Mr. トム・ウェイツ


 このところ毎晩のようにトム・ウェイツを聴いている。
1973年、エレクトラレーベルから発表された「CLOSING TIME」。私はこのアルバムをうろ覚
えではあるが確か8年ほど前に手に入れた。タワーレコードでだったのか、日本盤ではなく、CD
ケースの中にはうすっぺらな紙が入っており、歌詞カードは付いていない。
 なぜこのアルバムを手にしたのか。それだけは今もはっきりしている。1曲目に収められている
「Ol'55」、この曲が好きだったからだ。

 13年前、大学に入学した私は、真面目に勉強はするけれども、その前年の根暗浪人生活を引き
ずる、人付き合いの下手な子供だった。クラスメートにおはようの挨拶も出来ない引っ込み思案な
性格。長い通学時間にはよく本を読み、ウォークマンで音楽を聴いていた。すでに佐野元春に夢中
になっている時期であり、元春は心の支えといってもおかしくないほどの大きな存在だった。

 月曜の夜といえば、Motoharu Radio Show だった。イカした Rock & RollやR&B は思えば全て
このプログラムで、それも元春自身の言葉で教えられたのだ。不安定な心を残したまま、何かを探
し当てようとしていた19歳。多感なそんな時期に沢山の素敵な音楽たちに出会えたことは、何よ
りも幸運なことだったに違いない。 「Ol'55」もそんなふうに巡り合うことの出来た曲のひとつで
あった。

 静かな夜にひとり聴く「Ol'55」―― ある晩流れたこの曲の、あまりにも渋いトム・ウェイツの
歌声は、到底忘れることの出来ないメロディと共に、引っ込み思案な私の心にも深く刻まれること
になる。

 アルバムジャケットを眺めてみる
 暗い照明の下
 ピアノにもたれかかる男
 左手を腕枕に
 鍵盤の傍らには飲みかけの酒と煙草の吸殻
 時計の針は3時22分をさしている
 酔いつぶれたのだろうか
 それともこれからまた
 1曲聴かせてくれるのか

 ジャケットのイメージにぴったりの演奏が、このアルバム全編に収められている。まるでどこか
のバーに身をひそめて聴いているかのような気分になる。擦り切れた心を癒してくれるかのように。
それははるか昔のようでもあり、たった今の出来事にも成りうる不思議な感覚。あの頃たしかに・・
・・・いや、それは夢だったのかもしれない・・・などと想いをめぐらすのだ。

 そして今夜もトム・ウェイツを聴いている。

                                     1999年 春
                                       Esme



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