指1本、スイッチを入れるだけで必ず音楽が流れてくる。それはごく当たり前のこと、けれどなんて
いい時代なのだろう。世界初のラジオ放送がアメリカ・ペンシルバニア州でスタートしてから、今年で
ちょうど70年になるのだという。(日本では5年後の1925年にスタート) 近年では衛星放送、
ハイビジョンをはじめとして、テレビメディアは目覚ましい発展を遂げている。

 しかし「ラジオで育ってきた」と言っても過言ではない私にとって、ラジオなしの生活は考えられな
い。ラジオが無くても生きていけるであろう世代の子供達は、ある意味気の毒だとさえ思ってしまう。

 先日、ある1冊の本を読み終えた。タイトルは「僕のDJグラフィティ」。糸居五郎氏が亡くなって
早5年、遅ればせながらこの本を手に入れ、じっくりと目を通した。

 実は私には糸居氏の番組の記憶がほとんどない。80年前後、月曜深夜のオールナイト・ニッポン、
第一部の中島みゆきに続いて、糸居氏の第二部も多少は聴いたことがあったかもしれない。声は全く覚
えていない。まして顔を知るはずもなかった。

 そんな私にも、糸居氏のいろいろな言葉を通して、DJの姿勢、本来DJとはどうあるべきか、とい
うことが少しずつわかってきた。この本に存在するのは「本物の」DJの精神だ。そう、ここではあえ
て「本物の」と付けなくてはならない。

 ここ2〜3年の間に、FM局の数が随分と増えた。しかし、そのことは必ずしも素晴らしい番組が増
えたということにはつながっていない。これからは各局が独自のカラーを出して競い合い、良い番組を
生みだし、残っていけばいいなと思う。

 そんな時代にあって、私が聴きたい番組の条件とは何だろうと考えてみる。まずは好きなアーティス
トが出演する(元春、タツローさん、大瀧さん etc)、好きな音楽評論家の話が聞ける(渋谷陽一氏、今
井智子氏、萩原健太氏 etc)、好きなアーティストのライブ音源・新譜・最新情報が聴ける、など―――
「DJ」に心底惚れて聴いている番組は多くはないことに気づかされる。あえて挙げるとすれば、たま
に早起きした朝に聴く「ジム・ピューター・ショー」(FM横浜)くらいだろう。「本物のDJ」はい
ったい今どこに?

 私にとって、「本物のDJ」に限りなく近い存在、それが佐野さんである。かつて、彼の音楽よりも
まずその「DJing」にひかれていったという不思議な出会いの時期があった。現在も「好きなアーティ
ストだから」というひいき目を除いても、やはり佐野さんのDJingは素晴らしいと思う。おそらく一度
でも耳にしたことのある人ならば、それがわかるだろう。

 悲しいかな、89年3月にFM東京での番組(AJI FM Super Mixture)が終了して以来、佐野さん
のDJは一時休止となっている。一日も早くマイクの前に戻ってきてほしいと願う日々が続く。



  湊剛プロデューサーの感慨はまた少し違うもののようだった。
 「番組という形が終わるだけでね、『サウンド・ストリート』が
 終わったとは思っていない。それは佐野くんにしてもリスナーに
 しても同じじゃないかな。
  僕が最初に直感した通りに、いやそれ以上かな、佐野くんは音
 楽家としてもDJとしても見事に成長してくれた。
  僕の方が、佐野くんの言葉に刺激を受けたり、勉強させてもら
 った事も多いんだけど、その中に "どこまで高い所に登れるかじ
 ゃなくて、どこまで遠くまで行けるのか試し続けたい" っていう
 のがあるんだよ。
  いい言葉だよね。その意味でもこれはひとつの通過点にすぎな
 いし、ここからまた佐野くんも、僕も、みんなが遠くまで歩み続
 けられるかって事なんだと思うね」
 「これは僕のあくまで個人的な見解だけれども、現在の日本の音
 楽状況を眺めてみても――素晴らしいミュージシャンは沢山いる
 けど――音楽をちゃんと伝えようとする事に、あれだけ惜しみな
 い努力をする人っていうのは佐野くんが一番のような気がする。
  今、彼の存在は宝のようなものだって言ってしまってもいいと
 思っているし、もっともっと多くの人たちに彼の伝えようとして
 いる事が届いて欲しいと思いますね」
          (1987年 IND'S 別冊C HART NO.3 より)
(サウンドストリート「Motoharu Radio Show」の終了にあたって)


 ※湊剛(みなと・たけし)プロデューサー
  1965年NHK入社。「YOU」「みんなのうた」「若いこだま」「サウンドストリート」など
  音楽番組を手がける。現在はNHK大阪のプロデューサー。湊氏は「アンジェリーナ」のデモテー
  プを聴いて佐野元春の魅力を見抜き、即DJにプロポーズした。



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