カセレリア 号外第21号

1999.8.21(From bulletin of NGO-FOM)
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  1. カセレリア21号(FOM代表挨拶)
  2. ボランティア活動を通して
  3. 川合千代子氏第三回チューク調査報告の一部
  4. 水資源調査活動に参加して増村和門(会員番号00637)
  5. 戦後54年を経てポナペに帰る齋藤鼎輔(北海道会員番号00394)
  6. 平成11年3月31日付 決算報告書

会員各位殿 カセレリア21号

FOMの代表である私は、1998年5月後半のチュークでの井戸調査(4日間)に引き続き、ポナペでのPATSの卒業式と理事会に出席して帰国しました。私はその後、旅の整理をする間もなく、ミクロネシア政府から新大統領及び副大統領の就任式への公式な招待状を受け取り、更にミクロネシア連邦の駐日大使ALIK L.ALIK氏から懇切な招請状をいただきましたので、会員の皆様を代表して(但し勿論自費で)7月18日に関西国際空港を出発し、7月23日に帰着する旅程でポナペに行って参りました。

式典は前回、前々回よりも内容も盛大で外国の政治家、外交官等の賓客も数10ヶ国から集い、建国10年余の歴史が伺えました。しかし私達はミクロネシア連邦がこれらの友好国の支援を受けて1年でも早く自助自立を達成することを祈るだけです。

今年5月のチューク訪問の内容等については顧問会員増村和門氏のREPORT及び第3回目の井戸調査のREPORTを完成して下さった川合千代子氏のREPORTの1部を紹介します。此のREPORTを叩き台にODAとの話し合いに入ります。

尚、「兵庫教育」と題する兵庫県の教育月刊誌の7月号に国際ボランティア活動についてのエッセイを求められ、私達の活動の原点に戻り、現在までを見直すつもりで寄稿した次の一文を御読みいただければ幸いです。

FOM代表 本吉義宏

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ボランティア活動を通して(兵庫教育7月号、1999年)

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川合千代子氏第三回チューク調査報告の一部

第2章調査のまとめと提言
  1. 調査のまとめ

  2. この度はエルニーニョをきっかけに、フレンズ・オブ・ミクロネシア会員を中心に、本吉代表を座長とするワーキング・グループを設置し、水源調査させていただきました。地元政府を初め、関係各位に厚く御礼申し上げます。

    基本的には、多くの井戸がお昼寝してるが、お掃除してさわやかにすれば目が醒め、生き生きと使ってもらえるのを期待。日本人2世で、井戸掃除の心得が伝承されている所は水がきれいである。水源をきれいにしようとする政府関係者の熱意がとても伝わり、こちらも疲れを忘れて走りまわった目々。チューク語に『井戸』『つるべ』『畑』のことばが残っているから、この地での野菜作りは可能であろうから、自立してほしい。

    チュークの地に着く毎に、空港もホテルも水もどんどん綺麗になっていく。楽しみである。

  3. 提言

  4. 日本式井戸の多くは2〜5mであるため、底にしっかり溜まったヘドロは人力で吐きだすのは、困難かと思われる。そこで、日本よりエンジンと汚泥式水中ポンプを寄贈させて頂きますので、お役にたてて頂きたい。順次、政府関係者の手によって、中を攪拌、位置を変えながら、泥水をはき出し、ある程度水が清水になるまで放水し、サンドを底に引いて仕上げる。側面、泥水が入るのは、セメントで防御する。井戸の上には、枯れ葉が入るのをふせぐため、網を配給してほしい。天水の確保についても、樋を修理・一工夫したいものである。

