのみならずオセアニア各地に存在する珊瑚礁の島々においても、日本式石組手堀り井戸ならば水源確保が可能で、逆にロータリーマシンでは不可能である事が確認できました。ただし、表流水が流れ込まないようにコンクリートで立ち上げたり、枯れ葉が井戸内に入らないようにカバーは必要です。

    すでに井戸底に溜まった屁泥は人力で排除するのは不可能なため、政府担当者に一わたり作業していただくため、帰国後早速、軽油発電機と汚泥用水中ポンプを手配し、寄付させて頂きました。最後に苦労を共にした政府担当官の方々より、素敵な生花のレイを受け取り、ほっと笑顔の別れ。

    州政府のあるモエン島は戦時中、南洋諸島へ向けての重要な飲料水補給地でもありました。当時利用された浄化貯水池は立派な物です。州にロータリーマシンを持たないこの地は、彼らによってきれいな水の復元と共に、アメリカ支援がきれても、イキイキと自立に向かって進み始めるものと楽しみにしています。この間、空港もホテルも知事さんの顔も、随分明るくなり、お手伝いして良かったと私自信、とても心豊になりました。

トップへ


FOMの今後の活動の課題
増村和門(会員番号00637)

ミクロネシア連邦は、第2次世界大戦終了後アメリカの信託統治を受け、アメリカの文化と共に大量の生活消費物資が流入してきました。島民は、古来から守ってきた自給自足の原則を忘れアメリカ式消費経済の中に身を委ねてしまったような感がします。

コロニアには大型スーパーマーケットが乱立し、電化製品・日用品は勿論冷凍食品・瓶缶詰食品・インスタント食品に至る迄陳列されています。日本のスーパーマーケットと比べても決して見劣りしません。

島民は、米やパンを主食にしてマーケットで売られている副食品を購入し大量に消費しています。それらは全てアメリカ・オーストラリアをはじめアジア諸国からの輸入品なのです。

こんな現状ではいけないと反省し、タロイモを主食に島内周辺で採れる農産物・海産物を副食とする古来から守ってきた自給自足の生活に戻ろうと考える有識者や古老の人達が現れてきているようですが、一度憶えた便利な生活から脱却するのはかなり困難だと思います。

1990年独立後、ミクロネシア連邦は大統領を中心に4つの州が合議の上国家予算を編成し完全自立を目指し努力されてきましたが、2001年でアメリカからの補助金が打ち切られます。その後は連邦独自で国家予算を編成しなければなりません。その為には財源が必要です。諸外国のように、外貨獲得の為の地下資源も少なく、輸出可能な農産物も工業生産品も限りがあります。早急に外貨獲得の手だてが必須です。

思い起こせば1947年ポナペ島に来島されたコスチガン神父は島民の貧しさと実態を知り、「現状を解消するには島の実態に則した産業を育成しなければならない。その為にミクロネシア全地域から優秀な若者を集め、農業・工業・建築業等の技術者を育成すれば、彼等が各島で地場産業を育てる指導者になってくれるだろう。」と考えられました。

こんな崇高な理念で1954年に「ポナペ農業工業学校」(PATS)が設立された事は皆さんも十分ご存知と思います。本吉代表もコスチガン神父の考えに共鳴されてPATSの教育費援助活動を続けられると同時に、1988年に私達の「フレンズ・オブ・ミクロネシア」(FOM)を設立されたのです。

PATSで指導を受け確かな技術を習得して各島々に戻った若者達は習得した技術で各島の産業育成に努力している事と思います。私達もチュック島やヤップ島を訪問した時、学校の教師として指導をしていたり、建築現場で設計を担当したり、現場監督をしている卒業生によく出会いました。

しかしながら、過去45年間で卒業していった若者が、コスチガン神父の願っていた地場産業育成に役立っているかどうか疑問です。アメリカをはじめ諸外国の政府機関や日本のODAやNG0がかなりの援助活動を続けてきましたが、今後私達「FOM」の活動もミクロネシア国内の産業を発展させる為の環境整備を支援したり人材派遣に協力したりする活動が必要となってくると思います。

