ミスターバレーボール


 連日、ワールドカップバレーボールの熱戦が繰り広げられている。男子バレーはついチャ
ンネルを合わせて、ちらちらと見てしまう。
 スター選手はいつの時代でもいるものだ。今は加藤陽一選手だろうか。スペイン戦では美
形のエース、パスカル選手と何かと比較され、実況アナウンサーやレポーターはしきりに「
プリンス対決」なんて言っていた。よくわからない。
 いつのまにか全セットとも得点がサーブ権に左右されない「ラリーポイント制」になって
いる。それにワンセットが25点になっていた! 寺廻監督はいつでも立ち上がって、コー
トのラインギリギリまで出て、叫んだり手を叩いたり、ガッツポーズをしたり、忙しい。
 リベロ(レシーブ専門)の西村選手はひとり色の違うユニフォームを着て、ローテンショ
ン毎に208センチの大竹選手と入れ替わる。
 客席には「嵐」という、最近デビューしたアイドルグループのメンバーが座っていて、時
々その応援風景が画面に映される。ジャニーズ事務所とのタイアップとでもいうべきか。
 私が男子バレーに夢中だった高校生の頃とは、いろいろな面で随分変わったと思う。

 現在放送席で解説をしている川合俊一が、まだ日体大2年でありながら全日本チームで活
躍していた頃、そして今ではすっかりベテランの大竹選手がまだ法政二高に在籍していた頃
それは1983年頃だったが、富士フイルムvs日本鋼管の試合を大雪の中、相模原まで見に
行ったり、全日本の対ソ連戦を横浜文化体育館に見にいったりした思い出がある。雑誌「月
刊バレーボール」や「バレーボールマガジン」もよく買っていた。
 それは平均身長が今ほど高くなかった時代。技ありのうまいプレイ、力任せでも高さ任せ
でもない、全日本ならではのプレイが随所で見られた。

 私の好きな選手は背番号「1」の蘇武幸志(そぶ・こうし)選手だった。
 シャープな表情、いかにもクールな面もち、真摯な姿勢、そしてコートでの活躍ぶり。と
にかくかっこいい人だった。富士フイルムの社員寮あてにファンレターや年賀状を出した覚
えがある。私の恋の仕方は当時から変わっていない(笑)
 日体大在学中に保健体育の教員免許を取っていたという蘇武さんは、その後、やはり在学
中からつきあっていたという人と結婚して、故郷の宮城県で教員をしていると聞いた。彼も
また連日の熱戦を見て、何かを感じているだろうか。

 さて、スター選手はいいけれど、全日本男子、力負けが多いようだ。華やかな演出やテレ
ビ中継体制とは裏腹に、試合内容はあまりにはかない。いつかまた、全日本ならではの味の
あるプレイ、そして強味を見たいと願っているのは私だけではないはずだ


                                1999/11/27
                                  Esme



                             Back