遠い空
その日の午後、私は久しぶりに邦楽のチャート番組でもチェックしてみようとFMラジオに耳を
傾けながら、机のまわりのテープや本を片づけたりしていた。
3時半頃のことだ。一瞬耳を疑った。それはあまりに突然すぎた尾崎豊の死を伝える臨時ニュー
ス、動揺は隠せなかった。
それでもしばらく時間が経ってみると、FMから「卒業」が流れるのを聴いても、夕方のテレビ
ニュースで報道されるのを見ても、まるで夢でも見ているかのように信じられずに、妙に心が落ち
着いてしまったのだった。
翌日からの新聞記事やくだらないワイドショーも見た。CDを聴いたり、ライブテープを見たり
した。いつまでもただただ信じられずにいた。
数日後、かつて一度だけ尾崎がテレビに生出演し「太陽の破片」を歌っていた場面が再放送され
た時、それまで何処か別の所にあったかのような涙が止めどなく流れ出てきた。4年前の6月22
日にも同じ尾崎を私は確かに見ていたんだ。
尾崎との出会いは85年のことだった。フィルムで見る彼のライブパフォーマンスは衝撃的だっ
た。そこには10代の不安定な心をあらわに、悩みながらも突っ走り、この社会の中で何とか生き
ていこうとする姿、そのままの姿があった。そして何よりも遠くを見つめる瞳の清らかさに魅かれ
ていた。本当に目がきれいな男の子だった。詞の内容にいつも共感を抱いていた私は当時18歳、
そして19歳の尾崎―――今でも私の中の尾崎はあの頃のまま輝いている。「もう大丈夫だね」と
遠くからずっと見ているつもりだった。尾崎豊は私の教祖なんかじゃなかった。ただ心の何処かで
同世代であることに誇りを持っていた。
もうその姿、その声に触れることはない。でも決して忘れることはないだろう。
1992年 春
Esme
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