カセレリア 号外第20号

1999.1.15(From bulletin of NGO-FOM)
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  1. カセレリア20号(FOM代表挨拶)
  2. 「ミクロネシア 水環境調査」(川合 千代子)
  3. ミクロネシア連邦訪問記(増村 和門)
  4. 「ポナペ・トラック・ヤップの島々を訪問して」(福島 圓)
  5. 「ポナペ事情」(辻 真一)

会員各位殿 カセレリア20号 FOM代表 本吉義宏

新年明けましておめでとうございます。今年も皆様の御健康をいつも祈っております。(多数の会員の 皆様から事務所に自宅に賀状をいただきましたが一々こちらからは書けず失礼の段はどうぞお許し下さい。)

さて、来月(2月)20日を迎えますと此の会が発足してから満11年となります。10年目を迎えた昨年にも申しましたが、会員の皆様の此の会の趣旨に対しての真の御理解、そして活動への御協力無くしては此の様な長期間に亘って会の継続は不可能でした。皆様の御理解と御協力を得られる限り、私も会の趣意書にある精神を貫ぬき生ある限りは会の活動を前進し続けて参ります。昨年はエルニーニョに由る渇水問題で苦しんだミクロネシアの多くの島々を巡り、同行した此の問題の専門家の川合千代子さん(岐阜)をはじめ、東京の鈴木勇、福島圓(まどか)の両氏と西宮の増村氏らと共に各州知事、副知事、エルニーニョ対策本部の多くの方々、そして島々の現場に住む人々と緊密に話し合える場が持てた事、親しく意見の交換が出来た事は、私達の会が単に学用品や車などの供給支援にとどまらず文字通りフレンズオブミクロネシアとしてミクロネシアのより多くの方々に御理解いただく事が出来たと信じ非常に有益だったと思います。川合さんは非常に御多忙にも拘わらず二度現地ヘ、そして二度目からはF0Mの会員として費用も自前で御協力いただきました。今年もう一度チューク(トラック)の各島を訪れて此の島々をエルニーニョ対策の見本として対処しその結果を完全なレポートにまとめて外務省のODAと話し合うつもりです。一方、二度の各島巡りと話し合いの中から日本軍が掘った古井戸の再生、さんご礁の隆起した鳥々での井戸、天水利用などにいろいろとアイデアが生まれODAの資金に頼る以前に私達と現地の人達との間で出来得る限りの事はやってみようと云う空気が生まれた事は特筆すべきだと思います。私達の活動の原点にはミクロネシアの国々が自立自助により真の独立を成し遂げる事にあります。私達は物品を贈って支援する以上に相互の理解を、真の、自立、自助のお手伝いをし、そして真の“愛”をもって活動の核となすぺきと思います。

思えぱ此の1月17日にはあの阪神大震災から満4ケ年の月日が流れる事になります。地震のあとの生活は電気無し、ガス無し、水無し、交通手段と共に電話なども途切れ自転車で瓦傑の間を縫いながらも会社の事務所(FOMの本部もそこにあった)にたどりつくとあらゆる什器、事務用品、キャビネットの中に整理してあった書類、写真等総ての資料かMIXERにかけたように床に散乱し、唯言葉も 無く唖然とした事など今でも瞼に焼き付いて忘れる事は出来ません。しかし気を取り直して自分、家族そして社員達が、又知人の大多数の方々が怪我も無かった事を良しとして再出発しましたが、FOMの仕事以外は常々の社業に戻るに2年〜3年の歳月を要しました。今だにまだ苦しみを引きずる人の多数在る事が現実ですが、自分がまだ生き抜いて他の人々のお役に立つ事が出来る事は心より幸せ だと思います。いつか来る終りも当然の事として迎えられる心境になれた事、そして人と人が互いに信じあい助け合う事が出来るのはあの震災のおかげではないでしょうか。
代表本吉