  5. ワーキングスタッフ一同

  6. 第1回目1998年5月座長本吉 義宏
     メンバー増村 和門鈴木 勇
    辻 真一川合 千代子
    協力PATS農工学校
    第2回目1998年11月座長本吉 義宏
     メンバー増村 和門鈴木 勇
    福島 圓川合 千代子
    第3回目1999年5月座長本吉 義宏
     メンバー増村 和門倉田 敬吾
    川合 千代子 
    左から鈴木勇会員,増村和門会員,ベラルミン イオアニス,アマドールバシッグボランティア教師,バレリオ イオアニス裁判官、 フランシスコイオアニス州院議員,川合千代子会員,代表本吉

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水資源調査活動に参加して
増村和門(会員番号00637)

1997年末から約6ヵ月、ミクロネシア連邦の各島々はエルニーニョ現象に依る大渇水の為、飲料水にも不自由する程困窮を極めた事は前号のカセレリアで報告しました。

そこでミクロネシア連邦政府から本吉代表のところに、水資源確保の為の水脈調査の依頼があり、1998年5月、第1回調査を開始してから今回第3回めの調査に出発しました。

ポンペイ州やヤップ州は以前から大型ロータリーマシーンを購入し、かなりの水量の地下水を供給し得る状態なので、今回はチューク州の島々を重点的に調査する事にしました。

チューク州政府は、早くからエルニーニョ対策委員会や渇水対策委員会を設置し、水不足解消の為の具体的方策について真剣に討議していました。私達もその会議に参加し、積極的に協力する事を約束しました。

第1回現地調査の際、偶然見つけた旧日本海軍が使用していた古井戸を発見しましたが、戦後50年余も放置していたのでかなり汚れていました。私達が住民の一人に、井戸の手入れの方法(井戸浚い)を助言して帰国しました。第2回め調査の時、その井戸から、こんこんと大変良質の水が湧き出ており、住民も大変喜んで飲料水にも使っているとの事でした。当初政府の渇水対策委員の人達は、古丼戸にあまり関心を持っていませんでしたが、井戸が立派な水資源の確保につながる事をはっきりと認識してくれました。

そこで本吉代表は次の事をチューク州に提案しました。
チューク環礁の中に次の3つのタイプの島を選び、井戸を含めいろいろな地下水脈の調査と活用の仕方を考えてみたい。

  1. 標高500m程の山があり、かなり広い面積を有する島
  2. 標高200m程の山があり、中規模程度の面積を有する島
  3. 標高10m程の高さしか無い低くて小さな島

ミクロネシアの島々は、このモデル化された島での井戸を含めた地下水脈の活用法を参考にして、それぞれの島での特性に合った水資源の活用法が考えられるのでは無いだろうか。

チューク州知事はじめ対策委員会の賛同を得たので、渇水対策委員会のサイレン氏に、次回私達が調査に来る迄に、3つめのモデルの島の選定と、その島の残存する古井戸の位置と数の調査を依頼したところ、早速大変詳しいデーターが本吉代表のところに送られてきました。

1999年5月16目深夜、本吉代表と川合千代子さん・会員の倉田さんそして私の4人が、第3回実地調査の為チューク空港に降り立ちました。深夜にもかかわらず、渇水対策委員のサイレン氏やアタ氏がわざわざ出迎えに来てくれて、州政府の期待の大きさが感じられました。

翌5月17日早朝から、渇水対策委員のサイレン氏他4人と私達4人が、まずモデル1の大きな島デュブロン島(夏島)へ船で向った。

この島は、昔海軍司令部があって日本人の最も多く住んでいた島です。従って古井戸も多数存在すると考えられます。

早速1の井戸から調査開始した。まず川合さんが水深と底の状態や水の汚濁度・周囲の環境等を測定し、それを倉田さんが記録、本吉代表は井戸の現状と手入れの方法を州政府のサイレン氏に伝えます。私は記録写真の撮影の担当です。

このように互いに仕事を分担しながら調査を進めていきますが、チュークの住民が天水(雨水)をタンクに貯めてそれを生活用水に使っているので、昔日本人が住んでいた場所とは違った所に住んでいます。従って井戸のある場所は道路や住民の家から離れた大変足場の悪い所にあり、一箇所調査して次の井戸に移動するのに時間ばかり経過して能率が上がりません。その上南国特有の高温多湿とジャングル内の無風状態・足元は泥だらけで調査は困難を極めた。