ミクロネシア連邦の各島々を訪問して、いろいろな実態に出会いましたが、産業の発展育成の為の課題となる事をいくつか述べてみたいと思います。

  1. 特産物の育成

  2. 熱帯地域の国々は、熱帯特有の農作物や果実を世界市場に出荷しています。今後ミクロネシア連邦が他国に劣らない農作物を出荷するには、品質改良した作物を作り出す以外無いと思います。先進国から優秀な技術者を招へいし、国営の研究機関で研究し、品質向上と多収穫化を計る事が大切です。特にミクロネシアの「こしょう」は古くから品質が良いと評価されています。これを一層改良して国家のプロジェクトとして生産してはどうでしょう。更に実を加工して販売すれば、より商品価値も高まるでしょう。パパイヤ・マンゴー等南国特有の果物等も正しく品質管理して計画栽培すれば、他国に劣らぬ生産物となる可能性があります。

  3. 第2次産業を起こす

  4. 島内での加工品といえば、観光用の木彫や壁掛け程度であり、また島内での伝統的衣服の縫製販売しているぐらいです。

    島の女性は草の葉や樹皮を利用していろいろな生活用品や装飾品を作り出し、大変手先が器用です。

    過去日本でも官営織物工場から軽工業が全国に広まった歴史があり、最近では日本の縫製会社が安価な労働力を活用してベトナムに進出し成功しています。ミクロネシアの女性に計画的に縫製や刺しゅうの指導をすれば将来有望な産業として発展する可能性があります。

    また彫型が得意な男性には、木彫も重要ですが、夜光貝等を加工したアクセサリーを定量生産すれば、高収入が得られる輸出品となるでしょう。

  5. 観光事業の充実と環境整備に努める

  6. ミクロネシア連邦の場合、外貨獲得の最も有力な方法は大勢の観光客を招致することでしょう。グアム島・サイパン島では、年間300万人もの観光客が訪れていると聞きます。グアム島だけで一日平均5000人程です。石貨で有名なヤップ島に一年間に訪れる観光客は約5000人程です。どうしてこれだけの差が生じてるのでしょうか。以下いくつかの問題点と今後の課題を挙げてみます。

    1. 交通の便を良くすること

    2. 近隣諸国からは出発したらその日のうちに日的地に到着できるように交通網を整備する。観光客が増えてきたら直行便を出すとか一日の増便を計る等の工夫をする。(航空会杜との折衝)

    3. ホテルの増設・増築・改築を推進する

    4. グアム島のように一日に約5000人程が来島しても宿泊できないのが現状です。まずホテルを新築したり、部屋数を増やすことが大切です。

    5. 観光箇所の政府に依る管理。

    6. 観光地のほとんどが私有地にあり、事情を知らない観光客と地主のトラブルも多いと聞きます。政府の観光局の方で地主と話し合い一括して観光局が管理運営すればよいと思います。また観光案内のパンフレットを作成し諸外国への勧誘に努めたり、来島した観光客に観光案内のパンフレットを配布する等のサービスが大切です。

    7. ガイドの養成

    8. 各国の観光客が来島していますが、ガイドが皆無といってよい現状です。早急に通訳養成所を開設し、英語・日本語・中国語・韓国語等のガイドを養成しなければなりません。それが就職活動の拡大につながります。

    9. 島内の美化に努める

    10. 美しい景観を保持する為に乱開発を防ぎ白然保護に努めると同時に、島内に散乱する自動車等の大型廃棄物や生活物資の廃棄物の整理と管理を行い島内の美化に努める。

ミクロネシア連邦が真の独立国として自立していく為には、いろいろな困難を乗り越えなければならないでしょう。私達FOMも今後ミクロネシア連邦が立派に自立していけるよう、物心両面の支援活動が続けられるよう願っています。

トップへ


ミクロネシアのメディア(テレビ等)の発展に協力して
辻真一(会員番号00645)

早いもので、本吉会長と初めてポナペを訪れてから3年が経ちました。1997年5月9日に、夫婦で本格的にポナペに在住し始めた当初のことを思い返すと、現在与えて頂いている情況がまるで夢のように感じてしまうほど、最近のポナペでの生活は結構に成って参りました。思えば、こうした現状を結構に与えて頂いているのも、ひとえにフレンズオブミクロネシアの本吉会長をはじめ、サンテレビの辻森さん、幾度となくポナペを訪問される顧問の皆さん、そして全国におられる会員の皆様のあたたかいお心の上に成立っているのだと心から感じさせて頂いております。本当にありがとうございます。