☆例の如く5月後半(正確なスケジュールは現在末定)一過間の予定でポナペ島を訪問します。 御希望の方は早や目に御連絡下さい。
☆チューク(トラック)のWEN0島にあるセントジユリア小学校の先生をしているアメリカの平和部隊(ピースコー)から派遣されているMs.LAURA BUCHSから日本の子供達の絵本を集めて欲しいとの要望がありました。破れたり、汚れたりしたものは駄目ですか、新品でなくても結構です。出来れぱ集めて事務局にお送り下さい。簡単な日本語は先方に翻訳する人がいるそうです。
☆最近の一年はノートブック、鉛筆、ボールペン、消しゴム等の集まりが減少して来ています。 これもよろしく又お願いします。
☆1999年度の年会費を又よろしくお願いします。(振込用紙同封)

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「ミクロネシア 水環境調査」

(川合 千代子 会員番号00713)

今回の水環境調査は、春の概要調査に続き、秋深まりし11月に行ってまいりました。本来ならば、エルニーニョの最中に、こまめに訪問してあげるのが理想ですが、私は家業、井戸堀屋の営業・管理業務や、水と情報文化の研究活勤および、主婦業の現役であるため、最低限1週間程度しか家を空けることができず、ご迷惑をかけています。今、このレポートはお正月にようやく落ち着いて、回想し ています。私のために発刊が遅れまして、申し訳ございません。
私は時間をあまり取れない都合上、2回目はチュークからの参加ということで、単身で直行しました。前回において私はポンペイのみで、すでに雨により緑が回復していた地でしたが、他の3名はその後チューク、ヤップヘ出向かれ、そこではまだ渇水の現況でありました。従って、色々把握してこられたことが、今回の訪問課題のテーマとなりました。
アジア地域における社会的な動向は、ロシアから発した金融不安に追い討ちをかけるように、大渇水地域、大洪水地域と異常気象を起こし、経済がマヒしてきました。日本からの政府援助や、金融貸付も右肩上がり予測のもとでの体制であるため疲弊し、色々な問題を起こしつつ、自滅する機関が内外ともに出ている世情であります。現地法人の社員や、救援活動に出向いている人々が被害にあう二 ュースは時折、耳にしたことと思います。
しかし、現地調査していて思うに、地道に長年、援助活動をしてこられた、当会の偉大さに感激しました。それはパッツ農業・工業高校で技術を習得した優秀な生徒さんが、各地の土台を支え、元気に働いている姿です。相撲の曙に近い人種の彼らが、『青ふんどし』をまとってリーダー役として活躍している姿にほれぽれします。あちこちで「モトさん」の声がかかります。本当にモトさんてミク ロネシア全体の人々に慕われているんだなって、こちらも嬉しくなります。アメリカ・日本・韓国等のODA支援で導入された物を生かしながら、地域の人々が真に求める二一ズを受け止め、支援アドパイスをしていくことが必要であることを再認識しました。

〜水利用の実態〜

I.ポンペイ

  1. 土木・建設関係の公社があり、アメリカの中古ロータリーマシンによつて、井戸掘は可能。但し、管の材料や水中ポンプは不足で、援助を求めている。(高額なので日本政府援助を検討中)
  2. 現地人と結婚している優秀なアメリカ人技術者がたのもしい。
  3. 技術情報はインターネツトで検索可能。CS日本番組も可。
  4. 民間には、小さいマシンで掘っている施工業者有り。
  5. 奥地の住民は谷水等を利用しているが、近年、ODAにより本土の海辺沿いに道路・電気・電話等のインフラが完備し、井戸堀機械が搬入可能。
  6. お風呂は無くても、女性のロングヘアーはステキ。男性も清潔で一部に『モトさんヘアースタイルが流行』
  7. 日本からの中古自動車が増えて便利になり、道路沿での居住が多く占めるようになった。水道のパイプラインも導入しやすい。但し、主食のお米や、多くの物が海外援助にたよっているために、今後自力経済の活性化がそれらを、カバーし得るかどうか?・・・