ミクロネシアの島々には一般的にミクロネシア時間と言って、1時間程遅れても当り前・仕事でもまた明日があるでは無いかと言った具合で、大変のんびりした面があると言われています。

ところが今回は全く違います。ひとつの井戸の調査が終わると、メモを見ながら私達を急がせて、次から次の井戸へと先頭にたって案内するのです。私達が一息つく間がありませんでした。政府の人達は、ひとつでも多くの井戸を調べ正しい使い方を指導して欲しいと言う期待の強さと気魂がひしひしと感じられました。

このような調子で1日め昼食も無しでデュブロン島で28ヵ所調査し、2日めはデュブロン島の残りの井戸とモデル3の低くて小さな島エッテン島(竹島)で16ヵ所・3日めはモデル2の中規模程度の広さの島フェファン島(秋島)で15ヵ所の古井戸の調査と使い方の指導を実施しました。

4日めは州政府のあるモエン島(ホテルもある)で旅行代理店を経営している末永氏から、昔日本海軍が使っていた艦船用大型浄水場跡と山の谷間に小さなダムと浄水施設跡が残っていると聞いていたので案内してもらった。いずれも50年〜70年も前に造られたものなのに、補修すれば今でも使えそうな程堅牢に造られていて、一同大変驚きました。小さなダム施設は少し整備すればかなりの人達の飲料水に活用出来ると判断し指導助言したので政府の役人もかなり真剣に利用法を相談していた。

前述したように、チュークの知事さんや渇水対策委員会の皆さんも私達の地道な調査と将来を展望した具体的な提案を高く評価してくれています。特に、河合さんの適切な助言と指導に依るところが大きいと思います。

今迄数回に亘る調査結果に基づき資料を整理して「FOM」としてODAやNGO組織に働きかけていくことになります。

第1回・第2回の調査に訪れた時も、副知事さん出席のもと政府主催の歓迎パーティーを開催していただき、本吉代表に対して感謝状が贈呈されました。

今回はまた、アンシット・ウォルター知事ご夫妻主催に依る歓迎パーティーを開いてくださり、丁重な感謝の言葉をいただき立派な記念品までいただきました。

「フレンズ・オブ・ミクロネシア」はミクロネシアの自治と自立を支援・協力することをモットーとしている事は言う迄もありません。そんな私達の願いや行動が、こうしてミクロネシアの人々に理解されていく事は、私達の何よりの幸せと喜びであります。

今回は緊急的課題である水の確保の問題でありましたが、他にも多くの課題が残されていると思います。今後会員の皆様一致協力して、ミクロネシアの人々が立派に自立していく為の支援および協力活動が一層盛んになります事を願っています。

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戦後54年を経てポナペに帰る
齋藤鼎輔(北海道会員番号00394)

ホテルでの浅い眠りで夜が明け生暖かい外気に触れてジョーカジ島の岩とそれに続く丘、そして新しく開港された港や空港、その右側にランガル島、この平らな丘陵と小さな島に戦時中毎日のように米軍機の爆撃や機関銃の掃射がありましたが、敗戦迄戦闘能力を維持した所で実に感一入のものがあります。

南洋庁ポナペ支庁舎前のトックリ椰子の巨大な並木も今は学校の門柱のみ昔の面影を残していました。

現在はコロニア・ナット・アワーク・ウ地区では当時より人口も増加しており山々の樹木も大きく成長し空間も少なく生い繁っていました。

教育も終戦後はアメリカ式となり交通も民生も安泰のようで嬉しい限りです。

ポナペの人々は実に節約について確実に実行しており小さな品物でも使用可能な物品であれば何度でも使用する事は日本国民は本当に見習うべきです。また若い年層の間でも「勿体ない」の言葉が使用されたおりこれも節約の現われと思います。これは旧日本当時からの名残かも知れません。

