SANO NOMO

スポーツ紙も取り上げた「ふたりの理由」


【フィラデルフィア24日】歌手の佐野元春(39)が、ドジャースの野茂英雄投手(26)に、
自作のCDをプレゼントした。佐野は、親交のある野茂のために自分の曲から計12曲を選んで2
枚組にして作製。CM撮りでニューヨーク入りしたついでに、フィラデルフィアを激励を兼ねて訪
れた。

◇佐野元春 1956年3月13日、東京・神田生まれ。立教大学を卒業後、広告代理店に勤務。
ラジオのディレクターを経て80年、アルバム「BACK TO THE STREET」でデビュー。82年のア
ルバム 「SOMEDAY」 が爆発的にヒットし、シンガーソングライターとして日本のロック界を引っ
張る存在に。

 野茂は高校時代から佐野のファン。近鉄入団後も、登板直前にいつも「彼女の隣人」を聴き、
「Don't cry no more」 の歌詞に励まされた。 一方、佐野はホームランを打たれた後に「ファンの
子供に逃げたと思われたくなかった」と話した姿にホれたという。
 二人は92年夏、「どうしても会いたい」という佐野の希望で、大阪のラジオ番組で初めて対談
して意気投合。以後は佐野がCDを出すたびに送り、コンサートに招待する関係が続いている。現
在放送されている野茂出演の住友生命のCMでも佐野の曲がバックに流れている。

 大リーグに挑戦する野茂を思う気持ちはだれよりも強い佐野。今回のCDも「BORN TO WIN」
(勝つために生まれてきた)という題名を付けた。「オールスター戦の試合前に、子供達と手を合
わせる野茂を見たときに、テレビを見て泣いてしまった」という。今回の激励は、ニューヨークで
のCM撮りの仕事が決まった時に、ドジャースの日程を見て急きょ決めたそうだ。8月31日が野
茂の誕生日という事で、それに合わせて考えたプレゼントが、「世界にひとつしかない特別編集の
CD」だった。「2日前に東京で完成したばかり。野球選手なので1枚がロックンロールで "ロー
ドサイド"、そしてもう1枚はスローバラードを集めた "ホームサイド" なんです」と言って見せて
くれたCDは、タイトルも自分でワープロで作成するほどの熱の入れよう。佐野はまた、「1週間
前から彼のことをテーマにした曲を書き始めた」とも話した。これらの模様は今秋放送されるTB
Sの野茂特番でも紹介される。
                                (報知新聞 95年8月)




佐野「みんな野茂選手のことを誇りにしてるよ」
野茂「今ははやりのところがありますから・・・」
佐野「あ〜そうじゃなくってね、みんな本当に誇りにしてる」

「昔佐野さんのコンサートに行った時に、見てて佐野さんがすごくカッコよかった。それを見てたお
客さんがすごく佐野さんの歌にのってるっていうか、終わったあとも佐野さんのスタッフ、お客さん、
みんな満足しているので、それを見てすごく自分自身プロを感じたというか、感動したというか、自
分もそういうことをしたいと思ったので、今は毎回そういう気持ちで試合に行ってるつもりです」

 野茂にステージからプロ意識を感じさせた佐野元春は、メジャーの大舞台に立つ野茂の姿を一目確
かめるために、アメリカへやって来た。

「オールスターの時に子供たちがみんなベンチの方に引き上げていく――それを野茂選手が迎えて、
子供たちと手をパンパンパンと合わせた映像が流れたんです。あったでしょう? 僕はね、あれ見て
どっと涙が出てきてしまいました。すごく思い出に残ってる。子供たちのちっちゃな手のひらとね、
野茂選手のあの大きな手のひらがパンパンパンとこう触れ合って、野茂さんすごく楽しそうにしてま
した。実際に大リーグで彼が投げてるのを見るのは、これが初めてだからね、すごくうれしいし、な
んかドキドキする」
                  
(10月10日放送 TBS「野茂英雄スペシャル」より)


 元春のコンサート会場(中野サンプラザホール)で開演前、座席につく野茂投手の姿を見たのは3
年前の12月。アンコールで近鉄のスタジャンを着てよろこんでいた元春。2人の親交は知らされて
いたものの、まさか今日(こんにち)のような野茂投手の活躍は夢にも思っていなかったあの冬。人
が何かに失望したり、新しい言葉を探していたり、涙を数えたりしていた間にも、2人はそれぞれの
指標を携えて着実に前進していたわけだ。挑戦するフィールドも世代も違う2人、でも私たちにとっ
て「輝き続けるRainbow」であることに変わりはない。これからもずっと応援してきたい。  Esme



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