U.チユーク

既設の水源はアメリカの施工。公社を持たないため、政府工事担当者がフォロー。マシンを保有し ていないので。今後の対策姿勢が真剣である。:
  1. 噴火山のすり鉢地域の水を集め、タンクに溜めて配水。
  2. アメリカ支援+世界銀行借入れにより水源地を確保。 ロータリーマシンで約70m岩盤堀を何ケ所か施工し、各地のタンクヘポンプアップ。
  3. 雨水を屋根からタンクヘと貯水。古くは日本統治時代に作られたコンクリート製。近年は青色タンク。渇水期より、ボート製造用が不況構造変換でタンクに早替わり、活況を生している。
  4. 日本軍駐屯時代に掘られた、手堀井戸5〜10m程度。 昔から日本で利用されてきた井戸掘の方法で、重要基地の各所に残っている。今回の注目すぺき井戸。””,エデンの島““戦時中に利用された滑走路のコンクリートが残っている島、訪問途中の民家では、飛行機の残骸の一部がコンロの代用品に。重要基地内には井戸が三基。なんと戦後ず〜っと使われてきたのは、井戸に爆弾が落ちて、石垣が飛び散りく周囲の悪水の流入している井戸である。 入浴・洗濯に利用。前回、本吉代表等が訪問された際に、他の井戸を利用するよう勧めてこられたおかげで、今回ポンプが付き、配管されて利用されていた。…彼らはその井戸は使うと直ぐに無くなると勘違いしていた。…・しかし、地下水は使えば使うほどに水の道が出来て、よく出るようになり、渇水時においても切れないものである。結果、出るようになってきて、水質も良くなっている。使わなけれぱ、ヘドロが巻いて、出なくなってしまう。:
  5. ここには、防空壕が4ケ所ある。その内2つは水を有し、地下水温の状況である。そこで、渇水時には農業用としての利用をお勧めしたのである。 この地での取り組み結果は、他地区へのモデルとして、追跡調査を重ねてゆきたい。住民が動いてこそ本物である。爆弾で傾いた雨水貯溜用コンクリート製の上に、FRP製のタンクは異様に写っていた。(渇水対策補助金付きでも高い物)
  6. 湧水があり、渇水時には役立ったが、汲み過ぎると海水が混入。周辺がオープンなので、柵を要求。
  7. 道路が悪くて奥地へ入れなかったが、日本軍基地の在った地には古い手掘井戸があるのと、当時に作りかけのダムがあるとのこと、調査し、再利用を考えてみたいものである。
※ミクロネシア連邦は多くの火山岩からなりたち、浅瀬の地域にはサンゴ礁が群がっている。従って、岩は竪く、ロータリーマシンでないと受け付けない。サンゴ礁の島はガサガサで、海水面以下の地層では、塩水化しているため、それ以上のポイントて集水し、貯水せねばならないが、今後の課題である。礁は石に集まると書き、それにサンゴが付着し、こん盛りと島が出来上がったのではと、勝手に解釈しつつ、取り組んでみたいと思う。

V.ヤップ

パラオよりに位置し、古代においてそちらから石貨が運ぱれてきたように、他の州より伝統と誇り が感じられる地である。
  1. 水源地計画も、他の州より早くから計画実施され、現在、公社がロータリーマシンを何台か稼動している。運営スタッフも、本吉代表が支援しておられるアメリカ人、スティーブが頑張っておられるから安心である。今回、中国製発動機のベルトが手に入らないか依頼され帰国後、早速手配し、送ることが出来た。
  2. 雨水用タンクは多く利用され、ボイラーで沸かして、お風呂等に利用。若衆宿のある地=日本軍基地=水利用タンク又は、井戸が存在。(石貨展示の地で思う)
  3. 渇水時には、海水淡水装置が稼動されたが、コストがとても高く、短時間で打ち切られた。
  4. 渇氷時には、川の水を浄化し、給水車で配水された。
  5. 以上、本土においてあまり問題ないが、多くのサンゴ礁の島々での渇水対策が課題である。この点については次回、チュークにて集中的に検討課題としたい。
※リストラー一一今、日本では盛んに行われているが、ここの行政はみごとである。大きくて効率の悪い建物から、小さいプレハブ住宅に移りました。簡単間仕切りの部屋各所にパソコンが光り、少数精鋭主義へと。地域の生活態度も、たろ芋・パンの木で主食を守り、個性豊かに地道に生き抜こうとしている姿勢は、今の日本にとって教えられるものか多い。