道で出会った島の人達は外国人と見れば笑顔を向けてやさしい言葉をかけて下さり、ホテルではメイドの人達も人前を通る時は少し背をかがめて片手を前に出し「失礼します」の意を表わす事は日本では段々見られなくなりつつあります。

中松さんご夫妻のご配慮でポナペ島から外洋に出てマングローブの生育していない直径20qの別の珊瑚礁があり、白い珊瑚の砂浜と緑の椰子と深く澄み切った水晶のような濁りのない海水、木陰の中で涼しい風に当って、腰を下ろすと米粒程から親指大の「やどかり」が無数に動き回っている。これだけ豊富な生き物が生きているところがあるだろうか。腰をあげて動くと足の下にあるのではないかと気が気ではありません。

今、日本でもアクアラングでの観光が流行して久しいがこの素晴らしい自然が汚れてしまうのではないかとの心配もあります。

モーターボートの回りを約50頭の「海豚」の群が長い間人の眼を楽しませてくれましたし、帰途海面上を飛ぶ鳥の群を見て鰹や鮪釣りを体験出来とても楽しかった。

島の資源としては、椰子・木材・海産物・農産物・観光等が本命のようです。島の回りの海は、鰹や鮪の良い漁場なのに港には中華人民共和国や台湾の漁船は停泊していても日本漁船の姿は見られませんでした。

島には良質の木工材が資源として眠っています。島の人達は海豚やマンタ、鮫等の立派な木工製品を製作する技術を持っているのだから象牙椰子の実等からカフスボタン・イヤリング・指輪・ネックレス等の装飾品加工も可能だと思います。

今回の訪問の大きな目的は戦争中米軍機の機関砲と機銃掃射を受け戦友3人を失いましたが、その戦友の霊を弔う事でした。

当時私達5名は上官の命令でウー村小学校裏にある弾薬庫の警備にあたっていました。ある日丘の上で弾薬の手入れをする白布を干していたところ、米軍機に突然襲われました。すぐ大木の陰に緊急避難しましたが、その退避場所の近くに機関砲の弾が破裂し、福田、長井両君は即死状態、中君はひん死の重傷でした。幸い私ともう一人は軽傷でした。

やがて、島民の人々が集まって来て、中君を野戦病院へ運んでくださいましたが、中君も病院で亡くなってしまいました。

今回、ウー村を訪問して解った事は当時ウー村の対空監視哨におられたマヌエハさんも手助けをして下さった一人ではないかと言う事です。

今回、3人の死亡者に心ばかりのお供えとお経を手向けられた事は私の長い長い間の念願でした。

ウー村の祭祀の折、同伴してくれた辻真一さんが地区の有力者に趣旨をお話していただき快諾をいただいた事も心から感謝いたします。また、有力者の方は読経の間、子供達が騒がず静粛にするよう指導して下さった事も感謝の外はありません。

ポナペ日本人会中松会長さん、辻真一FOM駐在員さん、本吉代表と義兄弟の絆を結ばれたイオアニス家の皆さんに心から感謝の念を抱きながら、近い内に又訪れようと心に決めて…。

深夜から明け方迄空港までお見送り下さった皆様方有難うございました。ジェット機の滑走路を走るガタガタ・ザアザアの混濁音を体で聞きながら離れる気持、50有余年、色々と想いを馳せ小さな窓から見る事の出来ない南十字星の姿を描きながら…。

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FOM連絡先

フレンズ・オブ・ミクロネシア(F.O.M.)
〒651‐0011神戸市中央区下山手通2−13−10
聯合ビル4階
(株)モトズ・工ンタープライズ内
電話:078−332−3151 FAX:078−327−4818
E-Mail address:MOTOSENT@po.infosphere.or.jp
代表:本吉 義宏

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