御存知の方も居られると思いますが、私は現在ポナペの”カセレリアTVプロダクション”にてMedia関係の技術を現地の人々ヘボランティアを通して伝えさせて頂いております。とは言え、何分力不足の為思うようには歩みを進めることが出来ずにおりますが、そんな中今回は最近与えて頂いております新しい展開を皆様に報告させて頂きたいと思います。

ポナペに在住し始めた当初、ポナペで人間関係はほとんどありませんでしたが、最近ではありがたいことに実にいろいろな人々と人間関係を作ることが出来て参りました。そして、言葉も同じく最初全く分からなかった英語・ポナペ語もだんだんと話せるようになって参りました。人間関係と言葉の理解が深まるにつれ、少しずつポナペでの信用も深まり最近いくつかのプロジェクトを組むことが出来るようになって参りました。

メインとなっているMedia技術の現地の人々へのトレーニングに関しては、2000年夏頃までに

  1. デジタル機器の操作と簡単なメンテナンスの技術習得とその理解
  2. 撮影技術の向上(空撮・水中撮影etc)
  3. 編集技術の向上
  4. Media・AV機器の設定と結線の技術習得とその理解
  5. 原作・構成・脚本等TV番組制作に関する基礎知識の習得
  6. コンピュータ操作の技術習得とその理解
等の項目を中心に、作品を作りながら基礎的な土台を築くことを目標にしております。このプロジェクトに関して、1999年7月よりUNDAHAL・OCIC(NG0アメリカ)からの協賛をいただけるようになりました。具体的には、トレーニングを受ける現地人スタッフのトレーニングにかかる経費、番組制作費、我々の住居賃貸経費等です。

更に、1999年9月より2000年夏頃にかけて、『POHNPEI SARAWI(母なるポナペ)』と題しポナペの美しい自然と文化・風習(生活スタイル、食物、芸術、歌、踊り等)をデジタル映像で記録し、同時に番組を作るプロジェクトを現在進行中です。このプロジェクトに関しては、在ミクロネシア日本大使館を通して正式に日本政府からの援助も受けられるようになりました。

こうした情況を与えて頂けるようになって参りましたのも、本当にたくさんの方々からのあたたかいお心を頂けたからこそであると感じさせて頂いております。こうしたプロジェクトをどこまで完成させることが出来るのか、完全とはいかないまでも、ポナペの現地にて人々に喜んで頂ける結果を残せるように、全力を尽くさせて頂きたいと思います。

ポナペをはじめミクロネシアの島々はまだまだ発展途上にありますが、最近のポナペでは街を走る車の台数が急激に増え、以前は中古車やぼろぼろの車が目立って走っていたにもかかわらず、ここ1年半ほどの間に高級車や新車が日立つようになりました。また、コンピューターや電気機器を使う人も増え、新しく映画館が出来たり、スーパーマーケットには外国の製品が並び、お金さえあれば大体なんでも手に入るようになってきました。ところが、ジャングルに住む人々や離島から来た人々、貧しい人々は仕事もなかなか見つけることが出来ず子供たちの中には全く学校にも行けないケースもたくさんあります。少しずつ貧富の差が見えてきているようにも思いますが、それでもやはり、基本的にはみんな明るくおおらかでのんぴりとしている陽気な人々です。これから先、自分自身この国の人々と一緒にどれだけのことが出来るか分かりませんが、形を変えながらでも、とにかく大好きなポナペと長く付き合って行きたいと思います。

どうか皆さんも、この美しいポナペにぜひお越しください。ありがとうございました。

トップへ


FOM連絡先

フレンズ・オブ・ミクロネシア(F.O.M.)
〒651‐0011神戸市中央区下山手通2−13−10
聯合ビル4階
(株)モトズ・工ンタープライズ内
電話:078−332−3151 FAX:078−327−4818
E-Mail address:MOTOSENT@po.infosphere.or.jp
代表:本吉 義宏

previous pageprevious page next pagenext page


FOM's pageFOM's page PATS's pagePATS's page Home pageHome page


To Webmaster


Friends Of Micronesia/fom-net@amy.hi-ho.ne.jp