W.コスラエ・……チューク後に調査予定。

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ミクロネシア連邦訪問記

(増村 和門 会員番号:00637)


1998年11月1日から12日迄、4回目のミクロネシア連邦訪問に出掛けました。初回訪問の時は、初対面でもあるし、互いに何と無く遠慮して親しく付き合う事が出来ませんでした。2回・3回と会う機会が重なる毎にすっかり打ち解けてほんとうに親しく接してくれるようになりました。 今回の訪問では、初対面の人に会っても4回目の訪問だと告げるとまるで旧知の人の如く親しく話してくれました。
何時訪問しても、わが故郷の古き良き時代を思い出させるような気がします。

皆様、よくご存知のように、本吉代表は「PATS」の教育活動の支援を始め、島民の自立に向けての様々な援助活動と過去約25年に亘り続けてこられました。その功績は島民の多くの知るところでありますが、島内のキティー村の長老イオアニス氏に認められ、親しく付き合ううちに遂に義兄弟の契りを結ぶことになったそうです。
その後も義兄弟として親交を深めてきましたが1997年7月に病気の為イオアニス氏は他界されました。亡くなられる前に遺言として、「自分の持っている土地の一部を義兄弟である本吉氏に譲る。」 と残されたそうです。

本吉代表はキティー村の自分が譲渡してもらった土地に「フレンズオブミクロネシア」の会員の家を建設して皆様に利用してもらいたいと言う夢を持っておられます。
会員の皆様が観光または親睦目的でポナペ島に来島され、ホテルに宿活し、島内を見学したり、島民と親しく付き合うのも一つの方法ではあるけれど、ほんとうに島の人々の暮しや考え方を理解するためには、実際に島の人々と同じ生活を体験したり、同じような食物を調理し味わってみる事が大切ではないかと考えておられます。

私も最初に記述したように、島の人々と親しく付き合うには1日や2日の滞在では互いに理解し合う事は出来ませんでした。やはり1週問とか10日とか滞在し、何回か顔を合わせ話し合うことによりお互いの気心が通じ合えると考えています。
でもそんなに長期間ホテルに宿泊すれは費用も嵩みますし、島の人々のほんとうの暮しも体験出来ません。そこで「会員の家」で会員同志が協力し苫で採れる材料で食事をつくったり島の人々を招待して、パーティーを開いたりする事により島民の暮し方や考え方がより早く理解出来るのではないでしようか。
また、会員同志が力を合わせ宿泊する事に依って相互理解も深まり連帯感も増してくると思います。 その一方で旅行の費用も安価で済むことになります。

1997年(平成9年)11月に「PATS」の建築技師の方に「会員の家」の建築見積を頼んだところ日本円で約1500万円程必要だと言われたそうです。
「フレンズオブミクロネシア」の会費は年間合計しても200万円程で会員や有志の方々の寄付金を含わせても350万円しかなりません。その内、活動費や会報発行・通信連絡費等を支出しますと殆んど残りません。
本吉代表も出来るだけ会員の皆様に迷惑をかけずに「会員の家」を建設出来ないものかと考えておられるようですが今のところ具体的な方策は無いようてす。

この記事を読まれた皆様は本吉代表の会員の皆様やミクロネシア島民に対する暖い思いやりと将来を展望したすばらしいお考えに共感を憶えられた事と思います。
私も本吉代表の永年の夢を夢で終わらせる事無く何とか実現出来る方向に持って行きたいと思っています。
まず建設資金については、どうしても会員の皆様方にご協力をいただかなけれぱならないでしょう。 会員の皆様方が会費以外に建設資金の積立金として自分で支出出来る範囲内で出来るだけ多く出資していただく。集まった資金を毎年積立てていく。ひとりひとりの会員の金額は少なくても約800人が一致団結すれば数年いや3年程で建設可能になるだろうと考えます。その間に企業や諸団体の皆様にも趣旨をよく説期してご協カをいただく事も併せて努力しなければなりません。
すでに会員の一部の方でこの計画に賛同し、多額の寄付を申し出ておられるとも聞いています。

この「会員の家」の建設に関しては未だ試案の段階です。まずは具体的な計画をたて、会員の皆様方に提案し、賛同を得るところから出発しなけれはなりません。
現状をありのまま申し上げましたのでご一考下さいますようお願い申し上げる次第です。

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「ポナペ・トラック・ヤップの島々を訪問して」

(福島 圓 会員番号:00148)


1998年11月1日より12日までポナペ島(4泊)、トラック島(2泊)とヤップ島(3泊)の訪問旅行に参加した。私にとって、ポナペは再訪であるが、トラックとヤップは初めての訪問である。 今回の訪問目的は前回1998年5月の場合と同様に渇水対策の支援方法検討のための調査である。以下、訪問旅行中に深く印象づけられたことを記してみたい。
まず、5日(木)早朝6時、PATS構内における故コスティガン神父の墓参である。前日、PATSへの途上、シスター斉藤さんの宿舎に立ち寄った折に頂いた蘭の花一枝を供えた。PATS校長ビロッィ神父の祈り(英語)に続いて、本吉さんの故人への語りかけ(英語)、それらの細部は聞きとれなかったが、故人への思慕が伝わってくる。やかて、日の出が近づく薄明の中、故人が好んだと いう持参のサントリーウィスキーを墓碑銘板に全員で少しづつ注いで一礼して墓参を終えた。折にふれて、本吉さんが話されていたこと、故コスティガン神父との出合い、そして、生前、彼の全人格から発した言葉が本吉さんの魂を打ったことを改めて悟った。私にとって厳粛な感動の一時であった。 次は、2日(月)午後、キティ村における故ローレンス・イオニアス副司祭の墓参、小雨で足もとがぬかる中、墓所の前で手を合わせる。墓所の脇の集会所でイオニアス夫人を始め子供達大勢と懐しく楽しい時を過ごした。8年前の訪問の折、イオニアス副司祭が一族郎党百人程を集めて催されたカマティップに招待されたときの感動を想起した。このときのカマティップについては高橋京子さんが カセレリア第3号、7−8夏、(1990年9月)感性豊かな一文を寄せておられる。
その外、6日(金)、トラック島(群島)では、州政府のシーレンさんの案内で旧日本軍が使用した井戸の調査のお伴をした。主役は勿論、本吉さんとその道の専門家の川合千代子さんである。残りの3人はシーレンさんから「観光団」とのジョークが飛びだす始未であった。タ食は州副知事主催のパーティであった。ボランティアとして水曜島で小学校教師をつとめているローラさん(米国ウィスコ ンシン州出身)と向い合う席となったか、彼女は1年間富山県魚津市に滞在したとか、唇気楼、ほたるいか、等々の会話を楽しむことができた。
8日(日)からのヤップ島では、もっぱら休養ということて、10日(火)午前、スティーブさんの案内で本吉さんと川合さんの水資源調査の間、残りの3人で舟遊びと海水浴を楽んだ。
振り返ってみると、ポナペは無論のこと、トラックでもヤップでもPATS卒業の青年達からMOTO−SANの声がいたるところで聞かれたことは、大変嬉しく忘れられないことである。
今回、同行された川合千代子さんは無論のこと、鈴木勇さん、増村和門さん、それぞれ一隅を照す何かをお持ちの方である。本吉さん始め皆様方に助けられ、よき隣人たらんとする訪問旅行を無事終えて、肉体的に辛かったことなどすぺて忘れて、感激一杯である。

At office of embassy of JAPAN in Federated States of Micronesa. With an ambassador Takeo YOSHIKAWA.

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FOM連絡先

フレンズ・オブ・ミクロネシア(F.O.M.)
〒651‐0011神戸市中央区下山手通2−13−10
聯合ビル4階
(株)モトズ・工ンタープライズ内
電話:078−332−3151 FAX:078−327−4818
E-Mail address:MOTOSENT@po.infosphere.or.jp
代表:本吉 義宏

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